置き去りにされた犬
ニューヨークという街に暮らして早6年。未だに慣れることの無い文化の一つに別れ際の瞬間がある。
パーティや人との逢瀬が終わり、さようなら、バイバイと別れる時、アメリカ人の去り際は正に一瞬。あえてよかった、じゃあね、バイバイと別れの言葉を言ったら、さっと離れる。合理的なアメリカらしいと言えばらしいんだけど、この文化が時に寂しく、冷たく感じてしまう。パーティが終わって客たちがドアを出て別れを告げるや否や、ドアを閉め、鍵をガチャンとかける。
友達とお茶をしていて、別れのハグをしたら振り向きもせずに自分の行く道を行ってしまう。そんな時私は、置き去りにされた犬のようになる。
私の母は誰かが我が家を後にする時、バス停や門の外まで見送り、見えなくなるまで相手を見て、振り向くと手を振るような人です。母の家にairbnbを通して毎月、泊まりに来る人たちはそんな母からぬくもりをもらい、日本のお母さんのように感じてくれているというのをレビューで目にすることも結構ある。
日本の社会人に多い、去り際に、失礼しますと何度もいいながらも、だらだら立ち話をしたり、お辞儀を何度もしたりする行為はやりすぎ感があるが、また次を楽しみにさせてくれる、逢瀬の後も相手を不快にしない別れ方があるとするなら、それは余韻を大切にすることだ。
以前、アメリカ育ちの日本で活躍する芸能人がツイッターで、"電話を切るタイミングが早すぎると言われた。なんでかわからない。何をするの?"と呟いていたが、文化が違うとさっぱり理解できないものなんだなー。と思った。電話も同じで少し待ってから切ることの無いアメリカ文化は、電話が終わるとすぐ切る。相手が客だろうとなんだろうと関係無い。こっちが最後の挨拶をしようとしたら切れていることもある。なんというか、余韻を楽しむことの無い文化なのだ。それが少し寂しくもある。
人間関係を断つ際も、日本人は問題があってもすぐに離婚や別れを決断せず、アメリカ人は自分にとってマイナスな人はすぐに決断するイメージ。対極にあるように感じる二つの国を行き来する私も少なからずアメリカの影響を受けているだろう。
アメリカの文化に慣れる余りに自分もそうなって相手を置き去りの犬にしていないといいな。
NYでフリーランスのライターと日本語の先生をしています。どこまでも自由になるため、どこにいても稼げるようなシステムを構築しようと奮闘中。