遠い記憶の光と影に
私は深い呼吸のなかに身を投じた...
吸引されるような弱い引力に溶けるように私は過去生へと旅立った
白い霧のなかにマントを着た男のシルエットが浮かび上がる… 中世のヨーロッパを思わせる石造り建物に囲まれた路地にその男は佇んでいた
霧は私の意識を乗せて男の中へと入っていった… 男は私だった
古い建物の地下室に降りてゆく...男は私で在りながら、私は男が映し出す世界を視ていた
ロウソクの灯されたテーブルに座る私ともう一人の男...
私は言葉巧みにその男から革袋の金貨を受けとった
その時ロウソクの焔は揺らめき、場面は変わりテーブルは自室の机に変わっていた。私は革袋の金貨を握りしめて片側の顔で笑いながら、一枚の金貨を親指で弾いた… 金貨はロウソクの光りを反射しながら床に落ちた...
その金貨の音とともに場面は変わっていた...そこは大きな公会堂のようなところだった、私は床に跪き顔を誰かに踏みつけられながら、取り囲まれた群衆の視線のなかにいた。
私の頭の先でひとりの男が私の罪状を声高に読み上げているのが聴こえている… それは公開裁判のようだった。僅かに開いた目には一枚の金貨がロウソクのひかりを反射していた… そこにはこの国の王が刻まれていた。
その光りの先には取り囲んだ群衆に混じって私の娘がいた。
娘は脅えたように震えを堪えた姿として、男たちの声よりもはっきりと私に伝わってきたのだった。しかしそれは恐れでも悲しみでもなく、踏みつけられた罪の痛みを和らげる感触をもっていた。
そして甲高く乾いた響きを放つ小槌の音とともに私の意識は落ちた...
............
夢ともつかぬ身体の振動に導かれて私の意識は灯った...
荷車のようなものに乗せられているような… 誰も登場しないなかで乾いた振動だけが私をつつんでいた...そんなシーンを挟んで私は狭い部屋に寝かされていた
僅かに漏れくるひかりを残して私の眼は開かなかった、耳も靄がかかったようなくぐもった音が遠くに残すだけで、時折り触れる手の感触だけが私の世界だった
姿はみえなくても… 声も聴き取れなくても、その手はたったひとりの娘であることの証しとして私の手に刻まれていた...しかしその手はしだいに柔らかさを失い、そしてささくれ立ち… やがてごつごつしたなかに刻まれた深い皺を描き出していた
その手は私の手をつつみ、なにかを言ったような気がして… わたしは微かに指をうごかした...そのとき温かい雫が私の手に落ちた… それは娘の無言の言葉だった...その言葉に私の幽かな意識は溶けていった...
しずくの蒸発とともに私は自らの身体を抜け出し、小高い丘の上に浮かんでいた...幾人かの村人とともに娘は私の棺を囲んでいた… その時はじめて私は年老いた娘の姿を見た...
娘はその手で胸元のネックレスを外し、手を伸ばして棺に落とした
そのとき私は緩やかな上昇気流に乗って空に昇っていった...
何処かの国に生まれ、光と影に翻弄されたひとつの生は幕を閉じた
娘の投げたネックレスは古い記憶の呪縛を解く鍵だったのかもしれない...ただ… あの温かい雫の感触だけは今も時を越えて蘇ってくる
コインに描かれた肖像が照らし出す光と影に符号するように、私は自らの魂の旅とその光と影を垣間見たのかもしれない...
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