初期に挫折した自分がVtuberについて思うこと
2016年末、大学に入学した一年目が終わろうとしていて、慣れないバイトに苦心していた私はインターネットで興りつつあったあるムーブメントを目にした。それがVirtualYoutuber、つまりVtuberというものであった。この記事では、そんなVtuberという文化の「さわり」を見て、なんだか思ったものと違うなと感じて遠ざかり、まあいいかそれで、とまた見始めた現在までの所感を長々と書くだけなので、クソ長いあるあるだと思って見てください。
私が初めて見たVtuberはキズナアイだった。恐らくVtuberというものがネットで有名になる、或いは海外で爆発的な人気となる原因となった、バイオハザード7で「ファッ〇ュー!」と連呼する例の動画を見たのであった。AIを自称するキャラクターであったし、当時ネット掲示板から学習してナチスを支持してしまったAIなんかも話題になっていたので、本当にはじめだけはAIなのかと思っていた。しかし当然違った。
ネットで動画を投稿しようとする人は大体ゲームの基礎というものが出来ている人なんだなと彼女で初めて知った。そのくらいキズナアイのゲームプレイは下手であったし、当初はそれにイライラとするコメントが多く散見された。私もそうであったが、段々とそのあまりの下手さと状況が悪化するとすぐに「詰んだ!」と言うのが面白くて少しずつファンになっていった。
キズナアイが一部界隈で有名になるにつれてVtuber四天王というものが出来上がった。キズナアイをVtuberの始祖、親分として、輝夜月、電脳少女シロ、ミライアカリ、バーチャルのじゃロリ狐娘youtuberおじさん(ねこます)だ。私は彼ら彼女らの動向を熱心に追わずとも、なんとなくで見るくらいの熱量だったと思う。というのも、私はVtuberを、VRやARなどといった全く新しい未来の技術、コンテンツだと思っており、その未来性に惹かれて入っていったのだが、そこに私が期待するような「未来のすげーモノ」はなかったのだ。勿論アニメのキャラクターが人間のように動いてyoutuber活動をするなどかなり未来的であったのだろうが、私はそれ以上を勝手に期待してしまっていたと、振り返ればそう思う。
そうして段々と最初に感じた熱が急速に冷めるのを感じつつ、第二波と呼べるVtuberの大きな波が生まれた。にじさんじやホロライブをはじめとした企業Vtuberの誕生だ。ちなみに私はにじさんじでデビューした月ノ美兎を、一度Vtuberから離れるまで追っていた。
なぜ企業Vtuberを既存のVtuberと分けたのかというと、今までのVtuberと活動や体系が全く異なるからだ。Vtuber四天王などに挙げられる既存Vtuberを旧、にじさんじやホロライブなどの企業Vtuberを新としたとき、まず旧Vtuberは動画投稿がメインであったのに対し、新Vtuberは生放送などの配信がメインとなっていった。Vtuberの所謂「肉体」も、旧は3Dモデル、新はイラストをLive2Dで動かすのが主流になっていった。他にも細かいものを挙げれば沢山の違いがあり、明らかに差異性のあるものであったのだ。
そうした企業Vtuberはある一点で爆発的に増え、今日の主流となった。それはコストの低さである。単純な話だが、旧式の活動をしようと思えば3Dモデルや撮影環境を整備しなければならない。しかし企業VtuberはイラストをLive2Dで動かすだけだし、そうであれば自宅で顔認識するためのカメラとマイクがあれば配信可能なのだ。そうすると自然と活動も自宅で出来る雑談やゲーム配信、歌配信にシフトしていく。私の熱もどんどんと冷えていってしまった。こんなのやってることがニコニコの配信者と変わらないよ、と。
前述したが、それでも月ノ美兎だけは最後まで追っていた。彼女にはそれほどのコンテンツ力と面白さを感じていたからだ。しかし、e-sportsなどもそうであるが、新しく興って企業が絡んできたものは往々にして不祥事が出てくる。恥ずかしい話Vtuberは枚挙に暇がないので割愛するが、そうした不祥事、あとはVtuberの顔バレや、積極的に顔をバラしにいこうとする汚いインターネットの連中に嫌気が差して、ついにはVtuberを見なくなっていった。
数年後の2020年中期、大手Vtuberグループと成長したホロライブは、新規参入メンバー「5期生」について問題を抱えていた。メンバーの一人が内部情報をデビュー前に外部に漏らすなどの問題行動をしていたことが発覚したのだ。私はこれをTwitterで見かけ、「またVtuberの不祥事か」などと考えていた。暇だったのでなんとなくグーグルで軽く調べると、気を利かせたYoutubeがVtuberの切り抜き動画をおすすめしてきた。色々なことで疲れていた私はそれを見ると、以前と同様に「ニコニコ動画の配信者がやってきたようなことをしているな」という感想を抱いた。ただその時は、それでいいんだなとも思った。たぶんきらら系の日常系アニメを好んでみる気持ちってこれなんだと。静かな波のように穏やかで、見ていて落ち着くような気持ちだった。
私は今もVtuberを見ている。しかし、前のような、熱を内に秘めた未来のコンテンツとして見ているわけではない。ただそれが悪いわけではなく、彼ら彼女らの多くが目標や信念を持って活動しているのを知っているし、私はそれを純粋に応援したいし、楽しみたい。ただ今後Vtuberがどうなるかはわからない。このままでもいいのだが、コンテンツとして成熟し、技術も向上した暁には、2016年末に見た熱の正体をこの目で見れまいか、と今なお思うのであった。