バイオダイナミック農法のアルケミ― (聖なる農業 第二章の5:意識) Sacred Agriculture ーAlchemy of Biodynamics by Dennis Klocek より
第二章〖物質の変容〗の5:意識
行為者の意識
このセクションのテーマは、農業者として物質の変容に臨む意識についてです。私の考えは、行為者の意識は行為対象のレベルの意識と調和する必要があるという、錬金術の叡智から来ています。言い換えれば、鉱物を扱うのであれば、あなたの意識は鉱物界と調和していなければならないということです。溶液を作ったり、蒸留や抽出をするのであれば、あなたの意識は水の領域の法則と調和していなければなりません。錬金術的な昇華は、扱う物質が液体状態を経ずに固体から気体へと変化するときに起きます。植物の開花プロセスに影響を与えるようなレメディを作ろうとするのであれば、あなたの意識を空気の元素の活動原則と調和させなければならないのです。
ここまで、地球の現象界を司る、鉱物、水、空気、火についての描写を試みました。あなたの意識は、これらの元素段階をつなぐアカーシャに影響を与えます。秘教的に、自分の思考を元素世界の活動原理と調和させようとするとき、それは 「アストラルの光に書く 」と呼ばれます。あなたが自然界に対する洞察を得るなら、それは自然を生かす元素的存在たちが、あなたに贈り物をくれたのです。そのアイデアを持つのはあなたではないのです。あなたは衛星アンテナのようなもので、現実には、アイデアがあなたを持っているのです。アルケミストとして、あなたは自分の意識の中に定在波を作り出すために、アンテナを整える作業をする必要があります。あなたの意識の中にある定在波は、送られた信号の写し絵でなくてはならないのです。
これは、ルドルフ・シュタイナーの農業講座の背景にある話法であり、錬金術の考え方です。あなたのアカーシャがあなたのアンテナを調整するのです。アストラルの光の中で書くということは、同時にアストラルの光の中で読むということです。これはシュタイナーの小冊子、『Inner Reading and Inner Hearing』から直接来ています。アストラルの光、アカーシャの中で書くことは、アストラルの光の中で読むことと同じだというのです。つまり、自分がアイデアだと思うものを降ろすときは、それを信じてしまわないように注意しなければなりません。だから、アカーシャの中で読むことと書くことを同時に行う必要があります。それが、自己肥大を避ける対策なのです。しかし、人間である以上、私たちはダウンロードしたものが答えだと信じがちです。
この意識の問題は、人の感覚経験と、感覚経験の認識の仕組みに関係しています。通常、私たちは自分の感覚経験を認識しません。これは木だ。あれは木の葉だ。私たちは幼い頃にそう学び、その後もずっと、「あれは葉っぱで、私ではない」と私の感覚は言って、その経験を補強します。しかし、世界中のどんな秘教主義者でも、「それはあなただ」と言うでしょう。別の波長で振動しているだけだ、と。さらに、葉には独自の意識があり、それは実はあなたとつながっています。自分の意識を葉と調和させることができれば、葉がどのように作られたかを理解することができます。これが、”全てのものはロゴスによって作られた”というヨハネ福音書の教えです。ロゴスなしに創造されたものは何もないのです。
これは、人間としての私の意識が、ロゴス、すなわち世界の生成過程(Becoming of the world)とどのように関わり合うのかについての非常に深い瞑想です。この意識を獲得することが秘教を学ぶ者の課題なのです。ゲーテは、この生成しつつある世界に開く高次の意識を「高次の観想(Higher beholding)」と呼び、「低次の観想」と区別しました。問題なのは、低次の観想からの信念や記憶を高次の観想に投影して、”自分ではないもの”と見えてしまうことです。私の低次の見方は、認識されていないすべての感覚経験で構成されています。高次の観想の体験は、私が低次の見方を浄化することに取り組んだ後で、元素的存在たちが洞察をもたらしてくれたときに起こるのです。
もし自分の低次の観想を高次の観想であると思い込めば、それは自然科学の領域での霊的な研究者としては致命的です。古い記憶に基づく私の信念が、問題を引き起こします。というのも、疑問の解決策として古い記憶に立ち戻ったとたん、元素界の現象と調和する領域から私は脱落し、すべての元素とエーテルは私の信念という骸の中に投げ込まれてしまうからです。発見の過程が、”地”のレベルの事実として死んでしまうのです。何かを事実として固定するということは、それを信念として所有することです。私が何かを信念として所有したとたん、あなたも私もそれに手を加えることができなくなるのです。そして私の世界は、自身を正当化するために周りに構築された一つの信念体系に囚われていきます。常に自分の思い込みを疑わない限り、それは固定されたシステムとなり、一歩踏み出して新しいことを学ぼうとする、私の熱意を削ぐことになります。そしてその結果、現実の幻影に過ぎないあらゆる種類の体験がもたらされます。より高い意識を追求するためには、現象を観察し、私の内的表象が現象とリンクしているかを確認するプロセスによって、常に自分の信念をテストしなければなりません。そして、その内なる表象を眠りの中に持ち込み、他の誰かから何かがもたらされるまで待つというプロセスによって、その内なる表象が私の意識に促す考えを補強することが、さらなる課題です。基本的にこれは、思い込みに陥らないで、元素的存在との交流を開いておこうとするプロセスです。
眠りの中にイメージを持ちこみ、他者からの反応を待つとき、私の思い込みは発見のプロセスへと変わります。この瞑想的プロセスは再びアカーシャを通り空気の段階、逆転の段階にシフトしなければなりません。最大の逆転は、「私が見たのはこれだと思う」と誰かに伝えようとすることで、相手は「はあ?」です。相手の意識は、自分の思い込みに対する安全装置なのです。この安全装置がなければ、私は自分の思い込みのテープを何度も何度も再生し続けるだけなのです。昔、アルケミストたちは皆、自分の信念に囚われてしまうので、シスター(Soror)と呼ばれるものを持っていました。この場合、アルケミストはブラザー(Frater)です。アルケミストたちは、何をすべきかはわかっていても、何時それをすべきかがわかりません。女性は男性よりもはるかにプロセスに敏感な傾向があるため、何時するべきかを示してくれるシスターが必要だったのです。
