【おはなし】ばけもの
ほかのみんなに比べて、彼のすがたはとてもいびつでした。
岩のようなからだは見上げるほど大きく、皮膚はウロコのように硬く、鼻はつぶれ息をするたびに煩わしい音が漏れています。口は不恰好にゆがんでいて、とがった歯はばらばらに並んでいました。
そんな見た目をみんながこわがったので、彼は町に住むことができず、仕方がなく森の中でひとりで暮らすことにしました。
森の端のほうに小屋を建て、木の実や小さな虫や動物をつかまえて食べ、夜は星を見たり、本を読みながら眠ります。
そうやって季節が過ぎていきましたが、彼のすがたはまったく変わりませんでした。
本によればほかのみんなは、月日が経つとだんだんと髪の毛の色が変わったり、皮膚が垂れ下がったりと少しずつ見た目が変わっていくものだといいます。
しかしくる日もくる日も、のぞき込む川面には同じようないびつな顔がうつっていました。
不思議に思ったので、彼は顔を隠してこっそり町へ出てみました。
しかし町の入り口をくぐると、そこは自分の知っている景色とはまったく違っていました。
建物は見たことのない形のものが並び、通りは舗装され、さらに町の奥のほうにある第二観測塔はもう使われていないようでした。
町の子供にたずねると、第二観測塔は封鎖され、鍵がかけられ誰も近づけないようになっていると教えてくれました。その子の観測師のおじいさんが生まれる、ずっと昔の話だというのです。
彼はそれを聞いてとても驚きました。自分が森の中で月日を過ごしているうちに、何百年もの時間が経っていたのです。
どうにも居心地のわるさを感じたので、子供に礼を言い怪物は見慣れない町をあとにしました。
何百年ものあいだ、彼は同じすがたでずっと生きていました。この世界にそんな人間はいません。こうして、彼は自分が怪物なのだと気づいたのです。
ーーー
森の中がやけにさわがしいようでした。
たくさんの人の声が遠くから、だんだんと小屋のほうに近づいてきます。
怪物が耳をすませていると、突然扉が開き、大勢の人間が小屋の中に飛びこんできました。手には武器を持っています。
お前が町にきた怪物だな。■■■!■■■■!■■■■ ■■。子供が襲われかけたらしい。■■■■■。■■ ■■■!本当にこんなところにいたのか。なんてひどいすがたをしているんだ!
人間たちが口々に色々なことを言いました。森のこんなところまで人が来るのは、小屋を建てて以来はじめてのことでした。
怪物があわててただ立ち尽くしていると、突然後ろから体をおさえられ、頭に布をかぶせられてしまいました。そのあと頭に強い衝撃を感じ、怪物はなにも考えられなくなりました。
気づいたときには捕えられてどこか、知らない暗い部屋の中にいました。
よく声の響く、広い場所に閉じこめられているようでしたが真っ暗で、叫んでみてもなにも起きはしませんでした。手だけで暗闇の中を探ってみましたが、窓や扉のようなものは見つかりません。それどころか、まるっきりなにも見えませんでした。
どのくらい時間が過ぎたでしょうか。閉じこめられていることより、まったく何も見えないことの方が怪物には堪えました。
いつまで経っても辺りが明るくならないので、顔に布をかぶせられたまま、あるいはひどく深い夜なのだと思っていましたが、どうやら違うようでした。おかしいなと思っていた違和感に、怪物はやっと気がつきました。
彼の目玉はくり抜かれていたのです。
ーーー
ひとりで過ごすことには慣れていました。
それよりもこの見た目を子供たちがこわがるといけないので、隠れて過ごすことは仕方がないと思っていました。
暗い夜でも、本を読んで待っていれば朝がくるし、森の中は日々変化していて、季節がうつろえばそれなりに楽しみもありました。
しかし目玉を奪われてしまってはこの先ずっと、長い時間を暗闇の中で過ごしていかなくちゃいけない。本も読めない。いったい自分が何をしたというのだろう。そんなのはあんまりじゃないか。顔にあいたふたつの穴からは、涙を流すこともできませんでした。
いっそ力まかせに暴れて、手当たりしだいに壊してしまえば、こんな気持ちを忘れていられるだろうか。
