地方の新聞配達員から、民間臨調「モデルチェンジ日本」への大きな期待を
どうも。岡山高梁の山間で新聞配達員をしている者です。
年齢は21。日本の未来に圧倒的な絶望感と憂いとそれなりの諦めを持っている若者の一人として、モデルチェンジ日本の記者会見を見ながら感じたなけなしの期待をここに書いてみようと思います。田舎の片隅で生きるいち国民が想いを綴ることは大切だと改めて感じたので、拙い文章ですが残してみます。
私は少年時代をインドで過ごし、東京品川にある高校を卒業後、神戸大学国際人間科学部に進学しましたが、日本の文系学部のオワコン感に絶望し一年で行くのを辞め、一年間環境活動(主に海洋ゴミについて)をした後に神戸から岡山高梁市の山間の空き家を購入して移り住んできました。日本の自然の豊かさを肌身で感じながら、地方の現状に溶け込んでその未来の危うさを予想通り、いや予想以上に身をもって体感しています。
「マス(大衆)」を大切にする中央集権的な国家体制を前提に若者への希望を語るちょっと未来について考える気のあるオッサンたちと、一部の数的最適解や損得の事しか考えられない「意識の高い」若者たちとは決別し、守破離を繰り返して目を輝かせて未来を思考できる寂びた人間が何人出てくるかが、この日本の行く末を左右しそうだと常々感じてきました。また自分自身、全体を見た上で手触り感を持って手を動かしながら思考できる人間でありたいと日々努めています。
今回のモデルチェンジ日本では猪瀬さんをはじめとした日本の思想史を研究してきた方々が参入している(いく)点が大きく、現実的に国民に忌避、拒絶されない改革案を打ち出していけるのではないかと期待をしています。
というのも、今回の衆議院選挙の結果を受けて、あと5年くらいは少なくとも日本は希望が全く見えないディストピアだろうと思っていました。そんな国民はそれなりにいるのではないかと思います。無論岸田さんの就任演説も、全く、全く、心躍ることはありませんでした。「ああ、またいいこと言ってるな」くらいで。しかし、今回、モデルチェンジ日本の会見を見て、もしかしたら、ほんの少しでも希望があるかもしれないと浅はかかもしれませんが感じ、た、かも、しれないです。もはや願い。
これからもっと色んな血が入って、核心から変えていけるアイデアがバンバン出てきて、直接首相に投げつけてそれをこういう風に毎度毎度「正直に」公開してくれると、何か変わって行くかもしれないなと強く感じました。(まあメディアがどれだけ真剣に取り扱ってくれるかが重要になるのかもしれないが、、、)中で頑張ってくれている方々には、本当に心からの応援を届けたい。ブドウでいいならいくらでも送れるのだが、、、
田舎の新聞配達員からのお手紙
田舎の現状は想像の何倍も厳しく、20年後には今僕が住んでいる村も消えているかもしれません。そんな村がここらはほとんどです。何も有効な対策を打てていない地方の市区町村はきっとどこも同じだと思います。しかしそれは以前から落合陽一さんらが指摘していたように、「中央からどれだけ金を持ってこれるか」が現在の国家統治システムでの田舎の戦い方であるからであって、その中央集権的な体制を抜本的に変えない限り、地方及び日本は衰退の一途を辿るように思います。先日の衆議院選挙でも、地元の爺婆たちは「国からたくさんお金を持ってこれる人に投票しないとね」と口をそろえて言っていました。
現状、市の地域おこし推進会議の方の話を聞いたり、未来設計の図案を見たりしても、そこには「DX」「SDGs」などの語句がとにかく並べ立てられていて、まるで昨日知った言葉を使い倒してみました、みたいな「どこにでもある」改革案しか見受けられません。「地域おこし」のために住民から声を聞くMTGに参加しても、「やる気はありますか?」ですべてが終わってしまいそうな議論ばかり。むしろ「DX」や「SDGs」は「当たり前」であってどうでもいいとする人たちが実質的に構想を創り、その地域独自の「面白さ」をとにかく考えていかなければいけないはずです。
シビックテックをはじめとしたテクノロジーによって、地方独自の統治システムを作り、トークンやシェアに基づく独自エコノミーを導入し、その地域ごとの独自の「法」「経済」「自然」「衣食住」「産業」「エネルギー」「文化」をネオ民主主義的に創って回していくことが重要であり、そういったシステムさえ構築され、国民が大きく動けば、日本の地方の未来は変わるかもしれないと儚い希望図を描いています。