彼女たちは何時すべきかは分かっても、何がなされるべきなのかは分かりません。彼女たちはその時を知る感覚を開いておくことに努めますが、もし何故と訊かれても、返答できません。それで、シスターとブラザーは一緒に仕事をしたのです。今日、シスターとブラザーは同じ人でなければなりません。これが錬金術の結婚であり、意識の男性部分と意識の女性部分が結婚し、元素界へ新婚旅行に出かけるのです。このように、私はイマジネーションにアクセスできなければなりませんが、自分の洞察が鉄壁の信念にならないように、それをチェックする能力も必要です。そのためには、自分に来た洞察(Insights)や想像(Imaginations)をプロセスに戻さなければいけません。そうすればやがて、私の意識は思い込みとは正反対の方向に向かい、心の目(Heart eye)が開き始めます。自分の意識を自分の思い込みの正反対に向かわせることができれば、誰かがやってきて、自分のことを大ぼら吹きだと言っても問題ありません。すでに自分自身でそこへ行ってきたのだからです。
ニコラウス・クザーヌス
それがどんな感じなのか、ここで少し簡単な練習をしましょう。この練習は、中世の有名な神学者であるニコラウス・クザーヌス(1401-1464)の研究に由来しています。彼は司教であり、幾何学者でもあった人ですが、ルドルフ・シュタイナーが、彼は現代人の意識を持つに至った最初の人であったというほど、彼自身を大きく変える体験をしました。 ニコラウス・クザーヌスが生きていた頃、神学的な議論は幾何学的な定理の形で表現されていました。論点を証明するために、神学者たちは幾何学的な図を作りました。神、霊的ヒエラルキー、地球、あらゆるものの関係を説明する方法は、すべて幾何学的なものだったのです。ケプラーの著書を読むと、彼の主張が幾何学的な定理と作図で何ページにもわたって表現されています。まるで止まらなくなった中学生のようです。神学者にとっての共通言語は幾何学であり、神聖幾何学でした。司教であったニコラウス・クザーヌスが、神聖幾何学に取り組んでいた時、ここで取り上げる課題から霊的洞察を得、それが彼に非常な疑念を与えたのです。彼の推論は、ユークリッドや古代エジプトからの千年に亘る幾何学をひっくり返すものに突き当たってしまったからです。
この発見は彼にとって神学的な体験でしたが、それが彼の世界観を揺るがしました。彼は、人間が実際に神を知ることができるのかということに、疑念を抱いたのです。それは司教にとっては厄介な状況です。この思考実験をすることで、その理由がわかると思います。こういうものだと信じていることの、その逆が真実であることを発見した時、どういうことになるかを考えてもらいたいのです。このように、頼りにしていた繋がりが切れてしまったような感じの時、慌てて別の信念で穴埋めしようとしがちです。けれどもこの思考実験では、空いた穴に入れるものが見つからないのです。この経験によって、ニコラウス・クザーヌスはまったく違う地点に立つことになったのです。
図の水平線 を「B 」、真ん中の垂直線を「A 」とします。そして、小さな円と、小さな円の中心点 「a 」があります。小さい円の中心点 「a 」は垂直線「A」上にあり、その円の円周は、水平線「B」と「A」が直角に交差する点で、「B 」に接します。つまり水平線「B 」は、ちょうど円周上の一点で小さな円に接しているので、その円の接線と呼ばれます。
さて、ニコラウスは無限というものについて考えをめぐらせていました。司教として、神の性質を理解しようとしていたのです。そこで彼は 「A 」の線上にもっと大きな円を作ろうと考えました。2つ目の円の中心は線分 「A 」上の 「b 」ですが、円周はやはり水平線 「B 」に接します。つまり、彼は円の中心を垂直線 「A 」上の無限遠に向かって移動させたのです。 「A 」の上部に小さな無限記号が見えると思います。
無限を探求することは、中世において大きな課題でした。ピンの頭の上で何人の天使が踊れるか、というような”大問題”がありました。これは今日では「オレンジとリンゴ」を比べる問題のようなものですが、当時は無限性と幾何学との関係を探求していたのです。そしてこのような問いを立てました。「 神は物質の中に今も在るのか?」これは、いわゆるフィアット(Fiat)の問いです。フィアットの原理をめぐっては戦争も起こりました。フィアットの神学的問題はこうです。「 神はこの被造物を創造し、そして放棄したのか、それとも神はまだその中にいるのか?」ニコラウスの実験で言えば、「 無限は有限の一部なのか、それとも別個のもので、私たちの理解を超えているのか?」となります。これは神学上の大きなテーマでした。
この問題は、キリストの神秘体や、神の無限の叡智と肉体の堕落した性質という文脈における物質の問題と言った、キリスト教会の神学論争と関係していました。つまり、神の偉大な思惑の中での骸の目的についてと言えるかもしれません。このように、ニコラウス・クザーヌスは、神についての思考実験によって被造物の問題を探求していたのです。中世の考え方では、神は円によって象徴されます。神はすべてを包括する偉大な円環だというのです。ニコラウスは、円を無限へと拡大しようと考えました。そして、神である円が無限へと戻るとき、二重の無限になると期待していました。しかし、円が無限に達する時に起こることは、そうではなかったのです。
この実験では、水平線「B 」で表される地球と接触を保ちながら、小さな円が拡大していきます。線「B 」と 線「A 」は、地球を象徴する角度である直角で交わります。つまり、神性を象徴する円は、無限の次元に拡張しても地球と接触したまま(接点を保ちながら)なのです。ここから何が推論されるでしょうか?地球に接する円を垂直線「A」に沿って無限に移動させると、 円はどうなるのか、想像してみてください。
ニコラウス・クザーヌスはこう言います。これは私の円であり、神です。私は神性を無限の彼方まで持ち上げますが、それを地球、つまり有限なものと繋がったままに保ちます。拡大する円の中心が無限に遠くなるにつれて、この円はどうなるのか、これを皆さんも思考実験として、頭の中で考えて、推論してみてください。
