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2023/12/11 岩出拓十郎 インタビュー(再掲)
須見 名前と年齢と今の肩書き。
岩出 名前は岩出です。一応、岩出拓十郎でやってて。年齢は三十一。肩書きは、まあ………うん、まあ、ミュージシャンで。
須見 一応どういう音楽で?
岩出 どういう音楽か。まあ、ロック。
須見 差し支えなければバンド名とかも。
岩出 本日休演とフー・ドゥ・ユー・ラブとラブワンダーランド。一応三つがメインかな。
須見 幼少の頃どんな感じやったすか?
岩出 幼少? 幼少、か。いつから?
須見 小学校まで。
岩出 一番最初の記憶は、なんか公園で鳩を追いかけてたね(笑)。上野公園で。で、なんかふとね。うん。追いかけてんなみたいな、それをまた思い出して。あれってなんか前のことだな、みたいな。感じで思い出したんだよね。ああいうことあったなみたいな、ああいうことあったなって思ったのが最初かもしれない。
須見 自意識によって。フラッシュバックというか、取り戻したみたいな。
岩出 あれ俺だったなっていうかね、うん。やったんだなみたいな。
須見 じゃあ、小学校の頃は?
岩出 いや、ちょっと待って。小学校の前にめっちゃ入院してたわ。
須見 ええ?
岩出 あの、あれで。喘息で。
須見 へえ。
岩出 喘息と肺炎。喘息から肺炎になって。あとアレルギーみたいな、いくら食べたら運ばれてとかあって、三、四回入院した。
須見 体弱かったんすか?
岩出 体弱かったね。
須見 じゃあ、あんま外で遊ぶとかしてないんですか?
岩出 いや、外で遊んでたよ。でも、なんかそういう病気とか、アトピーもあったしね。
須見 入院中のこと覚えてますか?
岩出 入院中はね。ドラえもんのぬいぐるみを買ってもらって。で、親が一緒に泊まってくれる時は良かったんだけど、なんかある時期から泊まってくれなくなって、それでめちゃくちゃ寂しくなって。で、泣きじゃくって、ナースコール押しまくって、なだめてもらって(笑) 。
で、朝になって大部屋なのよ。大部屋で、他の子もいるみたいな。めちゃくちゃ恥ずかしくなって、なんか「うわー」みたいな。こんな中で泣いてた。他の人にちょっと威勢を張る意味で、ドラえもんのぬいぐるみとかを、ロッカーにバーンって隠したりしてた。
須見 それは人見知りとかじゃなくて?
岩出 なんかね。なんか、年上の女の子とか。多分小学二、三年生だったと思う。俺は四歳とか五歳とか。自分がめちゃくちゃ泣いてたのも無かったことにして、気丈な振る舞いをしていたの覚えてる。後、なんかその、「俺入院したよ」みたいなのを、友達に保育園で、退院した後に言ったんだけど。なんか、「何?」みたいな。「何それ?」みたいな。「いや、第二病院ってとこに入院して」、「第二病院? じゃあ第三病院は? どこにあんの?」。全然相手にされなくて。俺は凄いことをしてきたんだぞ、なんか凄いことって言うか、なんで全然取り合ってくれないんだみたいな、思ったりしたりしてた。
須見 小学校の頃はどういう感じでした?
岩出 小学校は、小学校は………。そうだなぁ。
須見 覚えてることだけとかでも良いですよ。
岩出 小一、小二。ああ、なんか絵を描いてたね。なんか結構絵描くの好きで、まあ保育園から。で、休み時間とかに、みんなでドッジボールするみたいな、それには加わんないで。教室で絵描いて。小ちゃい葉書とか裏紙みたいなんが教室の前に大量に積んであって、勝手に使っても良いですみたいな。それをめちゃくちゃ大量に持って、一枚一枚モンスターとか描いて、攻撃力なんとかみたいな描いて。それをみんなに配ってた。「君にはこれ」みたいな。
須見 それは内気で集団に馴染めへんから描いてたってわけではなくて?
岩出 いや、全然集団というか、外で遊ぶみたいなのをやりたいと思わなくて。なんか絵描くのが楽しかったのかな。で、配って押し付けて、「持っといて」みたいな。で、それをなんか先生に評価されて、「外で遊ばなくてもみんなに好かれる方法あるよね」って言われて。まあそうだよなって思ったりして。
須見 小三ぐらいまですか?
岩出 小一、小二ぐらいだね。小三からあんまやんなくなった。なんか自分で漫画みたいなの描くようになって。
須見 小三以降?
岩出 小二ぐらいから。あんまり配るとかなくなったな。なんか、漫画描いてたわ。
須見 どういう内容とか覚えてるすか?
岩出 それはね。なんかロボットの犬が、ブルっていう。なんかマシンナリー博士っていうね、博士が作ったロボットの犬が冒険して、悪者を見つけてひたすら殺しまくってるっていうだけの。
須見 何ページぐらい描いたんですか?
岩出 それはね、第四巻まで描いたんだけど。一冊、一巻。ノート一冊みたいな。ジャポニカ学習長的なノート。第三巻からは、ちょっと分厚めのリングのついた。途中から、なんかねバンド編みたいになって。小四ぐらいから。なんかそれぐらいから音楽に興味持ち始めたんだけど。
須見 え、それはなんですか?
