伝統の「してあげたから」
聞かれてもないのに、「あれやっておいたから」と先回りしてる親がいる。
自分の身の回りの片付けをする時は、
決めた場所に整理している。
しかしその先回りの「してあげた」ということにより、片付けてあったボックスには別のものが入り、いれたはずの物が抜き取られていることが頻繁にある。
そして、場所を勝手に変えられたことで
どこに“置いてあるのか”わからないときが
あり、結果探すのがしんどくなる。
片付けマップに印した部分に落書きされたらそらぁ、もう未開の地になりますわ。
残念なことに私のリビングだったものは。
上がり込んだ親の趣味でコーディネートにされてカーペットを敷いたのち、釘を畳に差し込んで連休になるとその場でゴロゴロしています。
私の家じゃなくなってるんですよね。
多分親の家自体お化け屋敷になってるのかわかりませんが。正直、知らん。
毒親や毒ではない方も「誰かにしてあげた」ことは大いにあると思います。だいたいそれって自己完結で終わっていて。
特にプレゼント。サプライズしたいからって黙ってて好きそうなプレゼント渡してみたら存外いい顔されなかったっていうこと。
あるんじゃない?(私もー!)
このしてあげた中々厄介で、こちらが言葉にして伝えない限りロマンチック暴走止まらねえェゼ!ヒャッハー!
という相手側の妄想に付き合う羽目になります。
それでまあ、こちらもいい顔して気を使うとまたさらにパワーアップして今度はマッド
マックス並みに苛烈を増します。
そうなるともう止まりません。でもこちらが言葉で伝え今度のプレゼントはこういう時に言うからね。といえばだいたいわかってくれます。他人であれば
しかし、身内に対して癒着の激しい毒親は
「してあげたのに文句言うの
ねぇーん!!アタシが一生懸命探してあげたのにーゥキィー!」
こうなります。
おかわりいただけただろうか。
(あ、すいません。替え玉一つ)
身内なら自分の考えも全て私の意のまま
願いごとを叶えるランプの魔神だと
勘違いなさる方いると思います。
ああ、ちなみに私の両親はあげるあげないは自分たちの気分でプレゼントするような人で
自分たちが贈るプレゼントは貸出品か何かと勘違いしていて、
プレゼント買った=俺のモノ
定義が毎回発生していました。
一番厄介だったのは、お祝いと
してパソコンをプレゼントとして買ってきておいて
母親が私物にされたと勘違いして
パソコンを取り上げたことですかね?
その後のパソコンはどうなったかって?
親のモノになってます!!
子供の頃に親が買ったものはだいたい
親のモノになります。興味なければ捨てられるが常套手段
ゲーム機とソフトはお年玉徴収される前に自分で買っていました。
両親の金銭感覚はパチンコ行ってたり、使わないブランドバッグ買ってたりお年玉徴収と学資保険を解約してまで使い倒してたみたいですけど
まあ、預かってたお金。5万消えてた時には金銭感覚バグリーな親を持ったもんだと
反面教師にしています。
この上で毒親というのは
自己保身、モラハラ、精神虐待、軟禁セット
でつきますので
まあ、母親も信用に値しないので後見人になったらまたブランドバッグ買ってたりするんでしょうかね?
さて「してあげた伝統」は誰に対しても
厄介なものだし、そこからの打開策は
自分からしてほしいことを言葉にすること。
「あの人ならわかってくれる!」
ロマンチック暴走が止まらねぇゼ!な人は
毒(親)の人一歩手前です。
そこに気づいたなら常人です オメデトウ!
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