出会いと、別れと。
個人差はあるにしても
生きてる間にどのくらいの数の人と出会って、別れるものなのかと
ふと思うことが。
出会いと言っても
互いに名乗ったり、名刺を差し出したり、というものばかりじゃない
電車で隣に座った人
出先で立ち寄ったコンビニの店員さん
ベビーカーに乗せられてた時に、「うわぁ、ちっちゃいね」とか言いながら顔を覗き込んできた大人たち
それもぜんぶ出会い
出会って一瞬で別れがきて、もうそれっきりってこともあれば
関係が細く長く続くこともあれば
死ぬまで寄り添う人もいる
きっとまた会える、また会いたい、と思っていたのに
結局あの時が最後だった、ってなることもきっと珍しくない
そう思うようになってから、
なるべく会いたい人には、自分から会いに行くようになった
次がないかもしれない、から。
人と別れる度に
「もうこれが最後かもしれない」なんて思っていたら身が持たないし
普段はそんな風には考えないけれど
前回会った時を最後の別れにしたくなかったら、会うしかない。
でも「会えませんか」って言いだすのはちょっと重い、とか
断られたら嫌だな、と思って結局言いだせないままになったり
そもそも連絡先も分からなかったり
会えず仕舞いになることもあるけれど。
ーーー
「忘れられない人になる」
社会人になったばかりの頃、どんな人になりたいかって聞かれると
いつもそう答えていた
日々、繰り返す出会いと別れの幅が
学生から社会人になるとぐっと広がるような気がしていたから
みんな毎日いろんな人と会って
いつのまにかその人のことを忘れていく
その中で「あの人、今頃どうしてるかな」とか
何かの拍子に思い出してもらえる人になりたいと思っていた
「忘れられない人」って、言い方を変えれば
「また会いたい」と思われる人になりたかったのかもしれない
美人でもないし、仕事が飛び抜けてできるわけでもないし
そんな印象を誰かに残すなんて簡単なことじゃないと後々気付いたし
社会人10年目になった今
「忘れられる人」でもいいかな、と何となくと思える
多分それは
人に忘れられようが、忘れられずにいようが
私が「会いたい」と思える人に、たくさん出会えたからだと思う。
「誰かに必要とされる自分」から
「誰かを必要とする自分」にアイデンティティが移り変わったのかも。
なんだかそう言ってしまうと、弱くなってるようにも思えるけれど
この変化はなんとなく自分の中で肯定的に受け止めている。
今はもぐら生活中だから、日々の出会いも別れもだいぶ少ないけれど
これからも「また会いたい」と思える人との出会いが
ありますように。
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