岩波書店『島崎藤村短篇集』の感想文

『島崎藤村短篇集』がとても好きでしたという感想文です。

 先月発売された『島崎藤村短篇集』、解説・略年譜込みで400ページ超えのボリュームで「津軽海峡」「並木」「死」「芽生」、「人形」「平和の日」「柳橋スケッチ」「沈黙」「ある女の生涯」「子に送る手紙」「嵐」の藤村短篇小説の中でも特に有名だったり読み応えのある11作品が収録されています。出ると聞いてからずっと気になっていたのが、「どういう指針に基づいて作品を選んだんだろう……」という点でした。藤村は比較的短篇作品の数が少ないとはいっても50以上の短篇を書いていますし、私事ながら以前私が自分で藤村の短篇集を作ったときにも「どの作品を入れるか」というのは非常に悩んだ点だったので……。

 この点については解説で編者の大木志門先生もしっかり言及されていて、「この短篇集では二十一世紀の読者に向けて、第一には藤村文学の「面白さ」を伝えることを目指した」とのことで、これがまずいち藤村文学ファンとしてめちゃくちゃ嬉しいな~~と思いました。

 解説にも書かれている通り、藤村文学には少々取っつきづらい、いわばお堅い印象がある中、文庫化、それも短篇集となれば今まで藤村文学を読んだことのない人たちの手にもわたる可能性が高いわけで、そういう方々にまずは「へ~~藤村の小説って面白いじゃん」と思ってもらうことが何よりも大事な文学の入り口になるだろうと思うので……。長篇はハードル高くても短篇なら読んでみようかな、という人もいるだろうし、主要な作品は網羅して既存の藤村ファンの期待にも応えつつ、そうでない層にも「まずはここを入口にして欲しい」という意図がとても素敵で嬉しいな、と思いながら大木志門先生の解説を拝読しました。

 

 全体を通して一番意外だったのが、「並木」が初版で収録されているという点でした。御存知の方もいらっしゃるかと思いますが、「並木」は藤村が『文學界』という雑誌を書いていた頃の友人、馬場胡蝶(作中の相川)と戸川秋骨(作中の原)をモデルに書いた作品で、発表後モデルの二人に「自分らはこんな感じじゃないが??」と反駁を食ったために後の単行本収録の際大幅に書き換えられた、という経緯があります。今青空文庫で気軽に読めるのはこちらの書き換え後の「並木」ですし、藤村全集でも新しい方の「並木」がメインに載せられていたような気がします。私もよく読むのはこの改稿版でしたので、なんとなく今回の短篇集でも改稿版が載るんだろうな~と思い込んでしまっていました。

 個人的には若い世代への批判やネコチャンへの扱いがマイルドな改稿版の方が私の好みではあるのですが(その辺のマイルドさが私の好きな藤村文学の「優しさ」とでもいうような側面に繋がっているような気がするので)、改めて久しぶりにこちらの初版を読んでみて、解説にもある通りこれもこれで明らかな力強さがあっていいなぁという気がいたしました。何より改稿版は青空文庫でも気軽に読めるので、紙ベースで初版の方が出てくれると好きな方を好きなときに読み返しやすくなるというのもとてもありがたい……。長篇では『春』や『桜の実の熟する時』、短篇では「並木」や「沈黙」のように、藤村と彼の親しい『文學界』時代の友人達との交流が垣間見える作品が大好きなので「並木」が今回の作品集に入っていたのはとっても嬉しかったです!

「沈黙」には「小竹君」という名で北村透谷も出てきますね! 藤村が斎藤緑雨から透谷宛ての手紙をうっかり開けてしまって狼狽したときに透谷の言った「ラバアからでも来たんじゃあるまいし」という台詞のシーンと、馬場胡蝶、戸川秋骨、斎藤緑雨、藤村の4人で牛肉を食べに行って藤村が酒に酔って吐いたくだりがかなり好きです。人間味がある文豪エピソード、健康に良い……。

 余談なんですが、「沈黙」に出てくる藤村の人間関係観めちゃくちゃ好きなんですよね。「沈黙」は藤村の一人称視点から、疾うに亡くなった友人、斎藤緑雨(勝田君)に語り掛ける形で進んでいく話なのですが、「君は僕を奴隷にし、僕を弄び、僕の生命(いのち)にまで食い入らずにはおかなかろう。それなら、もう沢山だ。/だから僕は死んだ君がやって来て、しみじみと物を言ってくれるの方が可懐(なつか)しい。孤独の幻よ。……」という箇所とか本当に好きで……。生きている人間との交流はどうしたって失望や衝突が付き物だから、それよりか死んだ人間にゆるやかな幻想を抱きながら語り合っていたい、という気持ち……。私が文豪たちに惹かれるのも、こういう心理がないとも言えないので「沈黙」は読むたびに凄く分かるな~~と思います。この辺の人間関係上の心理は、なんとなく勝手に萩原朔太郎の「さびしい人格」という詩にも通ずるところがあるんじゃなかろうかと思ったりします。

 

 この短篇集は年代順に並んでいるというところもかなり読んでいて楽しいポイントでした。解説にそれぞれの時期の藤村の生活なんかについても簡単に触れられているので藤村という人間の人生の流れをおさえつつ、色々な時期の藤村の筆致を垣間見ることができますし……。特に後半に行くにつれてより重厚さが増していくような印象で、そういう作風の変化が手軽に感じられるのも短篇集の面白さかな~と思ったりします。

