法要からの結婚式

明けましておめでとうございます。思い出したF的な感情と言葉を共に自浄して現在の自分に偉いと言ってあげる今日です。

で、仕方無しの親戚の顔見せが終わりまして。結婚式の話の前に急に法要をぶっ混んできやがりまして非常に軽い感じで葬儀の決定するんだなと思いながら喪服を探している次第です。

そんな結婚式の話が盛り上がり昔の話になり、母方の次女の結婚式に同席した親が

高熱で具合が悪い子供の頃の私に何度も解熱剤を入れて最後まで参加していた話をしていたことを笑い話にしていました。

無関心な親も体裁しか興味無い親も同じもんで子供ながらに「こいつら周りの態度にしか興味ねぇな?」と熱で意識朦朧としながらあの時のことを思い出していました。

解熱剤を入れてまで参加したい理由は御祝儀分の食事と接待にウキウキしたくて行ったら子供が熱出して、それが自分の楽しみを潰されたくなくて解熱剤飲ませて結婚式に参加したかった。

その当時、結婚式を途中退席して病院に連れていくという選択肢はなかったみたいでした。子供の命より結婚式に同席するのが大事これは「毒親」の成り立ちにでもなるんじゃないでしょうか。

まいにち、家では説教という嫌味嫉みにさらされては「気に入らないなら家から出ていけ」と何度も言われ続け「泣けば許されるのか」とか「謝ればすむ話しか!」とめんどくさい妄言に成人越えるまで我慢していました。

出ていけと言われて、まあ一度出ていきましたが親の言うとおり「私がいるだけで不快になる」という事実はあの家から解消されるというのになぜか連れ戻しに来たんですよね(笑)

あれ?出ていけって言ってませんでしたっけ?

成人したあとでも何度も言われたので、これはもう出ていくのがこいつらは気分が晴れやかになるんだ。なるほど、じゃあ就職まだかかるけど、自分でどうにかするしかないよな。と一人暮らししたと

    あの環境で誰も助けてはくれなかったんだと、親の都合と見えない体裁に振り回され病院や気づかいすら与えられなかったあの頃、
やるならさっさとやれよと後始末が嫌だから生かしてんだろ。と
産んでくれたなよくも、てめぇの不始末後始末なんかやらないからなクソッタレ

今の私ではこれが精一杯です(笑)
あれ(毒親)が産み分けしたくて産んだとか親戚にほざきまくってたんであの頭は一生なおらないのでしょうね。


帰り際、ハンカチを渡されました。
「別れ」の意味ということも含まれている。

毒親はハンカチは大量にあったのでいくつかは別れを切り出されたんでしょうか(知らね

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