脳性麻痺のにゃおちゃん〜特別支援学校時代〜
みなさん、こんにちは!
にゃおちゃんです。
小学校6年生の時、担任の先生に「中学校は養護学校に行ったほうがいいんじゃないかと思ってる」と打ち明けられました。
私は嫌でした。
養護学校って独特の雰囲気があるんです。
※あくまで個人の意見です
当時はまだ養護学校と言っていた頃です。
担任の先生の話によると、先生の知り合いの先生が養護学校にいるらしく、だから行ったほうがいいとのことでした。
担任の先生は体育の先生です。
その知り合いの先生も体育の先生です。
それだけの理由で行くことを勧められても、わかりましたとは言えませんでした。
保健室の先生にも「行ったほうが◯◯ちゃんのためになるよ」と言われました。
「みんな何も知らないくせに養護学校、養護学校ってうるさいな」と思いました。
母親とは、地元の中学校に行くと決めていました。
障害児学級に。
ですが、障害児学級に身体の障害児がいませんでした。
地元の中学校からは別の地区の学校なら身体の障害児がいるから、その中学校に行くか普通学級に入るかどちらかと言われました。
私にとって厳しい選択を攻められました。
ですが、中学校では小学校のようにはいかないと思っていました。
なぜなら、階段問題と体育問題があるからです。
それに勉強もついていけるか不安でした。
小学校の先生たちに押され続けていたので、とりあえず、その養護学校を見学することにしました。
兵庫県で唯一の肢体不自由児の学校で一番厳しい学校です。
そこには、ルネス花北の白鳥園で一緒だった一つ上の先輩がいました。
のぞみちゃんです。
ですが、とてもじゃないけど行けそうな学校じゃありませんでした。
なぜなら、全寮制だからです。
全部自分でやらないといけません。
軍団みたいでした。
見学した時の中学部は4人でした。
先生も生徒も優しく接してくれました。
卒業まで何度か見学に行きました。
当時、公文式に通っていて、公文の先生にも相談していました。
公文の先生は「私も学校の見学に行きたい」とおっしゃったので、母親と3人で見学に行った記憶があります。
その後、私は養護学校に行く決心をし、公文の先生に報告しました。
公文の先生は「○○ちゃん、よく決断したね!偉い偉い!」と涙を流しながらおっしゃってくれました。
入学準備は大変でした。
寄宿舎に入るので、着替えに布団、バケツに衣装ケース・・・一式買いました。
引っ越しみたいでした。
朝ちゃんと起きれるだろうか、
自分で布団出し入れできるだろうか、
洗濯、そうじ・・・
不安しかありませんでした。
そして、同級生がいない中学部生活が始まりました。
入学式は高等部も一緒でしたが、中学部では私一人だけでした。
信じられませんでした。
しかも、入学式当日は土砂降りの雨でした。
忘れもしません。
私の心の現れだったのでしょうか。
入学式のあと、涙が止まりませんでした。
母親が帰るからです。
ギャン泣きでした。
高等部の先輩が「みんなおるから大丈夫やで」と落ち着かせてくれましたが、そんな言葉も耳には入りません。
絶望感しかありませんでした。
春に異動してきたばかりの後々、理学療法士として転職する教育棟の先生もいてくれたのですが、先生も泣いていました。
もらい泣きです。
金曜日の夕方に帰省できるのですが、日曜日の夜に寄宿舎へ戻ってくるたびに泣いていました。
とにかく寄宿舎が嫌でした。
当時ごはんもあまり食べなかったので、よく栄養士さんに心配されていました。
調理のおばちゃん達も心配していました。
「○○ちゃん、また残してるね」と。
私ってどんだけ人に心配かけているんでしょうかね笑
勉強は自分の学力に合わせて授業をしてくれるので、その辺りはよかったなと思います。
体育にはびっくりしました。
座ってできる競技ばかりでした。
それが一般の学校との違いです。
今まで見学していた競技が養護学校ではできちゃうんです!
すごいなと思いました。
校外学習もありました!
野外活動もありました!
ジョギング大会にはオリックスの選手が来てくれていました!
二軍ですが。
田口荘も来たことがあってテレビ局が来た年もありました!
一般の学校よりも行事がたくさんありました。
中学部は少ないせいか、学年関係なくみんな一緒でした。
私は同級生がいなかったので、先生とマンツーマンの授業もありましたが、一つ上の先輩と一緒に授業を受ける日もありました。
修学旅行は中学2年生の時に一つ上の先輩達と行きました。
普通に楽しかったです!
中学2年生になり、後輩が入ってきて学校がちょっと楽しくなりました。
えりちゃんという女の子と仲良くなりました。
母親から聞いたことですが、ルネス花北の白鳥園で一緒だったそうです。
寄宿舎の部屋も一緒でした。
中学3年生の時は、めっちゃ勉強をさせられました。
受験です!
高校はそのまま高等部に入ろうと思っていました。
高等部に上がるだけですが、ちゃんと入試があります!
面接もあります!
大量に印刷した模擬問題を渡されて死にそうでした笑
入試の前日、一人だけなのに寄宿舎のスケジュールを変更して、みんな静かに過ごしてくれました。
栄養士さんから「入試当日はお弁当作ってあげようか?」と提案してくれましたが、めんどくさかったので食堂に行って一人で食べました。
入試当日、担任の先生からキットカットのチョコレートをもらった記憶があります。
嬉しかったです。
入試は当然知っている先生ばかりでした。
受験生は私合わせて15人ほどいました。
高等部に上がると同級生ができると期待していました。
その後、合格発表の日に担任の先生と見に行きました。
ちゃんと合格発表もあります!