地平線に目を向けると、曲線が見えますか?いいえ、平らに見えます。けれども、私たちはそれが曲線であることを知っています。または、少なくとも曲線だと信じています。それでもなお、平らな線に見えますが、これは地球の円周に過ぎず、無限の円ではありません。
ニコラウスは、円の中心が無限に達すると、円は完全に平らな線になることを発見しました。でも疑問は残ります。 ”それでも、これはまだ円なのか?” 今や円の中心は無限の辺境にあるのです。であれば、地球を表す接点はその無限辺境の中心であり、同時にこの円の外周にあるのです。これを経験すると、反転を経験することになります。このように本当に大きなものをつかんだとき、それは自分の信念に対する大きな挑戦となります。それは本当にいいことです。自分の実験によって信念と現実のギャップが明らかになったとき、自分の信念に正面から挑む、素晴らしい経験をしているのだからです。
ここで重要なのは、あなたが逆転を経験しても、別の信念にすぐ飛び付いたり、古い信念にしがみついたりすることなく、意識の統一性を保てるということです。ニコラウス・クザーヌスが、神は中心と周辺(Periphery)を持つ円であるという千年にわたる信念を受け継いでいたことを思い出してください。この実験は彼の中でその概念を逆転させ、彼にとって非常に難しいジレンマを生み出しました。この実験は千年にわたる信念に異議を唱えたのです。
元素的存在たちの解放
自分の世界観が揺らいだ時、慌てて何かを信じようとしなければ、あなたの信念によって幽閉されていた元素的存在たちが、解放されます。人間の信念は個人的な記憶に基づいていますから、キリストはあなたの信念体系には入って来れません。医者なら誰でもこの問題を知っています。「私が癒しの源であるのか、他の何かが癒しの源であるのか?」と自分に問わなくてはいられない地点に至るのです。感情的な現実として、この難問に向き合わなくてはなりません。思想家や秘教主義者にとって、この問いは「 自分の洞察の源は自分なのか、それとも洞察は霊的存在の恩寵によってもたらされるのか?」ということです。薔薇十字主義におけるテストは、霊界があなたを必要とするときだけ、あなたはプレイヤーになれる、ということです。それがルールなのです。ここでの安全装置は、逆転を自分で想像できるところまで、自分の想像力を抑制する方法を見つけることです。イマジネーションを逆転させることは、自己膨張から身を守ることになります。もしそれができれば、私が研究している現象の一部である元素的存在たちは、私の膨らんだ信念を修正するという、余計なプロセスを経る必要がなくなります。なぜなら、自分の信念の逆転を想像できるということは、彼らが私に近づいても大丈夫だということだからです。
自然界の元素的存在たちにはさまざまなレベルがありますが、ルドルフ・シュタイナーは、彼らの最大の源は人間の信念によって生み出されると述べています。私たちの意識が元素的存在たちを創りだしており、このことが人間に与えられた王国の鍵なのです。周囲の自然が自分と別であるように見えるのは、このためです。私たちは天周(Periphery)からくる光を一定の方法でフィルターにかけ、パターンに固定してしまいます。宇宙の働きに寄与する元素的存在たちは、自分を犠牲にして、私たち人間の思考パターンに固定されます。感覚を通して観察可能な自然の現象として、自分を犠牲にして、閉じ込められている元素的存在たちは、私たちの愛と理解によって解放される必要があります。これが、バイオダイナミック農法における偉大なる薔薇十字主義の根幹なのです。しかし、そのためには、自分が生み出すイマジネーションが逆転をも含むように、私自身に取り組まなくてはなりません。私が抱いているイマジネーションは真実ではないかもしれないという考えを含めるのです。エネルギーを失うことなく、その考えを楽しむ必要があります。世界は逆転に満ちているのですから。ニコラウス・クザーヌスのこの実験は、そのひとつに過ぎません。
ここで、農業者のための瞑想装置として非常に有用な大反転の一例を見てみましょう。これは瞑想装置として使える一つのイマジネーションです。ここからはアカシャの領域に入ります。逆転を含んだイマジネーションを具現化する能力を得たければ、惑星の動きを研究することを勧めます。算数、天文、幾何、音楽が中世の高等教育において四大科目(クアドリヴィウム)と呼ばれたのはこのためです。これらは上位の学問を構成する4つの柱であり、下位の三科目である論理学、修辞学、文法の後に教えられました。上位の四科目では、天球の音楽(調和)という考え方を生徒は学びます。このような種類の論理を学ぶと、重要なのは何を知っているか、何をするかではなく、時間軸に沿ってどう物事を並べるかであり、すべてが逆転するということを理解し始めます。四大科目(クアドリヴィウム)においては、あることを一度してある結果を得た後、同じことをしていると思ってもう一度しても、実は同じことではなかったという経験ができます。なぜなら、惑星の回転運動を導く元素的存在たちは、地や水を動かす元素的存在たちよりも高次の存在だからです。
これらの教育は、シュタイナーが説く元素的存在たちの3つのレベルに関連しています。元素的存在の最も低いレベルには、自然の力を活気づける存在たちがいます。次のレベルの存在たちは自然の法則を導き、ある種の自意識を持っています。シュタイナーは彼らを自然の法則として描きだしました。秘教的に言えば、私たちは人間として、すべては自分から切り離された存在であると信じることによって、このような元素的存在たちを集合的に創造します。人間の魂の中の思念として、私たちは自然の法則を創造しているのです。しかし、1400年代以降、1世紀かそこらごとに、科学的信念、つまり一般に認められた自然の法則は、「ここに新しい物の見方がある」と言う天才の出現によって覆されてきました。そして都合の悪いことに、この新しい方法は、自然法則を理解するための古い方法を無効にしてしまうのです。私たちが霊的ヒエラルキーを上がる時、自然の法則を理解するためには、この一段上のレベルの元素的存在たちと関わる必要があります。それは、例えば新しいテクノロジーによって自然界の力を操作するときの理解とは異なるのです。
廻る時間の霊たち
