泣いた日
自分は、中学から高校に上がる時自分の夢を叶えるため難しい厳しい世界にあえて飛び込んだ。中学時代の友達はみんな地元に残って寂しい気持ちもあったがそれより自分は親元を離れてこれから新しいことにチャレンジしていくというワクワクの方が大きかった。自分は幼稚園からずっとサッカーを続けてきてどのチームに行ってもスタメンで試合に出場することができ、ゴールもたくさん決めることができた。自分で言うのもアレだけどチームのエース的存在だった。と思う笑
だから自分はものすごい自信と希望を持って高校に進学した。しかし、そんなのも束の間自分はすぐにサッカーの厳しさを知り中々試合にも絡むことができず初めて挫折を経験した。あるときの練習中、自分のプレーがうまくいかずとてもイライラしていた。だから仲間にパスを出しても全然通らないし、自分の持ち味も出せない。チームメイトからはお前できないならピッチから出ろよとかお前みたいなやつこのチームに必要ないんだよとかたくさん言われた。本当に悔しくて何も言い返すことができないもちろんプレーでも証明することができない自分が情けなくてグラウンドにあるトイレで大泣きした。誰にも負けたくなかったし見返してやりたかった。だから自分は次の日の朝から毎朝学校に行くまでの時間自主練習をやり続けた。朝早くて暗い時とかは自動販売機のライトを使ってまでやった。二度とあんな思いなんかしてたまるかと言う気持ちで毎日サッカーをやり続けた。サッカーだけでなく、自分のためになりそうな本などとにかくたくさん集めて読みまくった。そして、自分でこれいいなって思ったことはなんでも試した。
そんなことをやり続けて一年ようやく試合にも絡めるようになり自分の良さも出せるようになっていった。じゃあなぜ自分が高校に入ってから全く絡むことのできなかった試合に絡んでいくことができ、自分の良さも出せるようになっていけたのか。それは色々な問題や物事に対しての考え方が変わったからだと思う。もちろん考え方の部分だけでなくサッカーの技術の部分も成長したからだろう。でもやっぱり一番は問題が起こった物事に対してそれをどう考えどう行動に移してどう解決していくかだと思う。例えば、自分の良さが出せなくて中々自分を周りの人に理解してもらうことができない。このような問題が起きた時みんなだったらどう解決していくだろう。自分だったらまず自分のことを理解することから始める。自分は何が得意で何が苦手なのか。自分の長所はこういうところで短所はこういうところだなど。ノートでもいいしなんでもいいからとりあえず書き出してみる。それを考えることができたらもう無敵状態。自分を自分以上に知ってる人間なんてこの世の中どこを探してもいないから。そしたら次はその自分の良さをどんどん出してどんどん伸ばしていく。自信がなくてもあるように見せる。そしたら自分でもびっくりするほど周りに人がたくさん集まってくる。しかもその周りに集まってきてくれた人というのは、自分の良さを理解してくれていて自分を何か魅力的に感じてくれたからだろう。自信は人を大きく見せる。
人というのは考え方次第でどうにでもなる。辛いきついことがあっても時間が経てば笑い話に変わってる。人生なんてそんなもん。なるようにしかならない。
だったら何事も楽しんだもん勝ちじゃない?って思った。