東京の正体がわかりました
大層なタイトルで始めてしまいました。これが面白くなかったら一人ひとり私を槍で突いてください。とはいえ、書きたい内容はあるので全部見てから突いてください。
私は仕事の関係で今年4月に東京に引っ越してきました。契約したアパートの管理会社にほぼ詐欺られたり、月に二回も同性(男性)から痴漢されたりと散々な毎日でした。
私の東京に対する感想は「疲れる」 純粋にただそれだけでした。なぜこんなに我先にと電車を出ようとするのか、なぜ新宿駅ではそれが当然かのように、ストリートミュージシャン複数人が各々で歌うのか。なぜこんなにも疲れるのか。私は次第に東京に対する疑問で一杯になり、考え始めました。
結論から申し上げます。東京に対する「疲れる」、もしくは生きづらさとは「狭さ」であり、例えるなら「満員電車」なのです。
生きづらさとは狭さ?満員電車?何を言っているんだ、と槍の準備をし始めた方もいるかもしれません。まだその矛はお納めください。ここでいう「狭さ」とは、本当に物理的な「狭さ」です。狭いんです、東京という街は。
皆さんは中野ブロードウェイを知っていますか?東京は中野にあるでっかい商店街みたいなものなのですが、私が初めてそこに降り立ったときにまず驚いたのはその狭さです。私が元々住んでいた仙台にもアーケード街があるのですが、そこに比べたらとんでもなく狭いです。片側2車線の道路が急に対向車線合わせて1車線になったときくらい狭く感じます。
中野以外でも、各所のコンビニが狭い。半身にならないと棚と棚の間を通れないのは地方から来た私には窮屈に感じるものでした。
つまり、東京というのはやたらに狭いのです。なぜ狭いのか、それは当然小さい土地を膨大な人数で分け合っているからです。一枚のピザを多い人数で等分しようと思ったら、一枚は相当小さくなる、そういった感じです。
前述した通り、私はこれが満員電車のようなものだと思います。満員電車は車両という決められた範囲に膨大な人数が乗るため、一人あたりがもらえる面積は肩幅よりも小さいものになります。まるで東京ですね。
話は変わりますが、満員電車は肩幅に収まるほどの面積しか与えられないので、実際には我慢できずに自分のスペースを確保しようとする人がいます。肩を突っ張ってみたり、わざとスタンスを広く取ってみたり、というような具合です。ゴムボールを押さえつけていると元に戻ろうとする力が働くような、ある種「弾力性」がそこには存在するのです。
東京とは、まさにこの「弾力性」なのです。狭いから知らず知らずのうちに互いを押さえ合う、それに反発するように力が働く。だから傍若無人のような人が現れる、というメカニズムなのです。
それこそが東京の生きづらさということです。
これを基に考えれば「都会の人は冷たい、田舎は温かい」というステレオタイプのなんと単純なことかと思います。都会の人は冷たいのではなく、狭い場所に押し込められれば誰でもそうなるのです。東京と地方の都市機能を一夜で逆転させれば、1か月程度で東京の人は温かくなるでしょう。
さて、ここまで持論を展開してきて何が言いたいのか、真偽はともかく東京をつまびらかにして何が言いたいのか、結びの言葉として申し上げます。
それは、特に何もありません。東京について思ったことを書いただけなので大層な啓蒙などはなにもないです。
ただ、私は東京という圧力に押しつぶされそうになりながら生きています。東京に負けそうになっている私に「東京というものは怪物ではなく、こんなものですよ」と伝えたかっただけなんです。
住む街としてはカスに違いないので、いつか東京を出たいものですね。それではまた、槍で死ななければお会いしましょう。