ルドルフ・シュタイナーによれば、私たちの意識は、さらに高いレベルの元素的存在たちを知ることができます。彼はこの最上位のレベルを 「廻る時間の霊たち」と呼びます。自然の摂理を導くこの霊たちは、さらに高い意識を持ちます。ですから、実験をする時、いつも同じことを繰り返すだけのことになってしまわないように、自分の信念を解き放って、自然の中でどう反転が起こっているのか理解する訓練をする必要があります。そのためには、心の中で、すでに存在している動きと自分の意識を調和させる練習をするのです。ここで初めに言ったことに戻ります。行為者の意識はその研究対象と調和する必要があるのです。これは、自然の法則や力の上に働く最上位の元素的存在たちと、自分の意識を調和させることを意味します。このような高次の元素的存在たちは、惑星の動きを導いています。したがって、もし私がいい結果を得たければ、惑星の動きのリズミカルな特徴を研究対象にするだけでなく、その動きを表象として瞑想に取り込むのです。そうすることで、変容のレベルとの接点が生まれ、まったく別の視点から物質を見ることができるようになります。どんな物質も休息に至った動きであり、物質は活動の骸なのです。もし私がその物質を再び生かしたければ、その物質がどのような活動を経て、その骸となったのかを理解しなければなりません。そうなる過程(Process of becoming)のリズムや時間的な特徴を理解する必要があるのです。
ある物質や実体がどのようにして成ったかという時間的な特徴を理解すれば、植物の成長におけるリズミカルな脈動の対として、リンとカルシウムの違いを理解することもできます。惑星の動きを研究することで、私の心の目がリズム的な特徴を感じ取り、カルシウムとリンの作用を“天球の音楽”のリズミカルな律動に関連付けることができるのです。この関係を例えるなら、カルシウムは音程であり、リンは音程間のインターバルです。これは、植物の成長過程での、この二つの物質の作用にぴったりの例えです。リンがカルシウムに「どこそこへ行け 」と言うのです。もし私がリンの欠乏を探すなら、植物の下の方の葉っぱを見るのではなく、リンが不足すると茶色くなる、先端の成長部を見ます。カルシウムの問題を探すならば、成長部ではなく、葉の葉脈の辺りを見ます。これらのミネラル不足の症状は、リズム的な特徴のイメージとして、台本のように読むことができるようになります。惑星のリズムの文脈の中で自然現象を観察する訓練は、畑仕事において、とても有用な象徴的アナロジーを提供してくれます。
カルシウムが鳴っている音だとすれば、リンは音と音の間の広がりとして、天球の音楽を聴くことができます。このような象徴的な考え方で、例えばカルシウムと月の交点(Lunar node)を関連付けることができます。これは高次のイマジネーションを発達させる方法です。それは、まじないに使う振り子のようなものではなくて、正確さによって、自分の信念構造をコントロールします。そして、意味のある関連性を見つけることで、内的表象の形成プロセスと自然界の現象を結びつけるのです。こうした想像的認識を通して、私たちは自然界で起こっていることについて、より調和的で創造的な思考ができるようになります。シュタイナーの農業コースの背景には、このような考え方があるのです。
私の仮説では、惑星の軌道の動きを心に描くことで、このような創造的思考を身につけることができます。動きの中に法則性を探すよう、内的表象の目を訓練するのです。そうすれば、疑問が湧いてくるようになり、そこで、天体暦(Ephemeris)を手に入れて裏付けをとり、表象を知識として地に着いたものにします。すると、想像の中で錬金術的な活動を創造する扉が開かれます。時間の節目を探し、あなたの洞察を支えるために、今日では、膨大な情報に電子メディアでアクセスすることができます。想像的な洞察が科学的な情報源からのデータによって裏付けされ始めると、元素界が、もはやあなたの信念によって幽閉されているのではなく、想像力によって解放されつつあるという感覚が生じます。私たちは、想像力を数学的な意味で厳密なものにしなければなりません。厳密さとは、「私はこれをテストしました、これがそのテストです。 」と言えるということです。バイオダイナミック農法の調合剤を作るプロセスをご存じだと思います。土に埋めてあった角の中から取り出したものを見て、「良くできたかな?」と誰かが言い、 他の誰かが、「私には良さそうに見えるけど 」などと言うわけです。10段階評価で 「良い 」というのは、ある種類の 「良い 」です。つまり、ニュージャージーの「良い 」もあれば、カリフォルニアの「良い 」も、スイスの「良い 」もあります。バイオダイナミック農法では、定量化や統計的な評価では捉えられない、質的な研究のための器官を構築する必要があります。それでも、研究は統計的に一貫性があり、厳密であることはできます。重さ、数、長さに基づく古い科学が、相反するデータの雪崩の下に崩壊したとき、新しいリズムの科学が現れるでしょう。この新しい科学では、統計的に一貫性のある証明は、統計的に大差のあることと同じくらい重要になります。
もしあなたが医薬品メーカーであれば、新薬を市場に出すための実験結果に許される確率構造は80%か90%の範囲です。しかし、実験で統計的に有意な確率というのは、55%から60%の辺りです。プラシーボが示す確率は40%です。つまり、ある実験プロトコールが一貫して50%の効果を繰り返していれば、その実験は統計的に有意な効果を示していることになります。もし実験が40%の確率に達しない場合、これは医薬品産業では無効の範囲です。抗鬱剤のプロザック(フルオキセチン)は1977年に発売され、2001年に特許が切れました。2010年にはフルオキセチンのジェネリック製剤が、米国内だけで2400万〜400万件以上処方されました。現在、プロザックはプラシーボの有効率にも届かないという知見が報告されています。
もし実験結果が常に58%の確率であり、それが一貫しているならば、非常に注目すべきことです。残念なことに、バイオダイナミクスでは現在、80%という高い確率を目指して実験を試みています。私は、そのようなことは起こりえないと考えています。この宇宙は、そのようにはできていないからです。かつてプロザックは、80%の有効性として憧れの的でした。今ではプロザック系の薬は40パーセントを維持することも、ままなりません。研究を支えるパラダイムが変われば、研究実験の成功率も変わってきます。最終的にパラダイムが変われば、80%の成功率を支えたデータはすべてインチキになるのでしょうか?
