バイオダイナミック農法のアルケミ― (聖なる農業 第三章の1) Sacred Agriculture ーAlchemy of Biodynamics by Dennis Klocek より
第三章〖マクロとミクロ〗の1
農的イマジネーション
このテーマは、私が何年もの間、書きたいと思ってきたものです。最初の10年ほどは、考えることができませんでした。そして次の10年ほどは、常識を外れることの結果を思って、感情的にできませんでした。けれども、もう構わないと思える年齢になりました。常識を外れるというのは、農業に関して非常に役立つ、シュタイナーの提示する考えの理解の仕方についてです。しかし、それは非常に微妙で、理解するのが難しい。シュタイナーが扱う最も微妙な要素のひとつに、エーテルの力があります。従来の科学にもバイオダイナミック農法の現場にも、エーテル、あるいはエーテル的な力と呼ばれるものに関して、誤った認識や奇妙な信念がたくさんあります。だから、私は踏み込みたくなかったのです。そこに踏み込むと自動的に間違うことになるからです。これは一種の免責事項です:自動的に私は間違っています。だから、もしあなたが私は間違っていると思うなら、正解です。
-エーテル界、あるいは、ルドルフ・シュタイナーがエーテル界の背後にある元素的存在たちと呼ぶものを、どのように体験するのか?
‐自然現象に取り組む中で、そのような体験をしたとして、霊的な存在と接触しているという感覚をどのように持てるのか?
これらを理解しようとして、私が自然に関わって取り組んできた、30年間の成果を提供したいと思います。
霊的存在たちとの交流の感覚を持つことは、非常に大切です。そうでなければ、私たちの自然との体験は、ますます抽象的なものになってしまいます。そして今、バイオダイナミックの現場においてさえも、抽象的な思考が、バイオダイナミック農法が必要な方向に成長するのを妨げる恐れがある状況にあります。これは個人的な意見です。既に言ったように、もちろん私は間違っています。けれども、これが私の個人的な意見です。
多くの人と話し、多くの場所を訪れ、そして多くのワイナリーと仕事をし、バイオダイナミック農法が彼らの経営とどのように関わっているかを見る中で、私たちはこう問うことができました。「 科学に基づいて金儲けとして成り立つ経営をする彼らの農場と、バイオダイナミクスの概念はどのように関わっているのだろうか?」 この質問をすると、ごりごり と音が聞こえるようです。ワイナリーがカリフォルニア大学デービス校の農学部から受ける指導と、バイオダイナミクスで行うべきことが鉢合わせすると、ゴリゴリと頭をぶつけ合う感じになります。その必要はないのですが、そうなってしまうのです。私は生産者たちと話し、彼らと一緒に時間を過ごしましたが、彼らは皆同じことを言います。トラックの荷台に積まれた血まみれの牛の頭が、どうして霊的な意味を持つのか。血まみれの牛の頭の目的を、単にレシピを求める人々に説明するのは非常に難しいのです。大概の人はレシピが欲しいだけなのです。もし問題があれば、郡の指導員に連絡をする。それは保証であり、保険に入ったようなものです。
しかし、バイオダイナミクスにおいて、ルドルフ・シュタイナーは保険を売っているのでも、レシピを教えているのでもありません。彼は未来の研究のための原則を提示しているように、私には思えます。錬金術の深い伝統に根ざし、古代の神秘学派にまでさかのぼる素晴らしい研究パラメーターを私たちに与えてくれているのです。秘教的な観点から言えば、自然界を変容させる鍵は人間の意識であり、それは地、空気、水、火の4つの元素に加えられた第5の元素です。それはアカーシャであり、アカーシャがなければ自然は単なるカオスなのです。しかし、人間が自然と係わるとき、物事は変化します。人間と自然との相互作用は、自然界の標準的なパラメーターを超えた可能性を生み出すのです。例えば、製薬です。薬草から薬やチンキを作ったとしても、そのチンキは自然界には存在しません。それは自然の一部ではなく、人間の意識と自然界の相互作用の一部なのです。そしてその結果、その物質のあり方は変わり、働きも変わります。それは、いわば ‟不自然”になるのです。
これは、あなたが自然人であれば、ちょっと考えづらいかもしれません。あなたが畑を耕すとき、それは自然ではありません。間違った方法で耕し続けると、なぜそれが自然でないのかを知ることになります。指導員に来てもらって、「そうじゃなくて、こうしなさい」と指示してもらわなくてはなりません。
シュタイナーの農業講座の背景にあるのは、自然を変える力としての意識の質なのです。最もわかりやすい形で言えば、その意識は「農的イマジネーション」と呼ばれるもので、「新しい参加者意識」とでも呼ぶべき内的体験から生まれます。この言葉は、学者オーウェン・バーフィールド(Owen Barfield)から来ています。古い参加者意識はこうです。「あなたが鶏を犠牲に捧げないなら、世界の神々、女神たち、デーヴァ、そして元素的存在たちが、あなたに何かをさせるだろう。」それは自然界の未知なるものに対する一種の恐れに駆り立てられたものです。これが、従来の参加者意識 です。このような参加は、しばしば、さもなければあなたの生活に災難を齎すかも知れない自然界の存在を、なだめることに等しかったのです。