岩出 それはね、兄貴が。兄貴が井上陽水とか聴き始めたんだよね。奥田民生とか。それで毎日隣の部屋で聴いてて、家族でライブ行こうみたいな。井上陽水とか行ったんだよね。それで俺も聴いて、良いなというか、耳に残ってるし。後、友達の家とかに陽水のCDとかがあって、「わぁ、井上陽水だ」みたいに言ったりすると、なんかお母さんとかが「知ってるの?」みたいな。「渋いね君」みたいな感じになって。俺は違うんだなみたいな。俺は普通の子供じゃねえぞ、みたいな気持ちになってたっていう。アイデンティティみたいな。
須見 俺は『Pi Po Pa』を聴くと。
岩出 そう。『Pi Po Pa』を、『GOLDEN BAD』。
須見 (笑)。
岩出 (笑)。
須見 なんて言うんですか。少年期の自意識に、割と大人の認知みたいなのが大きかったんですかね。世代とか年齢とか関係なく人間として認知されるというか。
岩出 まあ、なんかね。そういうちょっと芸術に触れるみたいなことで、自分を大事にする自尊心を培っていったのかな。
須見 それ以降は音楽聴いてたって感じですか?
岩出 小五ぐらいに漫画飽きちゃって、描かなくなって。QUEENとTHE WHOにハマったんだよね。
須見 それも兄貴の影響で?
岩出 それも兄貴。あ、でもなんかTHE WHOとかは自分から聴いて。なんか塾の先生が。俺、中学受験したんだけど。塾の先生がロックとか好きな人で。で、色々教えてもらって。それまでは兄貴の聴くものを聴くみたいな感じだったんだけど、自分で図書館とかで借りるようになって。で、なんか、兄貴がこういうのは聴くなみたいな。「BEE GEESなんてロックじゃないだろう」みたいな。めちゃめちゃロック史上主義な感じだったのよ、うちの兄貴は。「The Beach Boysとかは軟弱だ」みたいな。で、隠れて聴いてたの、The Beach Boysとか。後、新しくパンクとかね、ピストルズとか。ちょっと兄貴には聴かせないでおこうと隠れて聴いてたね。
須見 兄貴はハードロックとかですか?
岩出 ハードロック聴いてたね。JETとか。
須見 で、やっぱサーフロックとかそんなん、いけすかんのは聴くなと。
岩出 そうそう。女々しいみたいなね。あと、パンクは反応が想像できないから聴かせないでおこうみたいな。で、なんかそれを友達に、小六の時とかは
学校にCD持ってって、ラジカセ。図工室にラジカセがあって、それで友達二人くらい呼んで、休み時間、一緒に聴くみたいなことしてたね。
須見 その当時、周りの子って基本的に何聴いてたんですか?
岩出 あー、ORANGE RANGE聴いてたわ。それで、なんか、兄貴の影響なんだけど。流行りの音楽はダサいみたいな。ORANGE RANGEとかは死んだ方が良いみたいな思想にどっぷりしてて。で、なんか一回ね女子が陣取ってて、ORANGE RANGEかけだして、『上海ハニー』、で、ノリはじめて。十人ぐらいで、それでなんか凄い「グヌヌ」みたいな感じになったり。で、その一緒に聴いてた友達も実はORANGE RANGE好きみたいな。給食の時に『花』が流れて、なんかそれで「良いねー、誰がかけたの?」みたいになってて、俺は「なんだこんなもん」みたいな感じになってたんだけど。そいつの方見たらなんかちょっとバツの悪そうな顔してて、「え、お前がかけたの? やるじゃん」みたいな。感じに向こうでなってて、「裏切られたなー」みたいな。
須見 まあスノッブというか、そこまでじゃないけども。
岩出 まあね。もう選民思想に染まってたよ。
須見 で、中学受験して、私立に行くってことですか?
岩出 そう。私立の、とこ行って。で、もうバンド組みたいなみたいな思ってて。中一ぐらいに。兄貴がね。もう大学で組んでたから。
須見 兄貴何歳上なんですか?
岩出 兄貴六個上。なんか高校とかで、その音楽の趣味が合う友達とかがいて、なんか、家に来て楽器弾くみたいなことしてたから、バンドやってないかもしれない。なんかそれでやりたいなみたいなって。で、中一で探して、つってもいないんだけどそんな。まあこう聴かせて、反応見るみたいな。で、まあ、教室。休み時間で、外で遊んでないやつから選ぼうみたいに思って(笑)。んで、なんか三人ぐらいいて。将棋やってるやつか、ノート書いてるやつか、窓の外見てるやつか。「いやー、窓の外かな?」と思って、それで話しかけたのが埜口だった。
須見 え?
岩出 そうそうそう。中一からあれだった。で、まあなんか訊いたらピアノやってるみたいな。「三歳からピアノやってんだよね」みたいなこと言ってて。まあこいつか、こいつは。こいつなら洗脳できんじゃないかと思って。
須見 じゃあその当時の埜口さんは別にロックとか知らねぇよって感じ。
岩出 あー、そうね。ORANGE RANGEまあまあだけど。なんか当時、2chで、ORANGE RANGEがパクリ。合言葉をパクろうぜみたいなのをね、言ってて。それがめちゃめちゃ叩かれてたんだよ。ネラーにね。
今考えたらめちゃめちゃくだらない話なんだけどさ。
それで埜口はネットの申し子だったらしく(笑)。
その2chとかを丸呑みして、「あいつらはパクるからダメ」みたいなこと言って。で、まあオレも適当なこと言って、「いや、あいつらはダメだよ」みたいな。そう、で、取り込んでみたいなね。
須見 で、まあ仲良くなって。
岩出 仲良くなって。ORANGE RANGEじゃなくてこういうのあるから。聴かせて。The Beatlesとか。
須見 どうなっていくんですか?
岩出 そっから。ボーカルのやつとかベースのやつとか探そうみたいになって、まあ、なんとなく集まったのよ。でね、なんか中学、軽音部はなかったんだけど。高校の軽音部に混ざって文化祭でライブはして良いよみたいになって。
須見 つまり、一貫校やった?
岩出 そうそう。中高一貫なのよ。私立のね。で、なんかまあ文化祭、年一回のあれに向けて。地元の公民館とかで練習してたね。The Beatlesのコピーとか。
須見 なんのコピーですか?