結果は合格しました!
入試が近い時にインフルエンザになってどうなることかと思いましたが、一気にホッとしました。
それに中学3年生の時は生徒会に入っていました。
副会長です。
高等部だけではなく、中学部からも出ないといけませんでした。
3年生は私だけだったので、嫌でも自動的にやらないといけませんでした。
ほんと、嫌でした。
昼休みに話し合いとかあって忙しかったです。
寄宿舎では、単独帰省もしていました。
帰省日に一人で家に帰るということです。
事前にタクシーの予約をし、お小遣いから料金を計算して帰る準備をします。
タクシーで駅まで行って、電車で帰っていました。
タクシーは介護タクシーです。
受験が終わると今度は卒業式の練習です。
一人だけの卒業式でした。
何度も答辞の練習をさせられました。
そして、一人だけの卒業式を終えました。
とてもいい経験をしたと思います。
高等部の生活が始まりました。
待ち望んでいた同級生が来ました。
嬉しかったのですが、学校の中では先輩になるのでどうしてもそういった会話になったり雰囲気が変わるのが辛くなって、しばらく学校を休んだ時期がありました。
要するに期待し過ぎたんです。
みんなと仲良くなって遊んで、、なんて胸を膨らませていたら、そうじゃなかったんです。
母親に「学校に行かなかったら面会ができない施設に入れるから荷物まとめ!」と旅行バックを投げつけられた記憶があります。
ひどく怒られました。
父親にも「ええ加減にせぇよ!」と怒られました。
私は泣くことしかできませんでした。
結局、学校に行きました。
みんな心配していました。
中学3年生の時から好意を抱いていた技術の先生からも「久しぶりやな!」と肩をポンポンとされた記憶があります。
嬉しかったです。
その後、ちーさん、みなちゃん、みっきー
この3人とずっと一緒にいました。
仲が良かったんです。
ほんと、楽しかったです(*^^*)
修学旅行は東京でした。
飛行機で行きました。
毎年沖縄なのに、私たちの時はアンケートを取らされたんです。
お台場とディズニーランド、ディズニーシーの3泊4日でした。
ホテルはシェラトンでした。嬉しかったです。
ですが、前半は雨でした。
高2〜作業の選択授業があって、私は陶芸を選択していました。
最高のメンバーで楽しかったです。
みっきーも一緒でした。
2人でよく喋っていたので先生によく怒られていました。
「お前ら、うるさいぞ!」と笑
途中で養護学校から特別支援学校に変更になりました。
校歌も一部変更しました。
高3の時は、寄宿舎の棟長をやっていました。
簡単に言うと、リーダーです。
男子棟に3棟、女子棟に2棟あって1棟ずつ棟長がいます。
マジで嫌でした。
「ゆかこがなればいいのに」と思いました。
ゆかこはライバル的な存在です。
棟長を決める会議の前、ゆかこに頼まれたんです。
「あたし、お風呂があるから棟長になれない」と。
最悪でした。
仕方なく、立候補をし棟長をしました。
棟長の役割は、朝の点呼の時に人数を報告すること、運営委員会に入ること、棟の会議の司会進行などです。
忙しすぎました。
ゆかこによく怒られていました。
「何でこうしないの!?意味わからんし」と。
私は「文句を言うなら自分がやれよ!」と思っていました。
そんなことでも、やり遂げました。
よく頑張った、自分!
高3になると、進路を決めないといけません。
私は就職希望でした。
ハローワークの人が学校訪問し、何度か面談をしました。
「車椅子だとね・・・」、
「そもそも何ができます?」とか
厳しいことを言われ続けました。
すごくメンタルに来ました。
当時、作業所には行きたくなかったんです。
やり甲斐がないから。
賃金も少ないし。
力仕事が多いので、できる作業がなかったです。
よく担任の先生と揉めていました。
先生は作業所を勧めていましたが、それが嫌だったんです。
全然、動いてくれませんでした。
進路指導の先生も。
何で就職したいのに、それを尊重してくれないのか。
いつも思っていました。
訓練校も勧めてきましたが、私は就職して一人暮らしをしたかったので、その気持ちを先生に伝え続けました。
今度は情報系の専門学校を勧めてきました。
理由は過去に進学した生徒がいるからとのこと。
私は呆れました。
何がやりたいのかをちゃんと聞かずに先生の持っているものをポンポン出しているだけでは話になりません。
一応、見学に行きましたが、設備が悪く車椅子では困難だと判断し、断りました。
担任の先生に「どうするの?」とため息混じりで聞かれました。
もう家にいようと思い、家事手伝いで構わないと伝えました。
パソコン教室に通ってるし、資格を取ってしまおう、
そのあと、自分で仕事を探そうと思いました。
先生は何も言いませんでした。
そして、卒業式を迎えました。
しんどかったけど楽しかったなと思いました。
よく6年間乗り切ったなと思いました。
今でも中学部の時に仲良くさせてもらっていた数学の先生とは連絡とったり、ごはん行ったり、ずっと仲良くしてくれています。
もう友達と言ってもいいですね!
みっきーとは今でもちょくちょく遊びます。
相変わらず、賑やかな子です!
この支援学校に行っていなかったら、電車に乗ることもバスに乗ることも一人暮らしもできていなかったと思います。
感謝ですね!
その辺りは。