 後半の方の作品で私が好きなものを挙げるなら先ほどの「沈黙」と、それから「ある女の生涯」です。これは藤村の長姉にあたる高瀬園子さんの晩年を描いた作品で、人間の寂しい一生の終わりが、亡くなっていく園子さんの側にも、藤村はじめ園子さんの世話をする兄弟たちの側にも、その双方に寄り沿うような形で描かれています。どちらか一方のしんどさを押し付けるように書き出すのでなく、多面的な視点からそれぞれの辛さをバランスよく拾っていくところが藤村の穏やかさ、真摯に手探りをしながら生きていこうとした彼の優しさを表しているようでとっても好きです。

 ところでこの高瀬園子さん、藤村の父・島崎正樹さん同様に「狂死した」と言われており(Wikipediaなんかにもそういう風に書いてあったかと思います)作中でもそのように描かれますが、なんとなく『夜明け前』やこの「ある女の生涯」を読むたびに、彼らは別に狂人というわけではなくて、今でいうところの認知症だったんじゃないかなぁと勝手に思うなどしています。認知症として一般的に知られる症状としては物忘れですが、人によっては攻撃性の増加、幻視幻聴、妄想なんかもあるそうなので、小説中で描かれる園子さんや島崎正樹さんの場合にもよく当てはまるような気がします。でも藤村のお父さんは55歳で亡くなってるから認知症にしては若すぎるかな……。

 ともかく、彼らが認知症だったにせよ統合失調症などの精神疾患だったにせよ、何らかの疾患であったことは間違いないと思われるので、当時の記録として「狂死」「発狂」という言葉が使われるのは時代性の反映として残しておくべきかと思いつつ、現代の我々が彼らを指して「狂死した」「狂人」という風に描写するのは憚られるような気がします。

 

 最後に、個人的に好きな作品でこの短篇集に収録されなかった作品を挙げるなら「黄昏」「三人の訪問者」あたりでしょうか。「黄昏」はちょっと重苦しいので今回のコンセプトには合わないだろうな~という気がします。国立国会図書館にて、明治42年の『藤村集』で読めますので気になる方は是非読んでみてください。7~8ページの非常に短い作品なのでサクッと読めるかと思います。

「三人の訪問者」は面白みもありつつふんわり優しいお話なので今回の短篇集に入っていても良いような気はしないでもないですがそんなことを言いだしたらきりがない……。これも「柳橋スケッチ」や「子に送る手紙」同様、随筆と小説の合いの子のようなジャンル横断的な作品なので、そういう意味では「短篇集」というくくりには少々入れづらさもあるかもしれません。これは青空文庫でより気軽に読める作品ですので、こちらも是非合わせて読んでいただけたらとっても嬉しいです……。

 本当に余談なんですが、私かつて小学生の頃、中学受験の模試か何かの長文読解でこの「三人の訪問者」を読んだことがありまして……。その頃は島崎藤村のことも何も知らず、作者が誰かということも気にしていなかったのですが、兎に角この作品が好きでずっと印象に残っていました。模試やら公文の国語のプリントやらで出てくる作品で妙に気に入ったり心に残ったりしてずっと覚えてる文章って意外にありますよね……。私の場合はそれが「三人の訪問者」でした。

 ぼんやりと心の底には残りつつ、中学、高校と特に思い出すこともなく過ごしていたのですが、高校時代の終わりから島崎藤村に傾倒し、卒業後に藤村全集を買って読んでいたらふと突然見覚えのある文章が目の前に飛び出してきたときの私の驚きと感動たるや……。故郷から遠く離れた場所で旧知の親友に思いもかけず再会して、そのまま喫茶店にでも入ってみたら十年の空白をものともせずにあっという間に意気投合したかのような懐かしさと高揚感でした。私はもう小学生の頃から島崎藤村に惹かれていたんだ……と思って、こう言っては烏滸がましいですが、思わず藤村文学との運命を感じてしまいました。本当に好きだ……島崎藤村……。

 

 脱線してしまいましたが、岩波文庫の『島崎藤村短篇集』、とにかく大変素敵な作品集になっていました。大木志門先生による解説も分かりやすく、かつ私の好きな藤村文学の性質を丁寧に拾いながら説明してくれているという印象で、本当に一々首肯しながら読んでしまいました。

「島崎藤村は長篇小説に定評のある作家である。……だからといって藤村の短篇が読まれないことは大きな損失である。むしろ、長篇連載の合間に書かれたそれらは、珠玉の輝きを放っていると言ってよい」
「藤村の文章は平明でありながら奥行きと詩情とをたたえていて、今でも十分にみずみずしい。百年以上前の文章を少しの苦もなく読み進めることができることにまずは素直に驚かされる。……短篇では省筆がもたらす余韻として味わい深く迫ってくる」
「貧困や性差や家制度などは、人間の性質が一朝一夕では変わらないがゆえに今後も容易には解決しないであろう。……そのような危機の時代においてこそ、日本の近代文学とともに歩み、強い理想を持って普遍的な問題と格闘し続けた、数少ない文学者らしい文学者である島崎藤村の作品が、再び耀きを取り戻すはずである」

岩波書店 大木志門 編 『島崎藤村短篇集』

 普遍的な人間の性質を丁寧に真摯に描こうとした藤村の文学だからこそ、作品発表の当時から現代にかけて、百年以上も多くの人間を救い支え続けてきてくれたんだろうな、ということを、この短篇集を読んで改めて噛み締めていました。

 

 今日はちょうど8月22日の藤村忌、1943年に亡くなってから没後79年になります。今年は大磯の地福寺で行われる忌日法要も関係者のみで参加することは叶いませんでしたが、自宅からひっそりと島崎藤村を忍びつつ、これからも藤村文学に支えられながら生きていこうと思いました。

 

 

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