岩出 Birthday。
須見 それ、でも初ライブじゃないですか。どうでした?
岩出 それね。それ。まあ……そうだなあ。ギターが、なんか前の高校生が使ったままのセッティングになってて。それがよく分かんなくて。とにかくめちゃくちゃ歪んでた(笑)。
で、なんか。なんかちげぇんだよなと思ってたけど。なんか、なんか良かったね。で、ドラムのやつがめちゃめちゃ嫌なやつで。自分勝手なやつで。時間が空いたから、その文化祭の日にね。「なんとかってバンドが出れなくなったから君ら出る?」みたいな、代わりに。俺らは「やったー」みたいな。で、出ようみたいになったんだけど、ドラムのやつだけ、「そんな、俺だって他にやりたいこともあんだよ」て感じになって、「俺には俺の事情があんだよ」みたいな。まあ、そりゃそうなんだけどさ。なんか、こう足並み揃えてくれないっていうか。そんな、年に一回だからやれるならやろうよみたいな感じなのに、そいつだけいなくなっちゃって。で、なんか他のメンバーでやろうみたいな。俺がドラム叩いて。兄貴が見に来てたんだけど、兄貴がギター弾いてブルースのコードで、セッションするみたいになったのよ。やれる曲少ないから。で、なんかそしたらボーカルのやつが適当に歌って、それでオリジナル曲できたんだよね。
後日歌詞を作って。その歌詞が、乗っけていいのか分かんないんだけど。当時、生徒会長がめちゃめちゃ調子の良い。声めっちゃでかいみたいな。俺はあんま好きじゃなかったんだけど。埜口がめちゃめちゃその生徒会長に気に入られてて、で、なんかベタベタ体を触られてて、「埜口、一緒にトイレ行こうぜ」みたいになって。なんかトイレの個室に連れ込まれて、「脱げ」みたいになって。で、なんか「触らせろ」みたいになって。「精子をぶっかけられたんだよ、俺」みたいなことを埜口が言ってて、それがなんか衝撃的すぎて歌にしようよみたいに。っていう曲が、最初のオリジナル曲。
須見 ドラムの人は抜けたままで?
岩出 ドラムの人は抜けて。また違うドラムは入れて。で、まぁ、結局安定しなかったんだけどドラム。でも高二で辞めちゃったね、バンドは。私立だから、受験ムードみたいになっちゃって、まぁ俺はやりたかったんだけど。でも「辞めとくか」みたいな感じになって。
で、ちゃんと勉強してなかったから落ちて、大学は。浪人時代みたいなのあったんだけど。そこでね、なんか埜口とか、バンド界隈、軽音部の。趣味が合うような。みんな浪人、落ちて。予備校も同じで。で、日曜に集まってみんなで勉強するみたいなことしてたんだけど、それで曲を聴かせ合うみたいなことをしてて。なんかそこで結構色々ね高まってったっていう。
須見 大学入るまでで何曲か作ってたわけじゃないですか、覚えてる歌詞ってあるんですか?
岩出 覚えてる歌詞? あ、でも、本日休演の曲もあるよ。その当時にできてる。『たましいの置き場所』とか。あと、『とどまる人』とか。ファーストの曲とかそうだね。
須見 聴かせ合うっていうのは「こういうの見つけてきてん!」ってことですか?
岩出 いや、なんか自分の曲聴かせ合うっていう。なんか埜口とか作って、「こういうの作った」みたいな。
須見 その当時は何聴いてたんですか?
岩出 その当時。あのね、浪人の時が本当ターニングポイントというか。なんか音楽聴きながら勉強してたんだけど。その、歌の音が聴けないわけよ。で、なんか自習室みたいなとこでやんのが苦手で、わざとうるさい喫茶店とかに行って。もう、イヤホンでノイズとか聴いてシャットアウトしてやる。みたいなことしてたんだよね。だから、なんか本当ノイズとかフリージャズとかばっか聴いてたわ。灰野敬二とか。
須見 よう京大入れたすね。
岩出 いや、でも京大入れたのは、やっぱ毎週集まってやるとか、他のやつがみんな一緒に勉強してたからね。なんか、それがやっぱ、そういう環境があったから勉強せざるを得ないというか。
須見 埜口さんも、京大すよね。それはなんか決めて入ったんですか?
岩出 いや、なんかね。元々東大とか早稲田目指そうみたいなことを埜口は言ってたんだけど、ある時期から「お前も京大行ったら?」みたいな。「京大しようかな」。「じゃあバンドやろうよ。バンド」みたいな、感じでなんとなく京大を目指すようになって、ね。二人で受かって。受かって良かったよなあ。
須見 京大入ってからどうなっていくんですか?
岩出 京大入ってから当然バンドメンバーを探して。
まぁ、ヤバそうなやついたんだけど。こいつとはやりたくないなとかなったりして。河村って知ってる?
最初に京大軽音で。
須見 京大軽音には入ったんすか?
岩出 そうそう入ったのよ。てか、兄貴も京大で。京大軽音の部長やってたりしたんだ、兄貴がね。まぁ、当時はもういないんだけど。でも、その兄貴の文化祭のNFのライブを見に行ったりもしてたから西部講堂とか。それで京大軽音良いなみたいな感じだったんだよね。で、なんか有泉とかもいて。
須見 有泉さんも京大軽音やったんすか?
