陸上のこと。(前編)
陸上しか語れないから陸上を語る。勝手に人生振り返ってみる。
小さい頃からかけっこは得意だった。
習い事の中で嫌いだった水泳をやめるかわりに、仲のいい友達がいるからという理由で陸上クラブに入った。今から13年前、小学3年生の時だ。
何気なく始めた陸上が、こんなにも私の人生の真ん中になるとは思わなかった。
陸上クラブに入ってからチームで1番速くなるまでにそう時間はかからなかった。大会のデビュー戦は100m。たしか17秒58とかだった気がする。今のベストが12秒44なので随分成長したなと思う。
ついに県大会優勝
小3から小5まで着実に記録を伸ばし、地区大会で2位になったりと結果もついてきた。
市の大会ではほぼ負け無し、小4で県3位、小5で県2位。(どうしても勝てない相手がいて万年2位と言われていた。)
そして小6の夏、どうしても勝てない相手は不在だったが全国大会の予選会でしっかりと勝ち切りついに100mで静岡県大会優勝を果たした。
その後10月にはどうしても勝てない相手に勝利して、そこから中3まで4年間、県チャンピオンとして短距離走(100m、200m)で勝ち続けた。
初めての全国大会
小学生でも全国大会は存在して、各県から1人ずつ県代表で出場する。「小学生なんて」と思うかもしれないけど、本人たちは(特に保護者やコーチが)人生を懸けているぐらいガチだった。
初めての全国大会、今は改修工事をしているあの国立競技場だった。
元々緊張するタイプの私は、本来の力を出すことができず準決勝でビリという結果だった。
でも当の本人は全国大会にまさか自分が出場できるなんてという気持ちが勝り、悔しくて泣いた中でも充実感でいっぱいだった。そして全国にはこんなにも速い人達がたくさんいるんだ、と陸上に対するモチベーションが爆上がりしたのを覚えている。
ついに全国優勝 日本一を味わう
中学でも毎年県代表として全国大会には出場していたものの、やはり決勝の壁は厚かった。いつも準決勝で負けて悔しいなぁ、と思って帰るのが定番だった。
そんな中、中学の全国大会「ジュニアオリンピック」で4×100mリレーの県選抜で出場することになった。1~3年生全てオーダーで使わなければならない中で、県1位の私は1年代表として走らせてもらえることになった。
そこであれよあれよと全国優勝してしまうのである。
一緒に走った先輩たちが全国でも勝負するぐらい高いレベルの人達ばかりで、自分はつなぎ区間でしかなかったが、日本一だ。日本一になってしまったのだ。
しかもこれが1回きりではない。1年、2年と連覇してしまうのである。しかも大会新記録で。
全国優勝を2回も味わった。
二度とも日本一の表彰台に登ったとき、こんなに最高な景色はないなと思った。いつもと違う世界にいる感覚。幸せという言葉では安いような、とにかくすごかった。
これが個人競技だったらどれだけのものだったのだろうとも思ったけど、私のなかではもうこれで十分すぎるだろと思うしかないほど、最高だった。
県で1位になると、大げさにいうと「自分だけの陸上」ではなくなる。
ありがたいことに周りの期待は膨らみ、勝って当たり前、全国で勝負することが求められる。
強いひとの贅沢な悩みなのだろうけど、日々プレッシャーに押しつぶされそうな気持ちを練習にぶつけ、自分を追い込み続けた
中学2年までに2回日本一になり、中3でも1番大きな夏の全国大会 全日中に出場し、大舞台で自己ベストを更新した私は、燃え尽きかけていた。
正直、自分が全国で戦えるほどの才能は持ち合わせていないと思っていたし、今全てを出し切れている感覚があった。
このままハッピーエンドで陸上を終えたいとも思っていたが、周りにそんなことを言える雰囲気ではなかった。高校のインターハイが勝負だから。と言われ、あぁそうなのかと思うしか無かった。
これ以上無理じゃね?とか思いながらも、前年にインターハイで総合優勝した静岡県の超強豪校から誘いをもらったので、進学することにした。
その後、高校生から今日までの私の陸上人生は、挫折という言葉では言い表せないほどの地獄が待っていた。それを地獄と思うか、人間として成長できた期間と思うか。
次回へ続きます。