世界の中心でGrusちゃんへの愛を叫ぶ
アバターの乱れは心の乱れ。
かつての私の他のメタバースでの名言です。(迷言?)
アバターのセンスやフォルムがおかしいやつは、なぜか大抵言動もおかしいことが多いという経験則からの言葉。そうなんです、思っている以上にアバターって大事なんですよ。しかもVRだと実際アバター着てるみたいな状態ですからね。もう推して知るべしですよね。
2018年の1月にVRChatのアカウントを作ってデスクトップで細々と見て回り、2020年春に初代Oculus Quest購入。非社交的でめんどくさがりな私ではありましたが、それでもお友達になってくれる人たちがいました。決してフレは多くないけど、ありがたいことにJoinしてきてくれる友達もいたし、なんとなくみんなが集まってくるインスタンスもあるにはあったのです。
やがて時は流れてフレは一人去り二人去り、気が付けば一人で過ごすことが多くなりました。ライフワークだったはずのクソワールド探訪だって一人では単なる虚無でしかない。そしてそのころにはもうアバターとかどうでも良くなっている自分がいました。適当なアバターのサンプルのままで過ごす日が増えていきます。別に新たにアバターを買ってもいいのだけど、いやこれいくらなんでも可愛すぎじゃね? 目キラキラすぎん? ていうか頭大きくない? そもそも”アニメ・ガール”になりたいからVRChatやってるんじゃないんだよ、というのも確かにありました。ここでの作法だからそうしてるだけ。
大体もうVRChatとかたまにしか来ないしね?
だれにも見せる予定のないアバターならがんばっても仕方ないじゃない?
―アバターの乱れは心の乱れ―
こうやってやがてはいなくなったフレみたいに私もここを去るのだろうなとなんとなく思っていたのです。
たまにアバターのモデルデータを自作ワールドに置いてる人がいますよね。VRCでの孤独ですさんだ日々、Chillなワールドに行ったら偶然ベッドに腰かけている天使がいました。白いぶかぶかのワンピースにツインテールの物憂げな眼。なんてエンジェリックなんだろう!
今にして思えばそれがGrusとの出会いでした。
VRChatのトゥーンシェーダーのアバターって、結局はコスプレなんだと思うのです。その人本人のパーソナリティから乖離して、ファンタジックな獣人のお姉さんとか妖艶なサキュバスとかSci-fiなサイボーグとか魔法使いのメガネっ子とか、外部の「物語」から意味が付与されている。そこになんとなく違和感を覚えていました。私はべつに「物語」の一部になりたいわけじゃない。(別になりたい人がいてもいいとは思うけど)
だからGrusに出会う前、同じ作者さんのCygnetを見かけたときは目から鱗でした。ああ、これはここでは貴重な「普通の子」だと思ったのね。
Grusもその延長上にあるアバターなのだなと思いました。もしかしたらこの子なら私も違和感なく着れるのでは?(超絶かわいいけども)
もうひとつ。
アバターには「着心地」が存在します。
VRやってる人にはわかってもらえると思う。明らかにしっくりくるものとそうでないものがあるのです。見た目の好みも影響してるのかもだし、トラッキングへの適正みたいなものとか骨格の比率みたいなものもあるのかもしれない。いずれにしろ自分に合わないアバターはサイズの合わない服みたいに着心地が良くないのです。
Grusちゃんは「着心地」に違和感がほんとに無かった。
DEMOった瞬間に「ああ、これが私のアバターだな」と思ったんですよ。
この雰囲気と可憐さにも正直救われる気がしたんだよね。
というわけでGrusちゃんを購入するのに迷いはありませんでした。
てか髪とかも欲しいのは一気に全部買った。
以来、アバターが可愛いから自撮りは捗るし改変も楽しいし
今まで行かなかったようなところへお出かけすることも増えて
モチベーションは爆上がりしました。
相変わらず一人が多いけどVRChatが再び楽しくなっています。
なので当分VRCから引退することは無いと思います。
逆にGrusちゃんに出会ってなかったらとっくにやめてたかもなあ~。
こうしてうさ山はGrusちゃんに救われたのです。
Grusちゃんはたぶん天使。
ありがとうGrusちゃん、作者さん。
【完】
……なにこれキモい
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