岩出 そうそうそう。なんかあのシートあるじゃん? 最初に書くさ、好きな音楽とか。あれにCANって書いてあったのよ。「こいつは良いな」みたいな。CAN とRoland Kirkって書いてあった。俺はなんか浪人時代の聴いていた、なんかそういう音楽がやりたいなみたいな思ってたから。なんていうの、ポップスじゃないやつ、ポップスじゃないけどポップみたいな。やりたいなと思ってたの。で、「こいつだな」みたいな。有泉を引き込んで。あと、佐藤とかね。埜口もいて。ドラムは坂上っていうやつだった。とりあえず六人ぐらいで集まって、セッションとかして。あー、でも最初のライブは、予定がみんな合わなくて、河村と俺と埜口と佐藤で、楽器を入れ替えて、吉田寮のイベントで。埜口が吉田寮住んでたから。なんか新入歓迎ライブみたいな、いきなり埜口が応募して「出よう」みたいな。で、四人で出たんだけど、評判は別に良かったんだけど、河村がちょっと。こいつとはできないなみたいな。
須見 なんでなんすか?
岩出 なんか幼稚すぎるっていうか。練習してても、楽器を交代してやるんだけど、河村がドラムの時にちょっとうるさくて。「ちょっとうるさいよ」みたいな。
「もうちょっと静かに叩いて」、「あとちょっと早いよ。テンポ俺が維持するからそれに従って」って言ったら、「俺ドラマーちゃうから」みたいな感じでキレたりして、ほんとこいつ一緒に出来ないなみたいな。
須見 そのバンドって名前とかあったんすか?
岩出 それ本日休演なのよ。
須見 あっ、そうなんすか?
岩出 そうそうそう。てか、その名前決めるのも決まんなくて。あと何日で決めなきゃいけないみたいな。当時はLINEとかないから、なあなあになっちゃったんだよ。で、それで「あっ、そういえば昨日までだったっけ」みたいな感じになって「あれどうだったの?」みたいな。で、もう「とりあえず本日休演で出したよ」
須見 それは誰が?
岩出 埜口。埜口と河村が決めたのかな。
で、「えー、本日休演」みたいな。「俺、嫌なんだけどそれ」みたいな感じで決まっちゃったんだよね。
須見 今とメンバー違うすよね。そっからどうなっていったんですか?
岩出 休演はね。そっからアルバム出したりして。あと河村の友達が小池だったんだよね。で、なんか京大に遊びに来てたんだよね、来たりして。小池と仲良くなって。小池の友達がミロクレコーズやってるみたいな感じで紹介してもらって。君ら良いね。で、アルバムじゃ作ろうよみたいな。
須見 そのフォーストて『すきま風の踊り子』とか?
岩出 そうそうそうそう。あれ吉田寮で、ミロクレコーズの人たちが東京からやってきたりして、ここで録音してみようか。まあ、あとボックスも使ったかも。で、なんかそういう感じでセカンドもね。同じような感じで。
ドラマーが辞めたんだよね。二枚目作る前に。その理由がドラムのやつが旅行かなんか行ってる時に、他の四人でレゲエセッションみたいなのして、なんか分かんないけど急にレゲエにハマっちゃってね。「レゲエセッションやろうよ」みたいな。なんかそしたら思いのほか楽しい、で、その四人で結構レゲエグルーヴみたいなのが出来ちゃって。ドラムのやつが帰ってきて、それがなんか共有できないみたいな感じになっちゃって。「俺はレゲエを全然聴いてないし。なんかそんなにレゲエとか聴くような人種じゃないから、俺はレゲエを一生で一◯時間も聴いてない男や。そんなやつがレゲエやってもしょうがないじゃん」みたいな。で、聴くつもりもないってことで。「いや、なんでだよ。結構良いぞレゲエ、聞いてほしいんだけど」みたいな、なったんだけど。抜けちゃったんだよね。勝手にレゲエやっててごめんって言えばいい話だったんだけど。こっちも意固地になっちゃってて。で、四人で二枚目作ったの。
それでなんか二枚目は樋口とかにちょっと手伝ってもらったりして。
須見 樋口さんは元々知り合いやったんですか?
岩出 樋口はね。佐藤の浪人の時の友達。樋口も軽音で、ジャズやってたんだよね。ダーク。
須見 そうなんですか?
岩出 そうそうそう。ビッグバンドやってたのよ。もう、陽キャ。だから全然関わりなかったんだけど。ダークを引退して、「ドラム叩きたいけど叩く場所がないから辞めよう」みたいなこと言ってて。でも、なんか本日休演の練習見に来るみたいな。めちゃめちゃ入りたいオーラを出してて。で、埜口とかと話して、「まあでもこいつちょっとチャラいから趣味合わないんじゃないかな」、「まあでもこいつ以外いないからなぁ」みたいな。
須見 本日休演ってリーダーとかいたんですか?
岩出 リーダーは、まあ。結局俺だったけどね。その、俺はなんかあんまりそういう自分がリーダーとかいう感じでやりたくなかったんだけど。佐藤と埜口にもっと曲作って欲しかったし。でも、なんかね。俺がいっぱい曲出すし、佐藤と埜口の曲は、うーん、もうちょい上手く言ったら良かったんだけど、俺が力を入れるというか。なんか微妙な出来になっちゃって、無しみたいになって、俺の曲が多くなっちゃったんだよ。
須見 それは、みんなも認めてるしってことですか?
岩出 まあね俺のバンドみたいな感じになっちゃったんだよね。佐藤も別でバンドやるとか。俺としてはもうちょっとThe Beatlesみたいな感じでやりたかったんだけど。でも、俺はリーダーとしての自覚がなかったから、微妙にリーダーやんないし。
須見 The Beatlesみたいなやりたいって言ってましたけど、でも二枚目までとか割と雰囲気的に今聴いてるものとか、その時今やりたかったやつを曲にしてるって感じするっすけど。
岩出 あー、まあね。
須見 それはやっぱあるんすか。
岩出 あるある。やっぱ当時聴いてたもんとか、こういうのやりたいよねとか。
須見 ちなみに影響されたとまではいかんけど、こういうのがあったみたいなあるすか?
