降りつもり 溶け去る

みんな、安易に言いますよね、けっこう。僕は厳しい家庭に育ったから、ストイックなんだとか、私は兄弟の真ん中だから、自由人なんだとかって。こういう性格になったのは、過去の経験からなんだってこと。

どんな原因を語るのも自由ですけど、ほんとうの唯一の原因なんか、つきとめられるのかな、って、思うんですよ。僕は。

おなじ家に育った兄弟のはずなのに、性格は真逆という例はいっぱいあるじゃないか、という反論は、するつもりないですよ。いくらおなじ両親のもとに生まれたからといって、兄がいる人生と、弟がいる人生とじゃ全然ちがう。性格は同じにならないほうが自然なんです。

じゃあやっぱり、過去が性格を決定している?

僕は、正直、そうだと思います。

重要なのは、反対にいえば、遺伝子が違ってもおなじ人類なのだから、そっくりおなじ人生を歩めば、そっくりおなじ判断を下す人間に育つんじゃないか、ってところなんです。遺伝子なんて、たいした影響力はもたないんだ。

遺伝子という存在に、いや、遺伝という存在に、寄りかかってる部分、けっこうあると思うんですよ。不可抗力としての、遺伝。科学的に調べたわけじゃないけど、なにげない会話のなかの、文脈として、遺伝を利用する。

あの人の能力が高いのは、この人のセンスがいいのは、遺伝子がちがうから。自分には、その遺伝子がないから、そんな能力もセンスもない。反対に、それができないのは不可抗力なのだから、できなくても許してもらえる、または、諦めがつく。無駄な努力はするだけ損。

そういう甘えや、諦観を、人生のなかで賢く利用するために、遺伝のことを持ちだす。

遺伝は、僥倖? もしそうだとしても、だれがそれを証明するんです? クラスで一番頭がよかったあの子は、もしかしたら、毎晩徹夜で勉強していたかもしれないのに。もちろん、証明はできません。でも、その子の生活に密着していたわけでない僕に、徹夜なんかしなかった、すべては遺伝子に付随する能力だった、と言いきることなど到底できないんです。

ある家庭で、兄弟みんなが優秀、っていうこと、ときどきあるじゃないですか。そいういう時はぱっと見、カエルの子はカエルみたいな、抗いがたい遺伝の力を目の当たりにした感覚におちいる。自分みたいに親が凡人の子は、やっぱり凡人なんだな、と。でもそれ、家庭の教育方針のせいかもしれない。

これがうちの方針、と明確に決めていなくても、そういう暗黙のものって、どの家庭にもある。思考のクセ、といったほうが正確かな?

人生では決断すべきことが後から後から湧きでてきますけど、そのつど状況を分析して計算して……ってこともできないわけで、なにかの判断をしなきゃならないとき、だれしも判断基準を持っていると思うんですよ。たとえば買い物をするとき、おなじくらいの性能のものなら、より安いものにするとか、それとも、一番最初に目についたものにする、とか。

そういう基準、けっこう育った環境によって定まるんです。理由がわからないまま習慣で使ってるんですよね。より安いものを買うにしても、「なぜ安いほうがいいのか」「なぜ貯金がたまった方がいいのか」「なぜ金持ちがいいのか」そんなところまで突きつめて考える人は少ない。「なぜって、いいに決まってるじゃん」となるわけです。でも、その決まり事を決めたのは、育った環境なんです。育った環境でしかない。

そういうわけで、僕は、人間なんか中身からっぽなんだって、確信しているんですよ。能力のない人間が、ではないです。人間、全員が、です。この意味では、幼少期の経験が人生を決めるってのは、真実かもしれないですね。ただ、人生を決めやすいのであって、動かしがたいほど決めるのではない、とも思います。

本が好きという性質と、本がきらいという正反対の性質があって、とある人は、「本が好きという前提のある奴は、本をつかってする勉強も好きで、そのせいで能力があっていいよな」と考えます。自分は、本が嫌いだから、勉強もできないのだ、と。

でも、本が好きという性質だって、生まれたその瞬間から持っている人間はひとりもいないはずです。本という存在を知らないのだから。幼い頃のいつかある一点で、本を知り、読み、それにたのしさを覚えたから、好きになった。

経験のながさは、人格の形成に影響をあたえます。本がすきだから、一年中本を読んでいるとすると、5歳の子が4歳から読み始めた場合、読書の経験は人生の5分の1をも占めるのです。

ところが大人になると、「今から本を好きになるのなんて、ぜったいムリ」と考えます。29歳で本を読み始め、30歳まで1年かん読んだとしても、それは人生の30分の1でしかない。

大人になってから性格や人格を変えるのなんか、絶対無理、とだれもが思います。でも、人間は、たんなる器でしかない。そこに経験を盛って、「これが自分だ」と思い込んでいるだけなのです。それが、自分という本質、自分を構成する遺伝子に書きこまれている情報、だと思っている。

人間はやっぱりからっぽだと思いますよ。僕はね。大人になったら自分を変えるのが難しい、というのは、遺伝子にそう書いてあるから、という理由ではないんです。ただ、変えるのに時間がかかるだけ。前の例でいったら、本好きの子の経験値を得るまでに29歳の人は、6年間くらい読書を習慣としなくてはならない。

自分を変えられないのではない。ただ、変えるのに時間がかかるというだけなんです。大岩を動かすようなものでね。でも方法によっては、動かないということもありません。

どんな経験も、どうせ死んだら跡形もなく燃やされてしまう。なくなってしまうくらいなら、自分の理想とする人間になるにはどんな経験が必要か考えて、それを積みかさねていけばいいと思うのです。自分の中に。どうせ、からっぽなんだから。



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