その後に現れたのが、 「経験的意識」、あるいは 「観察者の意識 」と呼ぶものです。このレベルの意識は、科学的に法則性を発見し、それを利用して自然を操作し、作物の損失や害虫の侵入、疫病の脅威を克服しようとします。DDT(Drop Dead Twice)を使えば、確かに克服は出来ました。しかし、それは明らかに”不自然”です。この意識は、自然界にパターンを作り出し、その中で観察者が何かを行い、その結果を観察することができます。これがやがてNPK肥料(窒素ーリン酸ーカリ)の計算式と実践につながりました。ドラム缶の中で鶏糞を加熱すると、ガスが発生し、やがて上部に結晶ができます。この結晶を掬ったものが尿素と呼ばれます。NPKの組み合わせでは、これが 「N 」です。この方法を学んだ人々は、糞尿から窒素成分だけを取り出して爆薬を作りました。その後、尿素を植物に与えると爆発的な成長が起こることが発見されました。植物は急速に水分を吸い上げ、成長を見せたのです。これがNPKを作るときのプロセスであり、一種の錬金術的・化学的プロセスですが、それが計算式として体系化されたものなのです。しかし、私たちは糞尿や土壌、植物、そして窒素の中にも元素的存在たちがいるという事実を見失います。窒素の存在たちには意識があり、人間は自分の体内の窒素を通してその存在たちとも繋がっています。土壌学者にそのようなことを言うのは愚の骨頂ですが、秘教的な観点からは重要な概念なのです。
古代世界では、自分の体内にある窒素を使って自然の精霊とつながることが、怒れる神々のなだめ方を知る原理でした。自然界の霊的存在たちと自分をつなぐ架け橋となる物質が体内にあったのです。ある物質を摂取すれば、体内の窒素が植物アルカロイド(塩基性窒素化合物)の窒素存在にアクセスする能力を高めることも発見されました。これらの物質に含まれる窒素が人の意識を変性するからです。このような原理は魔術から始まり、近代農業を推進する経験的で批判分析的な自然観に結実しました。ルドルフ・シュタイナーは、観察者意識からオーウェン・バーフィールドの 「第二の参加者意識 」へ移行するための、まったく別の一連のルールをもたらしました。最初の参加者意識は魔術です。第二の参加者意識とは、観察者意識のルールを理解する必要性の意識です。もっとも基本的なルールは、私が何かを観察するとき、私の中で何が起こるのかを理解しなければならないということです。だから、私は自分の観察を観察する必要があります。そうすることで、私は農的イマジネーションに入ります。やがて私の意識は大きく変わり、自然界に観客としてではなく、参加する観察者として入るので、諸力の働きや関りを、単なる抽象的な力ではなく、人格や存在たちの性質として経験できるようになります。自然の諸力は、単に数式化できるような抽象物ではないのです。
訓練をすれば、自然の諸力が、私の中に浮かび上がる表象を通して、私に語りかけれるようになります。これをシュタイナーは「イマジネーション」と呼びます。私たちの文化では、イマジネーションとは空想のことだと思われがちですが、彼がこの言葉で指しているのは、空想的なものを排除し、その代わりに諸力の法則性を見出せるように訓練された想像の能力です。彼はそれらの諸法則を 「元素的存在たち (Elemental beings)」と呼びます。そして、自然界の力のパターンを 「元素(Elementals) 」と呼ぶのです。このように、観察者の分析的意識を転換するためには、新しい”見る”能力が必要です。そうすれば、想像力を持った参加者意識で、自然界の諸法則に入り込むことができます。ですから、自然への係わりが、神官の仕事になるのです。単なる分析的な決まり事の適用ではなく、聖なる行為なのです。決まり事は一種の基礎にはなりますが、新しい参加者意識へは変わっていきません。それは単に、すでに知られていることを適用させるだけなのです。
農的個性
農業で実際に仕事をする人にとって、新しい参加者意識が、シュタイナーの言う 「農的個性 」を認識することを可能にします。これは、あなたの土地の鉱物構造に存在する諸力と諸法則の組み合わせであり、局所的な気候、特定の植物相、動物相、そしてあなたがその局所構造にもたらすものです。これらすべての要素が、特定の人格を持つ存在を構成しています。その土地に流れる力には固有の行動パターンがあり、だから他人の土地に行けば、「何かが違う」という内的体験をするのです。そこで問われるのは、「その違いを意識化できるか、それともなんとなく感じるだけなのか」ということです。
