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vol.2 吉沢さんのこと

もともと、私はタバコが好きじゃない。
あの匂いも煙も、苦手。

だから、外でご飯を食べるにも、ちょっと出先でお茶を飲むにも
自分で選べる時には禁煙か、ちゃんと分煙されてるお店に入るのが習慣になっている。
ちゃんと、というのは、「分煙」とか書いておいて、入ってみたら
「ここまでが禁煙席です」って言われて、案内されてみたら、隣の席の人がぷかぷか煙を燻らせている、そしてその席との間には壁どころか衝立も何もない、なんて店もいまだにあるから。
そんなのは分煙とは呼ばない。

でも、全席喫煙可なのに通ったお店が過去にひとつだけある。
samedi-midiというカフェ。そのオーナーが吉沢さんという方だった。

大学時代に一人暮らしをしていたアパートのそばで、ちょうど大学に向かう道の途中にあった。入学してから間もなくして、時折、ふらっと立ち寄るようになった。

気分転換したい時、
人間関係に疲れた時、
ちょっと人と話したくなった時、
特にこれといって何もない時も。

samedi-midiには、ひとりで足を運ぶのが好きだった。
だんだん、学年が上がるにつれて、知り合いにバッタリ会うこともあったし、一緒に行こう、と誘われて人と行ったこともあるけど、どちらもあんまり良い気はしなくて。
カウンターの端っこにひとりで座って、書きものをしたり、本を読んだり、ぼんやり考えごとをしたり、吉沢さんと、時にはたまたま居合わせた人を巻き込んだり、巻き込まれたりで他愛もないことを話しながら過ごすのが好きで、
なるべく空いてるタイミングを選んで、寄るようにしていた。
1〜2時間もすると、近くの席にタバコを吸うお客さんが座って、煙が気になってきたら、私の中ではお暇の合図、ということにしていた。
髪や服にタバコの匂いがつくのは嫌だったけれど、今でも不思議なくらい、そのことが気にならないほど、それを差し引いてでも、あのお店で過ごす時間が大切だった。

きっとそうなったのは、紛れもなく、吉沢さんの人柄があってこそ。
話したい時は話し相手になってくれるし、静かに過ごしたい時は、ただただそっとしておいてくれる。
人はいつも同じものを求めて、同じ場所に行く訳ではない、と今ならよく分かるけれど
口にしなくても、自然と、なんで今日ふらっと寄ったのか、その時に1番ちょうどいい距離感と接し方を感じとってくれる人だった。

お店の雰囲気って、その店を切り盛りする人そのものだな、と今でも思う。
内装とか音楽とか、肌に合う合わないとか、好き嫌いはあるけれど、
そこにいる人以上に影響するものはないな、と思う。

少し気まぐれなお店で、毎日14:00くらいから、日によっては16:00過ぎからなんとなく開いていて、閉店は24:00。
でも25:00くらいまで開いていることも多かった。
日付の変わる間際にお客さんが入った時には、小一時間は過ごしてもらおうと思って、そうしてるとか。
私が留学から帰ってきた頃にはランチタイムも営業するようになっていて、その時間帯はもともと美容師、いう奥様がお店に立っていたけれど、お店を回すのは基本的にはひとりで。
いつだったか、中にはバイトさせてほしいと言ってくる学生もいるけれど、断っている、と言っていた。
それを聞いて私はホッとした記憶がある。
奥様は別として、バイトの人が入ったら、その人がどんなに良い人であっても、その店から足が遠のいてたような気がする。

samedi-midiが突然閉店したのは、たしか2009年の秋ごろ。
ある時、店の外にテーブルや椅子が出されていて、大掃除かな?と思ったのだけど
その後、お店の入り口に1枚の張り紙が貼られていた。
閉店の理由は分からず。ただ、どうやらお店を閉めることはお客さんには一切言わなかったとか。

通っていたお店がなくなるって、ほんとに心の中にぽっかり穴が空いたような感覚だった。

近くにあったアパレルのお店の知り合いに、カフェを続けてほしいと頼んでいったようで、
間も無くして同じ場所で別のカフェがオープンした。
内装もインテリアもほぼそのままだったけれど、全然違うお店のように思えて、そこに以前の様に定期的に足を運ぶことはなかった。

むしろ、行くと何だか逆に、吉沢さんがいないのに、その場所に同じようなカフェがあることに違和感と寂しさが募ったのかもしれない。

そのカフェの新しいスタッフさんは、「(吉沢さんは)しばらくはお店はされないみたいです」と言っていた。

最近分かったのは、そのアパレルのお店の知り合いの方が、カフェをやったのも1年ほどで、今はまた更に別の人がもう9年近くオーナーとしてお店をやっているということ。

samedi-midiの閉店から早10年。

今でも時折、どこかでお店やってないのかな、とふと、突き止めようもないことを考えてしまう。

でも、結局あれから別のお店を始めたとは限らないし、探そうにも、私が吉沢さんについて知ってる(覚えてる)ことって、結構少ない。

思い出せるのは

・3歳くらいの息子さんがいたこと(もう今頃は中学生?)

・若いときにアメリカで旅をしていたことがある

・もともとはパン屋になろうと横浜のポンパドゥールで修行していた

・お店を持つ前に、別の喫茶店で働いていたことがある

・シフォンケーキを作るのが得意

・(メニューにもあった)カルボナーラの味には自信がある

・海が好き、サーフィンが好き

・週1回の定休日は、よく海へ行く

・バイクが好き

・いつか海の見えるところでお店をやりたい

・美容院が併設された、奥様と二人でできるお店も考えている

持ち合わせているヒントはこのくらいしかない。

あとは、samedi-midiの壁面を埋め尽くしていたファイヤーキングの食器。少しずつ買い揃えたみたいで、とても大切にされていた。お店をしなくても、あのファイヤーキングたちは、手放さずにいるかもしれない、と思ったりする。

ちなみに、吉沢さんという名前は、通い始めてから随分後になって知ったことで、呼び方はずっと「マスター」だった。
誰に言われるでもなく、なんとなく「マスター」が1番しっくり来る人だった。
きっと今でも、どこかでバッタリ会うことがあったら、道端だろうと何だろうと「マスター!」と呼んでしまうと思う。

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