心臓が体のなかでうるさく飛び跳ねているのを怪物は感じました。黒いものがそのたびにふくらんでいきます。
おれを見るさげすんだ顔も、あざ笑う人間たちも、変わってしまった町もどうせおれにはもうなにも見えやしないんだ。それなら、どうせ。
「大丈夫?」
はっとしました。
どこからか聞こえてきたのは覚えのある声でした。
ーーー
「その、ごめんなさい」
声の持ち主が言いました。
「きみは誰だ。どうして謝ってるんだ」
「私があなたのことをみんなに話したから」
「それは」
「そしたらみんなを勘違いさせてしまって、こうなっちゃったの」
声が震えていましたが、こないだ町で話した子どもだと分かりました。
「あなたをここから出してあげたいの」
「ここはどこだ?」
「第二観測塔の中よ」
「出られるのか」
「抜け道を知っているわ。よくここで遊んでて怒られたものよ」
「きみのおじいさんは観測師だったと言ったか?」
「おじいさんのおじいさんよ。いや、そのおじいさんだったかな?」
「おれが逃げたらきみが叱られるんじゃないのか」
「いいの、それより早く」
「でも目が、ないんだ」
「目が?」
「うん、奪われたみたいだ。おれのような気味の悪いやつ、閉じ込めておくだけじゃ不安だったんだろうな。おれにはもうなにも見えない」
「そんな」
「ありがとう。おれのことはいいからもう行ってくれ」
「また来るわ」
「来なくていい。こんなことになって分かったが、たぶんおれは死なないんだ。どんな目にあっても、大丈夫」
「いいえ、また来るわ」
「いいってば」
その子が去っていくと、観測塔の中は驚くほど静かになりました。
ーーー
観測塔の中はひんやりとしています。声の反響からすると、高い吹き抜けのような形になっているみたいでした。
暗闇の中の一日は思っていたよりもはるかに長く感じました。
耳をすますとたくさんの音が聞こえてきます。子どもたちの笑い声、鳥の鳴き声、木々のざわめく音、そして自身の心臓の音。
今が朝なのか夜なのかも分かりませんでした。
長い時間があったので、怪物は昔のことを考えていました。
町に住んでいたころ、歩いていただけで子どもが泣き出してしまったので、顔をかくしてあわてて逃げたことがあったな。思えばその出来事が、町をはなれて森で生活するきっかけだった。
そういえば森の中でひとりで暮らすと決めたとき、小屋を建てるのを手伝ってくれた人がいたっけ。
笑顔の似合う、すごくいいやつだった。
顔は、もう思い出せない。長い時間が経ったんだから、無理もない。
こうやって、大事なことも大切なことも少しずつ忘れていくのかな。おれにはもう、暗い世界しか見れないというのに。ああ、もう。
「こんにちは」
ふいに声がしました。
「いつからいたんだ」
「少し前からよ」
「来なくていいと言ったのに」
「あなたをここから出してあげたいの」
その子が聞き覚えのある声で、きのうと同じ事を言いました。
「いいんだ。もうおれみたいなやつにかまうな」
「あなたは自分のことを気味が悪いと言っていたけど、ぜんぜんそんなふうには感じないわ」
「そんなはずないだろう。でなきゃこんなことにはなっていないさ」
「いいえ、それは私が悪いの。ごめんなさい」
その子の声が小さくなってしまったので、怪物はあわてて続けました。
「いいんだ。おれも、対話をしてこなかったから」
「対話?」
その子がたずねました。
「子どもたちがこわがるというのを理由にして、おれは他人から逃げていただけだったんだ」
怪物がうつむきながら言いました。
「森の中で閉じこもってたら、時間だけがこんなに経ってしまった。もう、取り返しがつかない」
森でひとりで暮らすと決めたとき、何人か反対してきたやつがいた。そいつらは、今までどおり町で生活すればいいじゃないかと言ってくれた。それをおれは断ったんだ。
その子が黙ってしまったので、観測塔の中はしんと静かになりました。
「提案があるんだけど」
そのまますこし時間をあけたあと、その子が口をひらいて言いました。
「わたしの目を、ひとつもらってくれない?」
「なんだって?」