岩出 まあ、一番でかいのは。『アラブのクエスチョン』って曲とかは、あの、ニジェールのバンド。Group Ineraneっていう。アフリカというか北アフリカのリズム。で、ガレージロックやってるみたいなバンドがあって、それが衝撃的で五連なのか三連なのか分かんないヨレたリズムなのよ。それがこうめちゃくちゃ凄くて、ちょっとこれやろうみたいな感じでね。
それっぽい曲作ってきて、『アラブのクエスチョン』っていうね。とにかくみんなでそれをどうにかやるみたいなことをして、で、なんでそれが良かったのかっていうのが後々考えて。やっぱ俺らカチッとした演奏出来なかったのよ。もうちゃんとバチッと合わせる、タイトな演奏。で、なんで出来なかったかっていうと俺の問題だと思うんだけど、Keith Richardsとか好きだったの。で、その、なんかこうスイング感っていうか、ブルースの? ルーズだったり、こう、ちょっと、こう若干後ろもたったりみたいな。やっぱそれがかっこいいみたいなのを結構ギター弾く上でやってたから、なんかバチッと合わせるみたいなところにフォーカスできなかったんだよね。なんかやっぱ埜口も高校の時から俺と一緒にやってるから、全然ルーズでだるだるというか。あと、あいつはもうスカム感というか。歌もめちゃめちゃ外す、みたいな。それを俺も良しとしてやってきたというか。なんか作って外してきたのを聴いて、それをそのままみんなでバンドでやってみようって感じのことしてたり。うん。ね、だから、もうぐちゃんぐちゃんみたいな感じだったのよバンド自体が、グルーヴがね。で、なんかそれとちょっと全然違うんだけど。それをめちゃめちゃこう整頓した形みたいな風に思えたのかもしれないね。その、北アフリカのなんかヨレたリズム。あれはめちゃめちゃヨレも、正確なヨレというか、訛り。毎回同じ訛りを繰り返すみたいな感じなんだけどさ。
須見 えー。おもしろ。で、その二枚目出して反響的にはどうやったんですか?
岩出 反響的には。まず一枚目出した時に、岡村さん、岡村詩野。が、反応してくれて。東京とかにも呼ばれるようになったんだよね。東京インディーみたいな。で、なんかCDも。アルバム一枚一◯◯◯円にしようみたいな感じで、割と売れたのよ。「まあ、そのぐらい売れるっしょ」みたいなぐらいの感じでいたけど。二枚目はね。二枚目出した時は、もうちょっと売れるかと思ったんだけど、なんかあんまり、あんまりだったなぁ。なんでだろうな……もっと宣伝とか頑張れば良かったのかな。
須見 二枚目出したんって何年ですか?
岩出 あれは二◯一五か一六かな。
須見 あんまり芳しくないというか。
岩出 うん。まぁ芳しくないってこともないんだけど。
須見 もっと評判あるかな? って。
岩出 かな。と思ったんだけどね。まあ、でも考えてみればね、やっぱ自分に心残りもあって内容的な。どういうとこかっていうと、後半、B面がちょっとグダグダになっちゃってるのよ。で、それは何でかっていうと、アルバムを作ってる時に佐藤と有泉が院試が被っちゃって。お休みみたいになったんだよね。で、俺と埜口が出来ることすれば良かったんだけど。パソコン全然分かんなくて、その時。で、録音できなかったのよ。「どうしたもんかね」ってなんにもしない時期があって。ミックスとかも停滞しちゃって、院試の後で有泉が急いでやるみたいな。その間にコンセプトみたいなの忘れちゃったりブレちゃったりして、そのグダグダさがB面に出ちゃったなって俺は思ってるんだよね。
須見 ちょっと話変わるんですけど、『ひとりランデブー』とか小池さんが撮ってるじゃないですか。『けむをまこう』とかも。その頃には小池さんとかも仲良かったんですか?
岩出 その頃にはかなり仲良かったね。遊んだりして、「僕、映画撮るんだ」みたいになって。で、「今度撮ろうよ」みたいな感じでまた遊びに来て撮って。そうだね。休演の演奏も撮ったりしてくれて。
須見 その後はどういう感じですか?
岩出 その後はねぇ。うーん。ほんとバンドの話だけど、サンフジンズっていうね。
須見 サンフジンズ?
岩出 サンフジンズっていうあの岸田繁と奥田民生と、あと伊藤大地の三人でやってるバンドがあって。それの前座に呼ばれたのよ。東京でね。で、まあそのためにめっちゃ練習して、東京で同じ時期にレコ発も入れて。練習めっちゃして、でもなんかその、あ、その時期に佐藤が抜けたんだよね。
須見 あ、そうでした?
岩出 あのね結構何回も抜けてんのよ。
須見 そうですよね。
岩出 なんで抜けたんだっけな。まあちょっとやりたくないみたいになったのかな。それで四人になって、
俺も練習しなきゃみたいになっちゃって。こう、鬼みたいな。しすぎちゃって。
須見 ああ、岩出さんが?
岩出 いや、もうみんなで。なんか飽きてきちゃって。士気下がってっちゃったんだよね。サンフジンズのライブは良かったんだけど、レコ発とかが、その連日の練習の疲れもあるしグダグダになっちゃって。
これ本当よくなかったなみたいな。で、なんかちょっとしばらく休もうかみたいな感じになったんだよね。
半年ぐらい休んでた。
須見 ほうほう。
岩出 あ、抜けたんだ俺、一回。
須見 え?
