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自分に合った生き方 vol.1 日本の普通には収まりきれないと気付いて模索した道

日本を出てアメリカに来て良かったなと思う事の1つに仕事の仕方があります。でもその話を書く前に自分の歩いてきた軌跡を簡単に書き記しておこうと思います。

子どもの時から、考え方が突飛だったり、集団行動が苦手、協調性を自分に強いるのが辛いと感じていた私は、発言や行動が変わっていて、学校や周りの友達からはよく不思議ちゃん扱いをされていました。


人懐こく、愛嬌はあったので友達はいましたが、好き嫌いが激しく、先生でも友達でもこの人とは仲良く出来るけど、この人とは無理。とはっきりしていました。
それを更に本人に悪気なく言ってしまうこともよくありました。

だって、合わない相手と一緒にいたって楽しくないもん。

がしかし!大抵の日本人はそう思ったとしても口には出さないし、クラスやグループにいても当たり障り無く付き合うという処世術を子どもながらに身につけ、大人になってもそれで学校や社会に適応していくもの。なんですよね??

私の場合、それを断固拒否して好きな子とだけ、付き合いたい。好きな事だけしていきたいを貫いてきた結果、人間関係的には学校という社会において辛かったこともありましたが、それでも両親は好きな事をさせてくれた方だし、好きなように生きさせてくれました。

また、9時5時スタイルの仕事が明らかに向いていないと早い段階で気づいた私は、どうやったら自分が毎日楽しく働けるか?を模索しました。本業のクリエイター活動だけで食べていけなかったので、とりあえず飲食系アルバイトもしました。サービス業は比較的向いていたみたいで気に入った場所では長く働けました。バイト仲間と店長を含む社員が自分の好きな部類の人であれば問題ありませんでした。時々現れる嫌いな人とは極力近寄らない、または自分とは合わなそうとはじめに伝えてしまいます!冗談っぽく取られる事もあるけれど、大体向こうもこちらからそんな風に言われたら余程の鈍感でない限り、必要以上に近づいてきません。また、注意力散漫で飽きっぽいのでいくつかのバイトを掛け持ちする事で気持ちを切り替えて飽きないように、1つのバイト先に依存しすぎないように分散することを心がけていました。

ただ、20代後半になってもフリーターでバイト暮らしが許されたのは実家住まいだったからです。そんな私も自立しなければと再度考え始めました。一瞬、3年間ほど家を出て都内で暮らしていましたが、出戻りしてました。

そして、27歳でアメリカ移住を決め、28歳で渡米します🇺🇸

よく言えば、宵越しの金は持たないぜ!普通に言えば、貯金が苦手だったので、留学資金を貯めるなんて到底、無理!!な私がどうやって渡米したのでしょうか?

ましてや稼ぎもバイトなので月10万ほど。本業でやりたいこともしていたのでフルタイムで働く時間もそんな気もさらさらなかった私がです。

渡米を決めた5日間

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NYでフリーランスのライターと日本語の先生をしています。どこまでも自由になるため、どこにいても稼げるようなシステムを構築しようと奮闘中。