怪物がおどろいてきき返しました。
「どうして」
「聞いて。おじいさんが言ってたの。ここから申の方角へずうっと行ったところに、最果ての町があるって」
「なんだそれは?」
「最果ての町には、第七観測塔っていうのがあって、そこからはこの世のすべてが見えるって」
「そんなの、おとぎ話に決まってるだろ」
「確かめてみなきゃ分かんないじゃない」
「じゃあ自分で確かめるんだな」
「出来るならそうしたいわ。でも」
「でも?」
「私はもう長くないの」
「長くないというのは?」
「流行り病でね。もうすぐ死んじゃうんだって」
その子が変わらない口調で言いました。怪物はなにも言えませんでした。
「だから、あなたが行って確かめてきてよ。私の、目を使って。お願い」
「そんなの、いや、だめだ。目をもらうなんて」
「死んじゃうんだよ私」
「それは」
「ひとつ無くてもうちには帰れるわ」
「そういうことじゃない」
「だから、お願い。時間ならたくさんあるんでしょう」
ーーー
観測塔の中は声がよく響きます。
「本当にいいのか?」
怪物がおそるおそるたずねました。思わず大きな声が出てしまったため、声がはねかえり壁が震えました。
「いいわ」
声の響くのが止むまで待ったあと、その子は静かに答えました。
怪物が息をのんだのを合図に、その子が怪物の正面に座りました。
「さて、用意はいい?」
その子がそっと片目を取り出しました。つまんでひねると、簡単にとり出すことができました。思っていたより痛みはありません。
「こっちにきて」
怪物がゆっくり顔をさし出しました。2つの空洞の片方に、その子は目玉をはめます。
鍵穴に鍵がぴたりとはまるように、まるで元からそこにあったかのように、目玉はしっかりと空洞におさまっていました。
怪物がひさしぶりに光をうけとりました。
観測塔の中は思っていたよりも小さくて、でも思っていたよりも明るくて、怪物はまばたきをくり返します。
前よりせまくなった視界のまんなかに、その子が立っていました。
「ずっと思い出せなかったんだ」
ふと、怪物が言いました。
「一緒に小屋を建ててくれた人の顔が」
「友達がいたんだ」
「友達。そう、友達だ。今思い出したよ」
そのときかいだ草のにおいまで、よみがえってくるみたいでした。
「あいつはきみのおじいさんだ」
怪物がうれしそうに言いました。
「ほんとう?」
「ああ、間違えるはずがない。きみたちはそっくりだよ」
「あなたを助けることができたから、おじいさん、ほめてくれるかな」
あいつと同じ、とびきりの笑顔でその子が言いました。
「きっとほめてくれるさ。きみたちには助けてもらってばかりだ」
その後ふたりはなにも言わないまま、手を取り合って観測塔の外へ出てゆきました。今日の日の出が、地平線から顔を出すところでした。
「行って。みんなに見つからないようにね」
「きっと、最果ての町を見つけてくるよ」
「うん」
「この体と、きみがくれたこの目で」
「うん」
「第七観測塔をさがせばいいんだろ」
「うん」
「おれが連れてってやるからさ」
「うん」
「だからさ」
「うん」
「きみもがんばれよ」
少しずつあたりが明るくなり、ふたりはまぶしくて目をほそめました。
「いろんなものを見てきてよ」
返事のかわりにその子が言いました。
「私が見れないいろんなものを、たくさん」
「ああ、いくらでも見てきてやる。時間ならたくさんあるんだ」
第二観測塔をあとにして、怪物は手をふってその子とわかれました。
知らない町並み、森のけもの道、住み慣れた小さな小屋へ、怪物は迷うことなく進んでゆきます。
やることが決まっているときには、こんなふうに強く歩いていけるのだと怪物は気づきました。目玉はひとつだけになったけれど、怪物には不思議と周りが鮮やかに見えるような気がします。
荷物をまとめて、すぐにでも出発しよう。
第七観測塔からは、どんな景色が見れるだろう。
そこへ行くまで、どんな冒険があるのだろう。
怪物は歩きだします。
最果ての町まで。
きみと一緒に。
おしまい
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