岩出 一回抜けたんだよ。そうなんだよ、実は。なんかね、俺がリーダーみたいになったんだよ。その四人時代にね。俺が、何個か言って、「こういう風にしたら」みたいに言って、それをやる。「いや、もうちょっとこうでそれをやる」みたいな。そればっかになっちゃったんだよね。
須見 はいはいはい。
岩出 で、「なんか言ったりしないの?」みたいな。「思ったこと、言ったりしてくんないの?」みたいな。で、「うーん」みたいな。今考えれば俺のそういう若干支配的な言い方とかがね。ちょっと強権的になってて、そういう場で言おうとしても言えないみたいな感じのね、空気を作っちゃってたと思うんだけど。「やりたいこととかないの? お前ら。ちょっと俺抜けるから、三人でやってみたら? じゃあ」みたいな感じで抜けて。
須見 抜けてから何してたんですか?
岩出 なにしてたかな。まあ、ソロライブとかやってたかな。なんにもしなかったかもしんないわ。
須見 なんで戻ると思ったんですか?
岩出 なんで戻ったかっていうと。そもそも辞めてたのが、辞めてみるかぐらいの。別に俺のバンドだしみたいな。振られるとは思ってなかったからこっちも。で、三人で練習し始めて、企画みたいなのが決まって。京大の先輩なんだけど、その人が喫茶店始めて京都で。演奏できるから、そこでやってくれないかみたいな話があって。「良いですよ。じゃあもうそこで俺のソロと三人のバンドの対バンにしましょうよ」と。
須見 嫌なやつやん。
岩出 で、その三人のバンド名が『本体』っていう、バンド名だったの。本体と岩手ソロ、あと二組ぐらいいたけど。それで有泉とか樋口が曲作ったりして、「一応、こいつらなりにやってんだな。考えてたんだな」みたいになって。「まぁ、じゃあまたやるか」みたいな感じで戻ったんだよ。
須見 戻ってからどうですか?
岩出 戻ってから、埜口が結構曲持ってきていっぱい。割と積極的になったというか。気持ち分かったみたいか。それで次のアルバムに取り掛かろうかてなったんだよね。ライブとかして、グダグダな時は結構グダグダだったんだけど。佐藤がね、接近!UFOズやってたんだけど、俺が「もうちょっとこうしたら?」みたいなアドバイスしたり、佐藤も「休演こういう風にしたら?」って言ってくれて。で、俺が接近!UFOズ入って、佐藤も休演に戻るっていうことになったんだよね。何やってんだっていう感じなんだけど。
須見 ハロゲン木下さんおるかおらんぐらい。
岩出 で、なんか両方ちょっとクオリティ上がったりして、休演も佐藤が戻るとだいぶ明るくなってね。有泉とかは佐藤いると元気になるし。それね、二ヶ月ぐらいやったんだよね。テンションが高い演奏みたいになって。で、アルバムも、精華大の友達がいたんだけど。何処のスタジオ使って録ろうみたいに色々やってくれて。うん。ていう時に、急に死んだんだよね。埜口が。
須見 それは日付とかで覚えてるんですか?
岩出 覚えてる覚えてる。一七年七月一四日。有泉の誕生日。
須見 僕も京大軽音入ったぐらいですね。確か。それは、なんで亡くなりはったって知ったんですか?
岩出 いや、あのね。その日、埜口、ギリシャラブってバンドのベースを手伝ってたのよ。ギリシャラブのリハがあったんだけど、「埜口が全然来ない」みたいな電話かかってきて、俺に。「なんか知らないか?」みたいな。で、家に行っても全然出ないんだけどみたいな。えー? みたいな。で、とりあえず家行ってみたらギリシャラブの人たちがいて、「なんかちょっと不安なんだよね」みたいな。それで隣のマンションから部屋とか見たりして、明かりついてるよみたいな。で、前なんか。その一人で、あそこに行く。あの、鴨川を下って一人で大阪に行くみたいなことしてたから、なんかリハ忘れてそこに行くみたいなそういうのやってんじゃないのみたいな、そういう感じで思ってたんだけど。まあもし今日死んだらあいつ二五歳で死ぬかみたいな。それは早いな、みたいなことを呑気に思ってたりしたら、なんか大家みたいな人、電話通じて「開けてみますか?」みたいになって。それで部屋にいなくて、で、屋上に、俺ら屋上でなんかタバコ吸ってたりしてたから屋上行ったら、死んでたんだよね。
絶句して。で、玄関でみんなで黙ってて。もう、どうしたら良いんだろうみたいな。てか、なんでだろう? みたいな。
須見 え、その予兆みたいなの全くなかったんですか?
岩出 うーん。ないね。うーん。なんか、そのやっぱ死に近いことを欲してたみたいな。なんていうかバンドのライブとかでも一番盛り上がるのが、その最後に埜口がトランス状態になって、飛び降りるとか。喚き散らして、キーボード倒すとか、演劇的なんだけど、パフォーマンスがあって。そういう時にトランスになって、「自分がどこ行っちゃうのか分かんないみたいな瞬間がやっぱ好きなんだよね」みたいなことを言ってたんだよね。うーん。でもまあ、そういうことをしてみたんだろうね。
須見 岩出さんが最初に見たわけじゃないですか。どう思ったすか? どう思ったていうか、その世界の感じ。ほんまそのその瞬間。
岩出 夕暮れで。まぁ……屋上で……綺麗な夕焼けでね。こいつもう死んだんだな。もう、完全に死んでるわみたいな感じだったから。みんなで玄関で待ってる時に、警察とか救急車とか待ってる時に一人で出て。歩いたのよ、二◯分ぐらい。その時に考えを整理したんだけど、間違いなく取り返しつかないし、その理由を考えてもしょうがないし、自分のやれることをやるしかないみたいな。なんで死んだかは知らないけど、ふざけんなって感じはするし。
須見 一番歴も長いですしね。
岩出 歴も長いし。んー、まあ。色々悩んでたのはなんとなく分かるけど。それもあんまり言わなかったからね。だから別にこっちからそれについて話し合うとか、あいつが言わなかったことは言わなかったことだから言わないで良いし。ただ、一緒にやってたっていうことで、まあ、やってたわけだからね。お互いそこを信じて一緒に何かを作ってたわけじゃん。それを諦めたっていう行為なわけだから。そこには、まぁ、ね。後悔する、後悔させてやろうみたいな感じ。俺はやっぱその自分で死ぬっていうことは絶対しないようにしようっていうのを思ったかな。まぁ、生を肯定したい、俺らは。別に強く生きてるわけじゃないけど、適当でも、生きて何かをやってるってことを肯定する。死には、結局死ぬわけだから。生きてるなかで何が出来るかってことだなって、風なことを思ったね。まあ……。二五だからね。
須見 今の僕と同じ。
岩出 同じだね。ある意味いつでも二五に、俺らはそれを思い出すことで、立ち返れるんじゃないかみたいな。
須見 僕も二五で埜口さんが育った阿佐谷に。
岩出 そういうね、今日もその話をしてね。度々その埜口の話になったり、思い出したりすることで、ていう存在になったんだなっていう感じだよね。俺の中ではあいつの自意識はない、消えたんだと思うけど。俺の中でとか、まあ他の人の中で思い出すことで、その中で埜口だったらなんて言う? とか、埜口の表情とかがあって、それはまた別の形でいるっていうことだし。うん、まあなんかね、形態が変わったんだけど。あいつ自身の成長とか更新はしないんだけど。
須見 でも、サードアルバムで、生前埜口さんが好きやったOMSBも入ってもらったり。で、そこを乗り越えて、次はラブワンダーランドでしたっけ?
