一歩さきを見る 眼
未来がみとおせたらいい。いろいろな対処も、先回りしてできる。けれど、わたしたちは「予知」をすることはできない。なので、「予測」することになる。
予測は、案外、迷惑な存在だ。楽観しすぎれば、あとで痛い目を見る。悲観しすぎても、今この心がつらくなる。
あまりに、遠くを見つめすぎるせいだ。遠くであればあるほど、予測と現実との距離は離れていく。
一歩だけ、先であれば、それがいい。
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大概の人は、将来に備えている。大それたことじゃない。貯金を使いはたしたりしないし、失業してもすぐ職をさがす。子供を塾に行かせ、任意保険にはいる。
たとえ予知ができなくとも、すべての最悪な状況を予測して、それに備えることなら、できる。膨大な費用が必要だとしても、それは、できないことではない。
しかし、あまりに遠くを見つめ、そこに不安があるのではないか、と考えると、足がすくむ。崖っぷちを歩きながら、この崖っぷちはどこまで続くのだろう、と遠くを見ていたら、今のこの一歩を進めることはできない。足元を見ていないから。
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家事でも仕事でも、大量の作業が待っていると思うと、やる気をそがれる。一方で、ひとつだけやれば終りというときは、やる気はそれほど減らない。ただし、時間はかかる。
たったひとつの作業をするだけでいいのだから、時間はたっぷりある。だから、この時間のどこまででも使うことができる。
それでは結局、一日が終わって、忙しい明日がまた始まる。
ひとつの作業が目の前にあるんだったら、もうひとつ先にする事のことも、頭に置いておくといい。次はあれをやる、と思って今の作業に没頭すると、速くなる。
5つ先、くらいまであるとなると、やる気はキープできたとしても、やはりだらだらやることになる。心のどこかで、どうせ時間内にはできないのだから、という諦めがうまれるのかもしれない。