まえのめり
なにをしても、どんなに達成しても、それでいい、ってできない。
自分のことを、自分が、認めない。
もっとできる、って言ってばかりいる。それは、期待、それとも、ただただ認めたくない心?
ほんとうの自分は、理想の自分は、こんなんじゃないって。
こんなんじゃない、はずだったのに、って。
*
いままでの人生の、どこかで、
いちど、そんな期待を描いた。
こんな自分、そんな自分、思いえがいた人生。
すべての未来が虹色だったころ、その絵が完成し、あとは追いかけるだけでよくなった。
追いかけはじめたとたん、それが、たんなる絵だったと、気づく。
絵なんか、追いかけても、追いついても、意味ないぞ、と周囲に諭されるようになる。おなじように絵を追いかけている若いひとに、意味ないよ、とへいきな顔でいったりする。
歩みを、とめる。
呼吸をするだけになる。
苦も、楽も、おおきなうねりにならないよう、注意をはらいながら、生きるようになる。
死ぬ瞬間、もっと好きに生きればよかった、と思う。でも、まあ、これでいいか、と思う。
*
すべてを庇護者にゆだねている頃、できるようになることは、無上のよろこびだった。歩くこと、声をだすこと、手をたたくこと。
次第に、複雑なこともできるようになる。むずかしい計算、むずかしい漢字、鶴を折る、さかあがり、工作、ピアノ、すきな人と手をつなぐこと。
人が順当に成長していけば、なんでもできるようになるはず。どうして、とまってしまうのだろう。どうして、諦めるのだろう。どうして、挫折するのだろう?
自転車の練習だって、転んだことが、ないはずないのに。
*
達成してきた。
いくつものことを達成してきた。その事実があるから、こころの隅に、そのころの思考の癖がついている。
次は、あれをできるように、次は、これをできるように、なろう。
それで、こころはいつでも、まえのめり。まっすぐ立っていられない。
まっすぐ立っていられないのが、地球が回っているせいでなくて、よかった。地球の回転をとめることは、人にはできない。
ほら、進む電車のなかでは、うごきはじめは、進行方向と逆に転びそうになる。けれど、順調にすすむにつれて、進行方向がわにからだを傾けたほうが、姿勢が安定するでしょ。
そんな原理でなくて、よかった。
*
前のめりになるのは、達成をかさねてきた、証。
まだいける、と自分のことを、信じている。
まだいける、と信じるから、できることがある。挫折は、たった1回の失敗でしかない。くりかえしても、たったその回数の失敗でしかない。挫折なんて名前をつけるから、大袈裟になるんだ。
失敗は、死ではない。まだ、くりかえせることがある。まだ、やりかたを考えられる。考えられること、あるんじゃない?
まずは、大地にまっすぐ立って、空をみあげて。そこから、一から考えてみよう。