プロザックの特許が時効になった後、それはプラシーボよりも効果がないことがわかりました。では発売された当初は、プラシーボよりも効果があったのでしょうか?実はこの世の中はそういうものなのです。ここでは銅像に車輪がついていて、新しい証拠が提示されるたびに、銅像は殿堂入りしたり、外されたりするのです。実際、プラシーボはより強く、より高い効果を示すようになってきています。このことは、将来、不確実性がより大きくなることを示しているようにみえます。つまり、生命領域における実験に関しては、証明の重要性が移りつつあるということです。生命領域における質的研究の実行可能なパラメーターは、80%という確率構造ではなく、低いレベルでも、安定してプラシーボの確率を上回ることです。私たちの実験はそこに目標を置けばいいのです。
質的研究の方法
捉えどころのない神秘に満ちた生命というものと、調和することのできる想像力を持ちたければ、物理学や電子工学の領域で達成できるレベルの実験結果を期待するのではなく、物事のリズムというものを理解しなければなりません。バイオダイナミック農法の実践は、生命のレベルのものですから、トランジスタの回路負荷をテストするようにはいかないのです。
錬金術的には、実験者の意識が実験内の生命と反応し、物事の起こり方を変えると考えられています。自分の意識を使って手順を何度も繰り返せば、繰り返すたびに同じ結果が強化されるという仕組みに嵌まってしまう可能性もあります。機械ならば、何度スイッチを入れても、壊れるまで同じように反応します。これは、10日ごとに植物の周りの土をかき混ぜて、成長エネルギーをある器官から別の器官に移すことで、成長を強化しようと試みることとは対照的です。いつも効く錠剤があるのとは、かなり違う世界です。生命には違う種類の実験パラメーターが必要だとしたら、こう問うことになります。 「物理的な力に基づいていない実験領域で、厳密な方法に導かれるように自分を訓練するにはどうすればいいのか?」その領域の法則を知覚し、調和させる内なる器官を構築する必要があります。要するに、より高次の世界のための知覚器官を開発するにはどうすればいいのでしょうか?
ルドルフ・シュタイナーはこの分野で非常に急進的です。私たちは腕の血液の動きが、惑星の動きと調和することで、それを知覚していると、彼は言います。突飛に聞こえるかもしれませんが、心臓から腕への血液の動きは、アストラルの領域、つまり、惑星の領域での魂の力へのアンテナを形成しているのです。惑星の動きを視覚化する練習を通じて、私たちは惑星の公転周期を意識することを学び、それを眠りに持ち込むこともできます。朝、まず自分の心臓の鼓動に耳を傾け、次に腕や手の血液の脈拍に耳を傾けることに数分費やすと、その日、その耳を傾けることが他の人との関係にも及びます。すると、誰かから質問を受けたり、例えば映画を見るようにと、思いがけない提案をされたりすることで、他の人たちがまるで先導役のようになって、私の研究がどこに向かっているのかを教えてくれたりするのです。ようやく映画を観たとき、あなたは突然、現在の研究問題に対する洞察を得ることになったりします。
あなたの内なるプロセスにおける自分の役割に気づかぬまま、他の人々が、あなたが行っている実験の修正に参加し始めます。あなたの内なるプロセスにおける自分の役割に気づかぬまま、他の人々が、あなたが行っている実験の修正に参加し始めます。しかしあなたは、自分の中で、惑星を睡眠に取り込み、惑星を神に返し、朝にはあなたの知覚器官である、手や腕を流れる血液に耳を傾けるというリズムの練習をすることで、それが分かるようにならなければいけません。そうすることで、時間がどのように焦点を合わせて、特定の出来事に結びつくかについての感受性が段々と養われ、これに耳を傾けることを学べば、人々が時間の節目に登場して、あなたの学びのプロセスを助けてくれるようになります。この秘教的な実践の秘訣は、日中の些細な出来事に注意を払い、それを自分の進む方向の指標にできるだけの、心の落ち着きを持つことです。
突拍子もなく聞こえるかも知れませんが、この方法は自己満足を防ぐために必要な安全策なのです。このようなダウンロードを始めると、ボブ・ディランの歌のように、 「頭の中がアイデアでいっぱいで、気が狂いそうなのさ。」一旦これが始まると、実際にダウンロードしているのか、妖精の世界で我を忘れてしまっているのかを判断するのは非常に難しくなります。よくありがちなのは、妖精は友達だと思い込んでしまうことです。そうかも知れないし、そうでないかも知れません。シェイクスピアに訊いてください。
この図は北半球の四季のサイクルを示しています。中央には太陽があり、楕円は、地球が太陽を回る軌道で、矢印が回転の方向です。右側は北半球の冬です。北半球全体が太陽の直射日光から遠ざかっているので冬なのです。白く見えるのが北米と南米で、赤道は南米のかなり北部にあります。
さて、私が太陽を見ているカリフォルニアを見つけてください。太陽は赤道より下にあるため、空の低い位置に見えます。軌道を通って太陽の反対側へ行くと、地球と天の位置関係は同じですが、今度は北半球が太陽の直射を受けています。カリフォルニアにいる私が見上げると、太陽は赤道上にあり、北半球は夏です。つまり、地球の軸は太陽に対して23°のピッチを持ち、太陽の周りを公転しながらその23°を維持します。また右側へ寄ると、この23°のピッチによって、太陽は南半球により直接当たるので、南半球は夏になり、北半球は冬になります。
私が冬の正午に太陽を見ると、太陽の後ろに射手座の星団が見えます。それで、北半球の冬・射手座と書いてあります。反対側へ反時計回りに行くと、北半球の夏です。正午にカリフォルニアから太陽を見ると、双子座の星群の前に太陽があります。この双子座と射手座は、黄道十二宮では向かい合う星座です。北半球から見ると、双子座は高い位置にあり、射手座は低い位置にあります。もしこれを私のイマジネーションに維持し、その軌道を走り、それらの星々を思い浮かべることができれば、私は廻る時間の霊たちによる規則的な動きに参加していることになります。
