脳内整理①『「社会の歯車」って言い方より「社会は歯車で成り立ってる」って言い方のほうがカッコよくねえか???』

社会の歯車って言うと馬車馬のように働かされそうで心底気持ち悪い(でも社会が消えれば生活できないからしゃーない)位でいた。

ふと、さっき思いついた。

順番逆では???

そう、「社会の歯車」ではなく、「社会は歯車で成り立っている!!!」

……と言うこと。

別に対して変わらへんやろとか思われそうだけど私的には変わってる気がする。

まず一つ。
聞こえがなんかカッコいい。
……これは個人の好みだな、うん。

二つ。「下僕感消えて精神衛生的に良さそう」
前者より後者のほうが「俺達頑張ってるから社会回ってる!!!ヨッシャアァ!!!」ってなれそう。

……とまぁ、個人の感想はここまでにしよう。ここからが重要。この思考整理のミソ。

『歯車って表現、意外と生身の人間と遠いものじゃないんじゃね?』

……ということである。
なんか機械みたいで嫌だと言う声が飛んでくるのが容易に想像出来るのだが、一旦無視しよう。

歯車なら何でもいいという訳ではない。機械で量産できない物、一つ一つ、人間の手で作られたもの。

そうすれば、中々にこの歯車と言う表現は合点のいくものではないか?!

かちっとお互いが噛みあえば、ものすごいパワーを集団で生み出せる。これが利害一致とか友情とか。

でも、合わないもの同士はとことん合わない。互いに、場合によっては一方的にすり減らして相手を駄目にしてしまう。これがイジメとかパワハラとか。

型番が同じでも、職人の手のたった数ミリ、数秒の差で形質が変わる。…見た目がどれだけ同じであろうが、血や時間や名前で繋がっていようが、100%一致するなんて有り得ない。

…こういう感じで、いくつか例を上げてみた。うん、やっぱり似ている。よし。納得いったのでこれで締めよう。

え、なんでこんな話始めたかって?
..…中学時代の恩師がクラスの一人一人を『このクラスを回す為の歯車のような存在』と言っていたことを思い出して考え始めた事だ!!!!

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