岩出 そのフォースまではラブワンダーランド。ちょうど思いついたんだよね。あの屋上で、あの夕暮れのなか、そういうイメージ、景色。夕暮れのなかが、もうなかでずっと延々と全く一緒のレゲエが流れてて、そこは俺のイメージの世界のなかで、もう現実ではない。彼岸。そこが、てかあの夕暮れのなかていうのが、ないものなわけよ。でもずっとある。頭のなかに焼き付いてる。
須見 ああ、なんか分かります。で、フォースで『MOOD』。
岩出 そう。
須見 『MOOD』は、なんか今までと結構打って変わって正統派というか。
岩出 まあ、なんかロックな。
須見 ぎこちない格好の付け方みたいな感じですけど、割と原点回帰みたいな感じなんですか?
岩出 まあ、その一個はやっぱ三人になったのよ。佐藤がやる気なくなってきちゃって、プログラマーとしてやりたいとか。こっちもそれに気を使って、なんかあんまり佐藤に言えないしやる気出せとか。で、佐藤が自分から抜けるみたいになって。三人でやったら意外と良くて。レコーディングを、あの中村宗一郎。ゆら帝とかやってる人、頼んだのよ。そしたら、まあ、ああいう音っていうか。ゆら帝みたいな。ギター、ベース、ドラムがはっきりしてて。みたいな感じになったの。
須見 なんかだいぶ前にも言ったとは思うんすけど、鬱がめっちゃ酷い時に『線路』を聴いて救われたってことがあったんすけど、それこそ『線路』こそ、さっきのラブワンの描いてる感じがあって、影響を受けたというか、生きなあかんって思ったというか。
岩出 ああそう。良かった。それは良かったぁ。
須見 本日休演ってどうなっていくと思ってました?
岩出 いや、でもなんか俺は誰が辞めても俺はやり続けるし。もう辛いみたいな感じで別に全員消えてもベッドの上で作り続けるけど。みたいなぐらいに思ってたかな。ただ他のバンドやるようになって、休演のどこに、休演たるものがあるのかっていうと、やっぱ有泉と樋口がずっと支えてきてくれたわけじゃん。バンドの演奏を。だから有泉と樋口のバンドなんだって思って。俺、他のとこでもやってるけど、休演みたいな演奏なんないし。なんで休演が休演みたいな演奏になるかって言うと、やっぱあいつらがやった上で俺がそこに乗ってるからだから。有泉と樋口がどうしたいのかなみたいなところに重要性というか。あいつらがやる気になんないと、てか、そこを大事にしたいみたいな風に思うようになったかな。ここ二年ぐらい。
須見 でも『MOOD』を出した後は、次また、フー・ドゥ・ユー・ラブ?
岩出 そうそうそう。もう色々やってるんだ。なんか貫一君のソロバンドみたいなのを手伝うようになって。なんとなくギター弾いてても、一番音楽的な感みたいなのが通じる人だったんだよね。まあ、佐藤は結構鋭いけど。基本的に俺の周りにいた人って何も出来ないことが前提にあるみたいな感じなのよ、うん。自身ないし俺みたいな。そんななかで貫一君は自分からなにかを、なにかというか俺と近い形でやってるようなタイプだったから意気投合して。で、貫一バンドっていうか、岩出君とバンドをやりたいよみたいになって、確かに俺も思ってたわみたいな感じで始まって。
須見 フー・ドゥ・ユー・ラブとかって、救いがあるじゃないですか。岩出さんの書く歌詞と違って、ストレートというか。本当に救いがあるなというか。その対比面白いですよね。
岩出 そうね。貫一君とも言ってるけど、俺ら三◯だし。ちょっとそういう落ち着きもあるから。みんなが望むようなことというか、ポジティブな。売れ線。全然、心として歌えるようになりたいな、みたいな。
須見 『帰れない二人』みたいな?
岩出 そうそうそう。
須見 清志郎と陽水が貧乏な頃に二人で作ったみたいな。
岩出 そうそうそう。
須見 やっぱ焦りとかあるすか?
岩出 焦りなぁー……。まぁ、そろそろ売れたいよなっていう。だって、何も食えてないわけだから。
須見 大学の時、将来どうなるって思ったっすか?