夜眠る前にこれをすれば、霊界からこれらの崇高なリズムを導いている存在たちが、私の興味に関心を寄せてくれます。だって、一人の人間が彼らに向かってこう語りかけているのです。「あなた方のやっていることは、サイコーじゃないですか。私はそれを研究し、私に与えられたイマジネーションによって、それに参加しています。私はイマジネーションを注意深くコントロールし、謙虚さと畏敬の念を持って、あなたの領域を研究するために働かせているのです。」私が寝る前に、彼らの働きに私の注意集めることは、彼らへの贈り物なのです。彼らはどうすると思いますか?何か建設的なことをするでしょうか?考えてみてください。あなたならどうするでしょうか?私は自分の意識を彼らの脚本に調和させているのです。もちろん、私に戻ってくるものがある筈です。朝、心臓の鼓動や腕の中を流れる血液の動きに耳を傾けるとき、私は彼らの反応を拾います。アストラルの光の中で読むことは、同時に、アストラルの光に書くことなのです。彼らは脚本を持っていますが、肉体を持つ存在からの書き込みが必要です。彼らは脚本と一つの存在なので、書き込むことはできないのです。彼らにできるのは脚本を読むことで、演じるのは私たちなのです。あなたが演じようとしたときに何が起こったかを、彼らは知る必要があります。
私たちがそれを原型として彼らに提供します。彼らのイマジネーションが宇宙のこちら側からどのように見えるかについて、私たちの理解を彼らと共有する必要があるのです。だから、私たちがこの内面的作業(インナーワーク)をするとき、まったく新しい方法で物質に関わり、働きかけることができるタイミングのイマジネーションが育ち始めます。調合剤をより効果的にするために、夏の早い時期に臓器を土に埋め込めばいいかもしれない、というようなイマジネーションが、時間のリズミカルな構造の中に入っていくと、やって来るのです。時間の存在たちが、個々の物質についてや、物質の変容について私たちに示してくれるからです。さらに、このような瞑想をすると、月と太陽のリズムや木星と土星のループについての様々な種類の洞察に導かれます。私たちのイマジネーションに開かれている巨大な領域があるのです。
イマジネーションが来ても、誰か他の人が来て、扉が開かれるのを待たなくてはいけません。そこで、そのアイデアの裏付けを探すことができます。誰か他の人が来て、扉が現れるなら、それはキリストの領域なのです。講義を聴いているとします。疲れてぼんやりしていたときに、突然講師の2つのセンテンスが耳に飛び込み、あなたの中でぱっと光が差します。「そうか、わかった!」 それはキリストがあなたに目覚めをくれたのです。誰か他の人からそれが来たなら、予感が高まり、熱意が掻き立てられて、また研究へと背中を押されるのです。読み、研究し、事実と格闘することは、私たちを思い込みの膨張から守ってくれます。ダウンロードが始まったら、私たちは必ず何らかの保護が必要です。そうでなければ、真我の影の霊たちの慰み者になるだけです。秘教ハイウェイには、人間よりも高い意識を持つ他の霊存在たちのおもちゃになってしまった人たちがたくさんいます。
このインナーワークによって、他の種類の法則の作用に対しても、自分が開かれてきます。惑星の自転公転を正確に想像することは、薔薇十字の映像的な瞑想であり、私はこの瞑想に取り組むことで、自分の意識を整えます。そうして聴いたり読んだりしているうちに、不思議な本が理解できるようになり、アイデアが閃いたりします。今はそのアイデアをググって裏付けを探すこともできます。自分の信念構造の外側で裏付けを探すなら、私は閃きを適切な方法で扱っているのです。大切なのは、アイデアを得てから、それを自分の中で確証するのではないということです。基本的なことですし、科学の世界では当たり前のことです。しかし、個人的な空想をブロックする自然科学のチェックとバランスは、秘教的な仕事では事実上欠落しています。
要するに、イマジネーションや閃きが、自分だけを通してくるのではないことを確認するための手順を確立する必要があるということです。実験的な方法は、正確で有用な研究結果を出すには粗すぎることが多いです。しかし、実際に霊界の側からイマジネーションを受け取るためには、思い込みや空想を防ぐための研究プロトコルを確立する努力が必要なのです。
至点と分点
内的な訓練として惑星の動きを想像することは、霊的な研究のための方法と安全装置を確立するための素晴らしいスタートになります。この図では、春分と秋分、夏至と冬至の繰り返しに関わる現象を想像することで、自然界におけるある種のパターンをより深く理解することができます。例えば、図の右側で太陽が魚座にあるのは春分点で、地球の水が流れる時です。これが春分の示すジェスチャーです。魚座の星団は、秘教の伝統では水の要素と関連しており、私たちはこれを 「水のサイン 」と呼んでいます。春分前後の時期、太陽は毎日緯度方向に非常に速く移動します。緯度とは惑星の傾きの測定値であり、実際はそれが、流動構造のソルベ(溶解)とコアギュラ(凝固)を支配します。太陽が最大北偏または南偏にあるとき、地球の力と大気は停滞する傾向があり、これが夏至と冬至の時期です。太陽が赤道上にあるとき、地球の力と大気は加速する傾向があり、これが春分と秋分のジェスチャーなのです。
月はこのような太陽のリズムに従いますが、1年の太陽周期を1ヶ月に1度移動します。分点から至点を1週間で移動するのです。ステラ・ナチュラ(Stella Natura)のカレンダーでは、月の偏角(赤緯)は月が高くなったり低くなったりすることで表現されています。この周期運動は「スタームーン」と呼ばれ、太陽周期のように偏角(赤緯)を南北に移動します。
