愚痴や他人の悪口等は、毒抜きになんかならない。
飲み屋や自宅、その他プライベート等で、人に愚痴や誰かの悪口や、また何処ぞの真面目で優秀な人の粗探しによる揚げ足を言う事については、
「私、妬んでます。」
「私は知的じゃありません。」
「私は賢さには欠けます。」
「私は大人げないです。」
等と言っているのも丸出し、それ同然のようなものではないかと。
知的さ、賢さに欠ける人間であるのがそれで構わないなら、まあ好きにすれば良いと思います。
ですが、飲み屋、飲み会で、愚痴や他人の悪口や揚げ足を言う事について、よく毒抜き、毒抜きって言いますが、
しかし、愚痴や悪口や、何処ぞの真面目で優秀な人とかの揚げ足を言って他者を不快にさせたなら、また大抵それは何処かで自分に返って来るか、言う側は自分の心や自分の中の知的さや貫禄さを汚し、失うような事にもなりかねないとは思いますが如何でしょうか?
それとも何でしょうか?
若い頃から、愚痴や悪口や揚げ足を全く言わないストイックで真面目で理知的な人は、必ずしも、年を取ってから犯罪や暴力事件や自殺等、事件を起こすものでしょうか?
必ずしも、そんな事は無いですね。
別にそうでもなく、
読書や運動、筋トレやスポーツや武道、瞑想とかで発散出来ていて心のケアが上手いなら、問題無いと思います。
そのような方も全国には沢山居るかと思いますが、そのような人はやはり、浮いた存在になるのでしょうか。
しかし決して悲しい存在にはならないとは思います。
理知的な人は、理知的な人同士で仲良しになり、同盟を作れる、もしくはいずれは孤高に生きれると思いますが如何でしょうか?
ただそういう人達は そうでもしなければやっていけない(哀しい)弱さ
能力 環境にいるのだと思います。
おじさん達とかが居酒屋で愚痴っているのを見ると同情?哀しみ?を感じます。
ご家庭でも多分、家長としての位置を剥奪されているのかなぁ…?と。
大変おこがましい言い方かも知れませんが、この世の中、人間社会はピラミッド型、ヒエラルキーで成り立っていると思うのです。
一般庶民は ヒエラルキーの中の
「下の中〜中の中位」で一番厚い層だと思うのですが…。
そういう人達(前者)は、その層のなかでは平均的な生き方だと思うんですね。
そして時には「悪口を言い合う仲間」は いつ自分も言われるか分からないと言う恐怖?不安?で常に連んで、(つるんで)いないと安心出来ないと言うデメリットを抱えていると考えられます。
「中の中〜上」の人達になるとあなたの仰る後者の方が多いと思います。
(後者)の人は 前者の多い層にいれば当然浮いた存在になると思いますが、「同層〜上層」の中では それが
当たり前の事で何ら違和感は無いと言う事になるのです。
後者のような方は、前者の層では
生き辛い事も多々あると思いますが、その方は、どうそプライドをもってご自分を貫いて下さい。^_^
ご活躍を願っております。
蛇足ですが、
もっと上層部になると庶民からはかけ離れた基準なり常識があると言う事ですね…。^ ^