しょくじはみんな、だまってたべる
山を切り崩した古い団地の一角に住みはじめたのは4歳になる手前。棟上げの時は作られていく家にわくわくしていたが出来上がった家は最初のうちは少しは明るく光が入っていた。と同時に
悪い夢を見るようにもなり、家の中はだんだん暗い印象がじわじわと流れ込んでいた。
一人だった私のもとに何箱かのすごろくゲームが届いた。もう使うことのない古い箱でこれで友達を呼んで遊べるんだと思っていた。
しかし、母が家に友達を呼ぶのは嫌だといい家に呼ぶことを諦めてしまった。
誰にも遊ばれもしない何段も積み重ねたすごろくをリビングの横にある和室を開けて一人で4人分のゲームを遊び続けていた。
これが”普通”なのだと
当然、子供じみたモノに興味のない親はすごろくなんてモノには一切触れず付き合いで遊ぶ気すらなかった。
両親は子供と夫婦という形をとればいいと思っていたのだろう。自分でコマを動かしサイコロを振る度、楽しんでいる自分の声と冷めている大人の自分が一緒にいた。
食事が出来上がる。なんの味気もないテーブルに良くできた見映えのいいサラダと少量の肉。座る位置は上座に父親、下座に母親と私
その食事中は父親の説教と母親の食事マナーの時間だった。
あるとき、肉の量が少ないからもっと食べたいというと「子供の平均的な量をあげているのにまだ食べたりないの!?」と怒っていた。子供のうちは金銭事情なんてものを知ることもない。それ以降肉の量は変わらず、かわりに野菜の量が増えていた。
飲み物をのもうと夜中冷蔵庫のドアを開けて飲み物をついでいた。冷蔵庫の明るさに両親の財布を見つけてしまう。母親の財布には千円札が何枚しかはいっておらず。一方父親の財布の中身は一万円札が何十枚と入っていた。
ご飯が少なく出されたのも、おなかが空いてもがまんしないといけないのは財布の中身を知ってしまったからだ。
その事実を知ってしまい自分が元気がないことに気づいた先生が話しかけてきてついその話をしていた。家に帰ってからランドセルから宿題をとりだそうとすると大きな足音で母親がこちらにやってきた。つんざくような声で怒鳴りつけてくるその内容は
先生からの電話で食事でご飯が少ない事を話したことだった。第三者に食べさせてないといわれ、相談した私に激怒し自分の恥をかかせられたとそういうことだった。
宿題する私の手を止め正座させてまで怒鳴り散らす。15時半に戻ってきてマシンガントークが続いて終わった頃には17時。気の済んだ親はその場から離れキッチンに戻っていく
19時には宿題を終わらせないとまたご飯抜きにされるため出来るところまでやろうと宿題をやり続けた。
母親は良妻賢母を演じている自分に酔っていた。食事の時間「黙って食べる」「会話しない」「皿に出されているものはすべて食べる」「好き嫌いしない」「残したら朝食に出す」ルールの上で食事をしなければならない。ひとつでも食べられないと言った場合、テーブルを叩きつけて「指導」が入る。
父親は母親の一言一句すべてに物申して自分の思う妻の理想像を押しつけていく。「方言をしゃべるな」「物音をたてるな」「晩酌を必ず出せ」と
当然誰も喋らない。会話が聞こえるのは大きなブラウン管テレビから発する番組の声。
楽しい雰囲気ではない。まったく
そんな日々を続くなかで学校にも変化が始まっていたことをこれから知ることになる。