月が偏角運動をするリズムについての研究が行われ、月の偏角周期と共振する空気の強い潮流が認められました。月が最大北緯にあるとき、高緯度の月の下で大気が束になる傾向があることが研究で示されています。この現象は、南への傾きがが最大になるときにも起こります。この大気の束が自転速度に抗力を与え、ナノ秒単位で1日の長さを変えます。言い換えれば、月の下で束になった大気の抗力が、実質的に地球の自転周期を変えているのです。地球は赤道上で最も速く回転するので、この影響は小さくありません。
月が最高緯度または低緯度にある場合、高緯度では抗力が大きく、赤道では抗力が小さいため、大気の流れが減少する傾向があります。これにより赤道は加速しますが、運動量保存の法則により、大気の動きは遅くなります。大気の動きが遅くなるのは、月が太陽の至点の位置を再現しているときなのです。
太陽の至点、つまり夏至や冬至に堆肥を作ろうとすると何が起こりますか?何も起こりません。しかし、太陽が赤道上にある春分や秋分点では、太陽の傾きは毎日急速に変化します。自然のリズムもまた、太陽の分点の時期には大きく変化し、成長が加速します。研究によると、2週間ごとに赤道を通過する月も、大気に刺激を与える効果があります。隔週で月が赤道を通過する間に、赤道上の大気を束ねることが研究で明らかになっています。地球が最も速く回転する赤道付近で、大気の抵抗がブレーキを掛けます。運動量保存のため、地球の回転速度と大気の動きの関係は、大気がより速く動く状態を作り出します。隔週のリズムで大気は「帯状流(Zonal flow)」と呼ばれるパターンに加速し、これが気象パターンも加速させます。これは、太陽が赤道上にある分点での状態に似ています。
至点に堆肥を作っても何も起きません。では、分点の日に堆肥を作るとどうなるでしょうか? パッとスイッチが入り、分解が加速します。分点に堆肥を作ると、たくさんの流れや変化と共に、すべてが活動的なのです。太陽リズムについての瞑想は、やがて季節の変動についての洞察につながります。また、気候の移り変わりや、月単位や週単位で土壌や植物にどう働きかけるかの可能性の洞察にもつながるでしょう。このようなタイプのイマジネーションは、寝る前に軌道周期を心に描くというシンプルなエクササイズから得られます。廻る時間の霊たちが、自然のリズム、力、法則がどのように作用するかの脚本を書いているのですから、可能性は無限です。自然のリズムは惑星間の相互作用に根ざしているのです。
季節について見ると、本当の意味での逆転は、季節の属性が流動から固定へと変化し、また戻るように、ソルベ(溶解)からコアギュラ(凝固)へと変化することです。左側の図では、その両極が示されています。このレベルでは、意識は非常に繊細になります。逆転の本質を理解するためには、逆転も逆転することを理解する必要があります。こういう思考ができるようになると、この図の力学のようなものが見えてきます。
右の図を見ると、乙女座(Virgo)では地球が固定の状態にありますが、射手座(Sagittarius)では火が固定されたものを焼き尽くし、流れが始まります。アルケミストは、自然界で固定されたものを“灰”(Ash)、つまり究極の錬金術的骸と呼びます。灰のプロセスは乙女座(Virgo)で始まり、射手座(Sagittarius)で頂点に達します。すべての種子は、まるで山火事の灰のように、地上に落ちます。そのシーズンに生きていたすべての植物は、「開花 」と呼ばれる燃焼プロセスを経ます。そして炎である花から、物質的な植物が死んで種に入る過程を通して、霊的な植物が地上に降りてきます。その霊的な植物が地球の一部になることが「固定 」です。これは秋分点に始まり、真冬にピークを迎えます。この過程では、乙女座の地のプロセスは灰を生み出す火のプロセスに移行し、真冬に最高潮に達します。そしてこの”灰”によって、固定された形として物質的な植物に存在していたものを、宇宙的な力が新しい形を創造するために再び利用できるようになるのです。このカオスは、新しい世代への可能性をもたらし、灰の固定的な性質を、流動的な潜在性へと移行させます。
この潜在性は、春になって水やものの流れが始まると、動きだします。灰は水に取り込まれ、塩が灰から溶け出し、生命を運ぶ水を再び引き寄せ始め、新しい植物が誕生します。このイマジネーションは輪作や栽培学の描写に過ぎません。しかし、このサイクルは太陽に関連した別の次元を示しています。
二つのサイクル
左側の錬金術的な元素のサイクルを、これが非常に微妙なものであることを念頭に置きながら見直してみましょう。この図の一番下、地の位置に、乙女座を置くことができます。そして、乙女座(地)から天秤座(空)、蠍座(水)、射手座(火)へと時計回りに移動します。左の図では、私たちは3時の方角で火の極にいることになります。右の図では、火の極は6時の位置にあります。地、空気、水、火、地、空気、水、火。このように太陽は黄道十二宮を通り、一つのサイクルとなっています。左の図は、自然界に働く元素の循環を示したもので、地が一番下にあり、次に水、その上に空気、そして火の順になっています。これは、水たまりや燃えているろうそくの中の元素の廻る順序です。地、水、空気、火という順番で、これはもう一つの別のサイクルです。
