元オウムの上祐史浩氏の講話『怒らず許す事の大切さについて』や、『怒りについてどう考えたら良いか』『被害妄想や誇大妄想をする人の心理について』等をずっと前にYouTubeで聞きました。それらについて。他、云々。
ふぅむ。ふむ。
「○○言えば、△△」「△△言えば、○○」
『ああ言えばこうゆう(上祐)』
『こう言えばこうゆう(上祐)』
要するに、天の邪鬼になるのか?
もしくは、そんな奴等は妄想性か境界性の、人格障害者か?
人を許す事は大事。しかし一方的に許すと舐められる。加減は難しい。
仏様の物差しって本当、難しいね。
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元オウムの上祐史浩氏の講話『怒らず許す事の大切さについて』や、『怒りについてどう考えたら良いか』『被害妄想や誇大妄想をする人の心理について』等をずっと前にYouTubeで聞きました。
あれは正直、なかなか素晴らしかったですね。非常に分かり易くて説得力がありました。
精神科医顔負けかと思いました。
『被害妄想とは自己愛の表れであり、自分が被害者となって自分の不幸を他人のせいにしたりします。若者にこう言う人達が増えています。』
『誇大妄想は、無理に良く言えば一つのロマンですね。例えば、スターウォーズや、宇宙戦艦ヤマトでは、最初は弱くて情けなかった主人公が、最後に巨大な敵を簡単にやっつけちゃうと言うロマンがあります。それを見て、つい自分と同一視させてしまう者もいたりします。』
『善業と悪業は繋がっている以上、悪い事をしている他人がいた時、怒ったりしても仕方が無い。他人にだけ変わって貰おうとしても間違いで、自分がどんどん変わらなければならない。』
等。
野口嘉則さんの著書なら「鏡の法則」や「幸せ成功力を日増しに高めるEQノート」も私は読みましたので、そちらと照らし合わせてもよく分かります。
ズルや悪事を働いている他人がいれば、過去に悪事や過ちをした自分を思い出して、それと影を重ね合わせれば良いのではないだろうか、その場でその相手がまだ未成熟なところがあるだけだと考えて一旦は許すと言う考えです。
人間は年を取れば段々と色々と他者の事を許せるようになって来る。
やはり、これまでに誰一人として、ズルい事をしたり嘘を付かなかった事、他には小動物に対するイタズラでも嫌な冗談でも何でも、羽目を外した事の無い人なんて、やはり恐らくはいなかったであろうと思います。
上祐さんの言う通り
「他人の事ばかり批判せず、どんどん自分が変わるべき」ですね。
彼はやっぱり元オウム信者の中では特に賢い人ではないか、と思いました。
松本(偽名:麻原)とはやはり違うんだなと感じました。言っている事がしっかり計算されていて、満更、間違ってもいなくて最もらしいと思いました。
あの上祐さんなら、初めから弁護士とかになっていれば腕が立ったのではと言われていますが、そこは同感です。
皆さんは如何思われますか?
また、私はフェイスブックの某コミュニティ内でも、
私なら、多少は性根が悪い輩が居ても一方的には悪く言わず、良い面も指摘して許すのですがね。
そしたら、そいつはどんどんつけあがり、更に暴言を吐きまくる。
俺はO氏やK氏が暴言吐いていても「O氏やC氏も、普段は本読むのも好きで頭も良いからきっとストレスも溜まり易いのでしょう。ここは暖かい目で見守るしかなさそうです。」と他の方達にも話して、そっとしておきました。そして散々、許して来ました。
ある日、やがて私も我慢に限界が来て、はっきり言いたい事を述べたらO氏やC氏は私につっかかり、私は彼等を再びブロックしなくてはならなくなり、結局はまた通報して再ブロックする形になりました。
埒が空かないから、私は彼等と関わる事はおろか、そのコミュニティに近付く事自体を辞める事にしました。