大人になるってどういうこと?
今でこそ学生という身分にいますが、社会人という状態を数年間経験しましたし、成人式に出席したのはもっと前です。書いてみると成人というのはすごい言葉ですね。「人に成る」と書いて成人。それまでは人ではないのでしょうか。人とは何でしょうか。
タイトルにもある通り、大人という言葉もありますね。大きな人と書いて大人ですが、この「大きい」というのは必ずしも背丈だけのことではないでしょう。なにが大きいんでしょうか。
ここでなにか答えを出そうとは思っていませんが、もやもやをここに書いて晴らしたいです。
子どもとふれあうバイトをしていると、子どもたちが社会性を育む場として正しい空間を提供したいなあと思うものです。
善悪の判断はもちろんのこと、自分と他人の境界ですとか、他人とどのように関係性を構築するのか、その空間における規範をどのように形成していくのかなど、子ども同士のやりとりの中で、社会性をじわじわと身に着けていく様子をよく見ます。
また、その中に大人の社会の縮図のような、片鱗のようなものを垣間見ることもあり、感心することも多いです。
他方、実際の大人の社会に目を向けると、なんだか大人だけがいるわけじゃないように感じませんか。大きな体をした子どもが、社会にはたくさんいるような気がすることはないですか。自分自身はいかがですか。
私自身も、子どもたちの立ち振る舞いを通して、私の中にある未熟な部分を見つけることは少なくありませんし、このまま未熟さを感じながら年だけ重ねていくものなのかと、少し不安になったりもします。
と、ここまで書いてきたのも自分の未熟さなのかもしれませんね。
『かんぺきなこども』という絵本があります。
作者はフランスの絵本作家兼教師の方だそうです。
内容はぜひ読んでみてご確認ください。しかし、もうお分かりかと思いますが、「完璧な子ども」なんているんでしょうか。
そして、「完璧な大人」なんてのはいるんでしょうか。私も、自分の未熟な面を抱えて生きていくのでしょうね。自分だけでなく、関わる人すべてが抱える子どもの面も受け入れていきたいものです。
とりとめのない話をつらつらと書きましたが、おかげさまですっきりしました。考える過程で見つけた動画を貼っておきますね。
なお、自分の未熟な部分を見つけることができるってのは、逆に言えばその部分のステータスを上げる余地があるってことですね。ゲーム感覚ですべてやり過ごすことも難しいでしょうが、できる範囲で楽しく生きましょう。
♪今日の一曲
理解できないものでも、感じ取ることはできるような気がします。
頭をぶっこわしましょう。
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