この2つのサイクルを重ね合わせ、中心にピンを刺し、それぞれの輪を別々に回せば、アルケミストが配列置換(Permutation)と呼んだプロセスを行うことができます。実際のところ、私はこの2つの異なるサイクルを様々に並べ替える必要があります。なぜなら、それぞれが真実そのものである現実を描写しているからで、実際の自然の働き方をコピーするためには、他の値と組み合わせていく必要があるのです。それぞれのプロセスが進む中で、両方の地の場所が一致したり、空気が一致したり、しなかったりします。これらの図は錬金術的に固定されたものではなく、配列置換のためにこのようなサイクルの図が作られたのです。基本的に、これらは最初のコンピューターです。自然界の仕組みでは、時として物事がひと並びに揃うことがあります。揃わない時は、レモネードを飲んで買い物へでも行きます。しかし、揃う時は、しっかりトラクターの燃料を満タンにして、朝5時に起きて出発します。これが、私が新しい農業意識として提唱していることの鍵です。リズムを理解し始めると、ポリリズム(複合リズム)の原理が段々分かってきます。2つのサイクルは別々の見方ですが、だからといって中和したり矛盾したりするわけではなく、どちらも間違っても居ません。ただ、時の流れの中で、両者が同調することもあれば、同調しないこともあるということです。だからこそ、意識的にリズムを感じ取る器官を育てる作業が必要なのです。ただ考えているだけではだめで、実際にその中に身を浸さなければいけません。意識的に自分の血液と繋がることで、そのリズムがより大きなリズムを理解する助けとなります。自分の血液に感じれるようになったら、今度は惑星の動きを研究して、そのリズムを頭に入れるのです。頭だけで理解しようとしたら、ひどい頭痛のもとです。二つのサイクル図を用意したのは、流れる時間の息づかいを感じてほしかったのです。
このようなイマジネーションは、スプレーの散布などにも役立ちます。植物の葉にある物質をスプレーすると、その植物は微妙に変化します。散布するときに月がどこにあるかに注意を払い、そのリズムに合わせて、たとえば葉っぱの作物には月が水のサインにあるときだけ散布するようにすれば、散布プログラムのリズムが、散布する物質だけでなく植物にも作用するようになります。1回や2回の散布では効果は見られませんが、連続して散布すれば、やがて植物の反応が見えてきます。植物にリズムよく散布することで、初めは最適でなかったものを打ち消すことができるのです。
私たちは裸根のアプリコットの苗木をちょうど植えたところです。苗木を手に入れた時は、移植のタイミングとしては全く良くなかったので、カレンダーに良い日が現れるまで2週間半ほどヒールをかけて待ちました。移植の日はあいにくの大雨でした。幸いなことに、購入の数ヶ月前に私は穴を掘り、木のための改良材を入れました。そして好機の日々を選んで充分に土壌を作っておきました。それで、移植当日の朝、穴はすでに掘られ、すべてが揃っていました。土砂降りの雨の中、フォークを持って外に出て、小さな裸の根を植え込みました。その日の持つ有益な影響を定植の土壌に保持したかったのです。この作業はすべて、月が果実のサインにある時に行いました。私の目標は、果実生産をサポートするようにプログラムされた土壌の中に、小さなアプリコットの木が根を拡げられるようにすることでした。実際に移植する日の3カ月半前からその計画を立て、穴を掘ったり、適切な種類の堆肥を集め、無理なくすべてが準備できるようにしました。そして、植えようと思った日は天候的には悪い日でしたけれども、最初に大きな穴を掘ったときに土壌に込めた衝動が、強められる良い日だったのです。
植物に直接スプレーすることで、その持つジェスチャーを修正したり、増強したりすることができます。しかし生憎なことに、土壌の中のジェスチャーを、中和しなくてはならないほど、増強しすぎてしまうこともあります。バランスを立て直す必要があるほど、一方向に行き過ぎてしまうのです。タイミングのリズムを掴むことが、すべての実践における真の力になります。そうすれば、ちょっとした農業瞑想の実践を始めるための扉が開きます。その時点で、私たちは惑星のリズム、現象の背後にある存在たちについて学び始めます。彼らは、いつ何をすることができるか、できないかという時間的なイマジネーションをあなたに与えてくれます。自然界には、時のイマジネーションを使って学ぶことができる、質的な宇宙があるのです。
私たちの意識を訓練することは、農に携わるときの大いなる鍵であり、それは基本的に新しい神職の形成なのです。神官であれば、自分が行っている儀式に正しい力が流れ込むように訓練されなければなりません。それは自然の存在たちとの仕事でも同じです。かつては、神職のための勉強には惑星の勉強も含まれていて、それで彼らは儀式を行う時を知ることができました。私には、大地に関わる仕事は、聖なる役職であると見えます。だから、何かをしようとするとき、私は宇宙で起きていることに注意を払い、私の存在が導管となって、宇宙の法則性が土壌、植物、動物、そして最終的には食物を通して私自身へと入っていくようにするのです。私の意識こそが、物質の変容を可能にします。それが、霊的ヒエラルキーから私たちに与えられた贈り物なのです。彼らは私たちに物質を与え、私たちがそれを変容させることを許したのです。ですから、バイオダイナミック農法は新しい神職の初級段階と呼ぶことができます。私たちは、本当の食べ物の霊的な次元を認識する人々が必要です。食べ物は私たちの意識を発展させます。死んだ食べ物は死んだ体を養い、生きている食べ物は、魂が霊を見ることを可能にします。
ルドルフ・シュタイナーは、秘教的な仕事を次の段階に進めるために必要な意識を、人々に持たせることができるのは食べ物だと言いました。食料の生産に関して、私たちが取り組むことは、未来のために本当に大切なことなのです。私がここで皆さんに提示したい考えは、私たちが日々の仕事に持ち込む意識の質によって、地球や他の人びとのためになる、正しいやり方が分かるということです。その意識を理解し、訓練する鍵がリズムの研究なのです。
*これで第二章は終わりです。次に
第三章 マクロとミクロ
第四章 錬金術と化学
第五章 粘土
第六章 シリカ
第七章 バレリアン
と、続きます。