人口が半減する社会を見据えて「ここから何十年も今のGDPを維持出来たらめちゃくちゃ凄いよね」くらいで経済を考えるのが現実的な目標になるかと思いつつ、南海トラフや首都直下や富士山噴火が来てインフレ率が跳ね上がって、人々が闇市に大量の札束を持って押し寄せる未来が頭によぎってしまったりします。地方では水道管が破裂しまくって水が来なくなり、停電は頻発して、、都市に行けば犯罪は横行し、路上生活者が増え、、ああディストピア、ディストピア。まあ、そんなことは起こらないとして、田舎では道路整備ロボットや草刈りロボットが私たちの暮らしを助けてくれるようになっていたら面白いかもしれないと考えてみたり、、、しかし、そこさえも中国資本に取られてしまっていたら、もはや日本は日本なのかさえ怪しくなってくるなぁ、、、なんて。
食料自給率が40%を切る日本にとって、農林業の現状はもっと頭を悩ませなければいけないはずです。ここらの地域全体の農家の平均年齢は恐らく70に近いです。これは想像以上に酷かった。あと10年もすれば耕作放棄地は増え、生産量もどんどん減っていくでしょう。地域の生産量が減るとJAの支店が消えていくことを意味します。そうすると後から若者が来ても営農が厳しい事態が頻発するかもしれません。JAでアルバイトをしてみて、日本の農業の中心にいるJAの時代遅れさや危機感の無さを相当感じました。(これは郵便局にも似たようなものを感じます。)
また、EUの基準値を大きく上回る農薬使用量を見ると、日本の野菜や果物は世界では「毒」とみられ始める可能性さえあります。「世界一」と誇っていたはずの「日本の食」がゆっくりと痛んでいくダメージはどれほどでしょうか。例えばネパールでは、堆肥技術の普及などに積極的に力を入れて、全国で有機農業者を大幅に増やそうと取り組んでいます。今後アグリテックで日本の農業を企業が支えて行くことを見据えても、「土」への投資は不可欠です。さらに田舎にいて実感することは「獣害」の恐ろしさです。「炭素を吸わない森」もどんどん増えています。つまるところ林業の衰退も、とてつもなく大きな問題です。
そんなことにはほとんど関心のない「若者」を育て続けている時代遅れの近代教育にはもう諦めるしかないような気もします。唯一何か変わる可能性があるとしたら、テクノロジーで代替できるところを代替して、教師に「余裕」を作ってあげることくらいかもしれません。教員一人一人が少しでも「学ぶ」ようになれば、何か少しでも変わるかもしれません。だのに全国の大学に「対面授業に戻す」ような指示を出す文科省を見ていると、もう眩暈さえしてきます。未だに僕のいたような大学では、「大企業」に安定を求めて就職していく若者がほとんどでした。日本の大企業が数十年後にどれだけ残っているのかを考えるとなんだか身震いさえしてきます。オンライン授業であれば、田舎に身を置いて日本の現状と向かい合いながら学びたいことを学ぶことも可能です。義務教育から高校にかけては教師の「余裕」をどれだけ生み出せるかが重要ですが、「大学」については、どんどんいらないところを失くすとか、一度社会に出てからじゃないと入れないとか、そういう改革は必要不可欠に感じます。
人気取りのために「原発」という言葉をなかなか口にしない国会議員を見ていると悲しくなりますが、エネルギーについては本当に真剣に国民が考えなければいけないはずです。環境活動をしている時に問題だと感じたことは、代替案や解決策を丁寧に示さない環境活動家の多さです。洋上風力にしても太陽光にしても、現実的にどれほどのお金が必要になるのか、それを捻出していくための財源を全く成長していない国「日本」でどのように、何年かけて生み出していくのか。地熱にしても財産権の問題を始めとして「公」の心を持って考えなきゃいけないことはたくさんあります。その中で原発をどうしていくのかは、真剣に国民が考えなきゃいけないし、政府も丁寧に情報を出していかなきゃいけないと思います。
EVシフトで切り捨てられる一人一人、あるいは中小企業が、今どれほど危機感を感じていて、どのように方針転換していこうとしているのかは、今後の日本を占うのかなぁと感じたりしています。それらが日本独自の産業の発展に身を削って投資し、また政府がそれを援助して、20年後、30年後に、「え、こんなモノ作るの。やっぱやべえな日本。」と言われるようなことになっていることを願うばかり。いや、そんな道標を行政が率先して作っていくことができるのかなあ、なんて思ったり。
とにもかくにも、あらゆる方向からの提言がたくさん出て、様々な角度から動かしていければ、日本の未来は明るいかもと感じました。民藝、茶道、禅、発酵、などなど様々な日本独自の価値を知る専門家も入って、あらゆる政策提言に独自価値の源泉を入れていけたら、より面白くなるかもしれないとも思いました。
とにかく応援したいと思った、ということでした、、、。伝われ~岸田さん!
大丈夫.