PBMからはじまる同人活動。
思えば文章を書くきっかけは、PBM(ぷれい・ばい・めーる)だったと思う。
創作活動自体はもっと前に手を付けていた気もして。
ただ、それが創作活動と呼べるものなのか、その先に「なにを」成し遂げらたら創作活動なのかはわからなくて。
作りたいものを黙々と作り、それを名前で呼ぶ必要があった時に創作と呼ぶことがあったのだと思う。
PBMってなあに?
というと、プレイ・バイ・メールの名前から連想できるように手紙を使った遊びのことで。
まだ電子メールもインターネットもなかった時代。郵便でやりとりする手紙を使ってコミュニケーションをとる。それも、TRPG(てーぶる・とーく・あーるぴーじー)をやってみようという、頭のネジを壮大にすっ飛ばした試み。
最初はどこだったのかな?
わたしの生活圏だと、ホビーデータさんのクレギオンあたり?SF設定のPBMで、申し込んでも抽選漏れしたような、期日を過ぎていたような。ちょっと記憶があいまいで。
当時PBMを企画運営されていた会社さんは大きく2社(その後2社くらい出てきたっけ)、ホビーデータさんと双璧をなしていたのが遊演体?さん。
蓬莱学園あたりが有名なのかな。わたしは夜桜忍法帖あたりで本格的に参戦。(夜桜の主題歌かっこいいよねっ!)
今でも思い出せる。毎日そのことで頭がいっぱいで。景色が変わっていく感覚。例えてよいかはわからないけれど、誰かをスキになる感覚、もしかしたらだけれど、恋愛感情と似た何かのように思える。
えー?でも手紙でしょー、そんなのでTRPGなんてできるのー?
というと。
できたりする。
もう昭和の時代なので。そりゃあ、全部人力なのでございます。コンピュータはあったけれど、インターネットの無い時代。コンピュータに何をさせるかっていえばDB作って、情報管理して、プリントアウトで「なんかすごい!便利!年賀状らくちん!」みたいな時代。
ワープロ(あったねぇ・・)の代わりもなる。
あ、あとファミコンもできる!みたいな。ゲーマーさん怒りそうな表現だけど。
話を戻して。
PBMはゲームマスターを運営会社が担うあたりまでは想像のとおり、参加者はプレイヤー、その連絡手段は郵便を使った手紙。
ええ?それでどうやるの?って。
まずベースとなる企画があって、そこに設定やNPC(のん・ぷれい・きゃらくたー)があって、もろもろの設定が積まれる。
その後にストーリーの大体の軸を用意して、そこにゲームマスターが配置される。プレイヤーは好みのストーリーに参加していく形になる。
ここでいう参加というのは、TRPGでいうところの「行動」を手紙で宣言する形になっていて。基本は選択肢ベース+自由文章による提案だったかな。
例えば、運営からは「〇〇さんを追いかける」「残って現場を調査する」「街に戻って情報を集める」といった基本的なストーリーの選択肢が用意されて。そこにじぶんのキャラクターがどうかかわるのかを自由文章で提案する。
ここの、自由文章による提案を可能な範囲で考慮して、その後のストーリーをゲームマスターが文章として組み立てて、その月の結果という体で短編小説化される。
ゲームの期間はだいたいみんな1年だったような気がする。
ゲームの流れとしては、月に1度、運営から「全体の情報」として会誌、プレイヤーが存在する地点でのストーリーとしての小冊子(小説プラスアルファみたいなの)が送られてくる。
プレイヤーはそれらを参考に、次の「行動」を手紙で返信するという流れ。返信は専用のシートがあって、そこを埋める形。期日は2週間とか3週間はなかったような・・、記憶ではいつも時間に追われてた。
ゲームマスターごとに扱うテーマが異なっていたり、行動の採用率、表現などの違いから、人気が片寄る傾向があった。遅延騒動や、ここでは書けないような事件も起きた。
でも。PBMがスゴイのはここではなくて。
ちょっと話を聞いていると、疑問に思うことがたぶんあって。「あれ?プレイヤーってパーティー組めないの?」という、ごくごくありふれた疑問。
・・・。
組めます。
プレイヤー同士が連絡を取り合い、「行動」を一致させ、ゲームマスターに「わたしたちは一緒に行動しています!」と伝えれば、それは「パーティーを組んでいる」ことになる。
あれれ?でもさでもさ。
プレイヤー間の連絡ってどうするの?手紙なんだから、相手の住所とかわからないじゃない?
なんて。至極当然の疑問もあって。もちろん、ちゃんと運営は連絡手段を用意してくれている。同じストーリーに参加している者同士の連絡先をリスト化し、短編小説に添付してくれていた。
ええええ?!
まずくない?全国的に住所晒して遊んでたの?!当時のひとたちって、あたま〇かしくない?!みたいな。
・・・。
いまだと考えられないよネ。
オプションで住所非公開とかできた気もするけれど、確か転送に時間がかかるから、ゲーム上で連携するのは往復時間的に難しかったような記憶。
だから、わるいことをされるという意識よりは(当時は電話帳に住所と電話番号載ってた時代だし)住所を載せて、他のプレイヤーとの連絡を優先しよう!みたいな時代だったように思う。
〇〇キャラクターさんに手紙で連携を提案しよう!とか。〇〇キャラクターさんから手紙で誘われたけれど・・どうしようみたいな。
PBMの場合、構造上ひとりがすべての情報を得ることができない。
別のストーリーに参加している者同士がコミュニケーションをとれば、より多くの情報を得ることによって情報戦で優位に立てる。
多くのプレイヤーが同じ目的のために行動すると、ゲームマスターによる「行動」の採用率があがる。(このあたりはゲームマスターの裁量が大きいので、全部がそうとは言えないけれど。ある程度ゲームマスターの持っていきたい方向を加味して行動を提案すると、よさげな方向に進みやすかった気がするので、このあたりはTRPGっぽい部分とも思えたり。)
これらの構造は「わかり易い」ゲーム性と、ゲーム上コミュニケーションの活性化にも貢献していたと思う。
・・・。
たのしかったなって。
毎日、郵便受けをわくわくしながら開いて。めいっぱいの気持ちを詰め込んだ手紙を抱え、郵便局へ走ってた。
一生分の手紙を書いたと思う。
その先が全て、にんげんでつながったいた。クレイジーで、ハイテンションで、非効率な遊び。
事故も多く、料金も決して安くなかったPBMは静かに衰退してしまったけれど。あの時の熱量を今でも忘れない。
みんなが真剣に遊んで、ただ、物語を作る為だけに一生懸命だった頃の思い出。
・・・。
時代は移り変わり、インターネットを使ってTRPGをプレイされる方もいらっしゃって。それはたぶん、便利な時代でよろこばしい変化。
もうPBMが果たせることもなくなっていて。
でも。わたしは思いがあって。
ついか、できたらいいなって。
個人がPBMを主催できる、デジタル技術で負担を軽減し、サーバーを用いないネットワークゲーム環境が作れたら。いいなって。