岩出 将来? いやぁ、まぁなんとかなんだろうみたいなぐらいだったね。まぁ、今もなんだけど。でも、けむ出た頃とかは、上手くいって売れるでしょみたいな。このバンドでいけるでしょみたいな風に思ってたかな。エネルギーもあったしね、みんなに。
須見 普段って何してるんですか?
岩出 普段? まぁ、最近はね。まず昼に起きて、一二時ぐらい。できるだけ午前中に起きるようにはしてるんだけど、料理作って。掃除とか洗濯して。で、珈琲を飲みながら午後のロードショー観て。図書館行って、諸々連絡とか予定整理して。その時にやれることみたいな、アイディアとか、今後何するかみたいな整理して。帰ってきて、そこでギターとかで曲のかけらみたいなの作ったり。あと散歩しに行って歌詞作ったりとか、ただ散歩で終わる場合もあるけど。夜七時か八時に帰ってきて料理して食って、食いながらドラマとか観て、その後は三時ぐらいまで音楽作る時もあるしベース弾いたりする時もあるし。
須見 曲ってどうやってできていくんですか?
岩出 いや、なんかもう適当に弾いて、弾いたらなんかメロディができるのよ。コード進行と。これ良いじゃんみたいになったら録音して、そういうかけらがいっぱいあって。ボイスメモで聴いてみてタイトルつけたりして完成させようみたいな。一番二番サビみたいな、それを作った後で歌詞を入れる。
須見 歌詞はどういう感じで?
岩出 その曲の、メロディの印象とかに合う言葉を。あと、なんか鼻歌でそのメロディ歌うから語感に合う言葉からかな。その言葉ができれば、ちょっと内容もふわっと発生して、どういう方向性でいけるなみたいなのが定まってったら推敲して、一通り読んで、なんとなく分かるようにするみたいな。
須見 岩出さんってロックとかが入りじゃないですか? でも、なんかどのアルバムにも童謡感ある曲ってありません? あれなんでなんすか。
岩出 童謡感、例えば?
須見 『線路』とか『ごめんよのうた』とか、別に他もあるんですけど。適切かは分かんないんですけど、聴いてて懐かしさもあるけど不安感もあるというか。身に覚えのない記憶をなんか刷り込まれるような不安感みたいな。リズムなのかメロディなのか分かんないですけど。
岩出 あのね、まぁもう無意識なんだけど。昔は、あの、ほんと大学一年ぐらいの時は童謡ってめっちゃサイケだなとか思ってて。四◯曲ぐらい入ってるみたいなのね、なんかそういうの聴いてたね。で、なんかやっぱそういうのってシンプルなメロディの繰り返しと、まぁメロディっていうかなんかそもそも結構もう二音ぐらいしかないのを繰り返してるみたいな。そういうのを、まぁ意識してんのか、してたんかもなぁ。童謡、うん。まぁ、あとシンプルにはしたいからね。子供でも歌えるみたいな、歌えるか分かんないけど。うーん。不安要素はでもね、入れてるわ。明るくなんないようにしてるかもしんないわ。
須見 でも、ほんまなんか、なんていうんですかね。
信号のとおりゃんせを聴くみたいな。
岩出 ああ、そうそうそう。それ、あるかもしんない。あるわ。不安、不安……。この二、三年でさ、結構それまでは俺様的だったんだけど。自分が問い直されてるみたいなことが多くて……。あと、珈琲とかがあんまり飲めなくなって、カフェインが。まあ、お茶飲んでるけど。カフェインを取りすぎるとバクバクするみたいなことがあって、それが飲んでない時も起きるみたいな感じになったんだよね。ちょっとパニックなのか不安障害的なやつなのか、だからなんかその不安感みたいなものと付き合ってるね、日々。うーん。
須見 悩みに近い感じですか?
岩出 でも、なんか悩みは確かにあるんだけど、そこが確かに発端ではあるけど。本当に体的なものなのかもしれないし。普通に昼まで寝てるとか、そういうことも大きいと思うし。ただそれはなんか、自分の習慣で作ってきたもので、そこを、こう抜け出すことは結構エネルギーを使うから。それはしたいんだけど。そういう全体的な自分の人間を習慣とか含め、体と心を変えていかないといけないなみたいな。そういうものがちょっと自分の精神に食い込んでて、精神を折り曲げちゃったりして。なんか不安みたいなの生じてんのかもなっていう感じ。
須見 えーと、じゃあ人生で一番嬉しかったことってなんすか?
岩出 人生で一番嬉しかったこと!? えー、嬉しかったことかあ……。なんだろなあ。まあ京大受かったのは嬉しかったしなあ。人生で一番嬉しかったことかぁ……。んー、一番。一番ねえ。あんま思いつかないな。京大受かったことかなあ。京大受かった時に埜口と電話して、で、なんか埜口は受かってて。「ちょっとお前探してみろよ! 番号!」みたいな。探して、俺落ちてたらどうすんだよ! みたいな。で、あって、やったーみたいな。あれはなんかもう単純な喜びじゃん。そんな単純に嬉しかったことはあんまないからな、なんか地球儀とか蹴ったりしたしな。
須見 じゃあ、一番輝いてたなって時あるすか?
岩出 輝いてた? あー、でも良いライブした時はもう毎回一番ぐらい輝いてる。前の前ぐらいのライブ良かったな。あれは最高だった。
須見 めちゃくちゃ無粋なんすけど、やっぱ元の五人でライブしたいなとか思うすか?
岩出 あー、まあやりたいよね。でも、三人でもやるけどみたいなぐらいだけど。
須見 まあ、じゃあ最後に今の自分にとっての普通ってなんすか?
岩出 まあ、色々不安とかあるけど、そのバランスがある中でやって、そういうのね。うん。バランスをとって、緊張状態もありつつ、ね。でも、どれも大切にしながら上向きに、ね。良い具合に向かっていくこと……かな?
須見 ありがとうございます。