その違いを意識化する訓練ができるのです。本書では、それがどのように可能かについて、いくつか示したいと思います。ミクロの中にマクロを見るにはどう訓練すればいいのか?局所的な諸力の中に、宇宙的な極を見いだし、それらの力が物質としてどのように現れるのかを見る訓練です。そしてそれは、従来の科学的文脈においても、論理的に筋を通すことができるか? もしあなたの農地の作物が、慣行農法で栽培されている農地を凌駕していれば、人々は疑問に思うでしょう。それは、生産者が政府当局に指示されることと、あなたが経験から知っていることの間に橋を架ける機会を与えてくれるでしょう。郡の指導員のアドバイスとあなたの日々の仕事の間に、シュタイナーの指標を学習ツールとして置くことができます。データに基づいて抽象化されたものを論じるときに、シュタイナーの指標から始めると、「彼が言った、彼女が言った 」になってしまいますが、自分の経験から直接語る場合は違うのです。
シュタイナーの提示することを大まかに言うと、「農的個性」とは宇宙の諸法則と地球の諸法則の間に宙吊りにされた霊的人格であるということです。この2つは直接交換可能ではありません。それが問題なのです。宇宙の諸法則と地球の諸法則の間には逆転があるのです。イマジネーションの訓練をすることによって、答えをすぐに確定しようとせずに、この逆転に参加することができるようになるのです。ですから、この章のテーマは 「マクロ/ミクロ 」としています。
イマジネーションの訓練
農的イマジネーションの訓練には、「観察する」「表現する」「静寂に持ち込む」そして「記録する」という4つの側面があります。実践的な練習に加え、さまざまな現象や実験を参照して、農的イマジネーションの「形のモチーフ」の意味を考えてみましょう。まず、自然の中で農的イマジネーションを試みようとするとき、あなたが目にするものの形は、それを生み出した力の骸であるという法則があります。そして、その骸の中には、その形に成っていく働き(Activity of becoming)に私たちが意識で参加するための鍵が隠されています。私たち人間の意識は、イマジネーションを使った参加によって、その骸を生き返らせることができるのです。私たちは、「形の成っていく過程(Becoming of the form) 」のイマジネーションを内的に創造することができます。この 成っていくことを 「成長 」あるいは 「生命ジェスチャー (Life gesture)」と呼ぶこともできます。植物、動物、鉱物の生命ジェスチャーには明確な法則があり、私たちはその形を観察し、その形を表象として内的に表現することによって、その法則にイマジネーションを使って参加することができるのです。しかし、自然の変容に参加するためには、私たちが内側に表現する表象は動くものでなければなりません。なぜなら、私たちは、その形がどのようにして生まれたかに意識で参加しようとしているのであり、その形を静止画として見ているのではないからです。
この図を見てください。この形を見ることは観察です。これを内的に静止画として、観察することができます。形を見て、目を閉じて、心の中で形が見えるかどうか自問してください。これが最初の練習です。クラリネットが吹けないなら、練習すればいいのです。同じように、心の目で形を想像できないなら、練習するだけです。今見たばかりのものをイメージするのが難しいなら、体のどこかにそれができる場所があるはずです。私の経験では、内的表象が描けないと言う人は、やがてそれを捉えられる場所を体の中に見つけます。すると突然、表象が浮かんできます。もしこれができるなら、どうしてできないのか想像するのは難しいし、できないなら、どうしてできるのか想像できません。
イマジネーションという言葉は私( I )と魔術師/賢者(Magi)からできています。つまり、魔法のように内なる表象を描くことができるということです。内なるイメージを形成することは、「表現 」と呼べます。つまり、外側にあるものの表象を、内側に移動させ、自分自身に表わそうとすることです。外側にあるものを、心の目(Mind's eye)で内側に表現する。これが想像力の基本です。
もうひとつの演習をしましょう。紙に簡単な円を描いてください。正確でなくて構いません。適当な模写でいいです。描いたものを見て、それが円であることを確認します。次に目を閉じて、約30秒間、円を心の目に留めようとしてみてください。あなたがイマジネーションの中に、円を保とうとするとき、あなたの生命力(Life forces)がこう言います。「頭の中に円が停止しちゃってますよ、、、進行させましょう。」これをルドルフ・シュタイナーはエーテル体の作用と呼びます。表象を捉えて、放そうとしなければ、それを動かし続けようとする生命の働きに逆らっていることになります。有難いことに、生命の働きが表象を動かし続けてくれるおかげで、あなたの頭の中には、これまで心に描いたり見たりしたものすべてが残ってしまわないのです。表象があなたの心の目に捉われてしまうことを避けようとする働きが、あなたの健康を保っているのです。しかし、表象を捉えて、生かすことを学びたければ、生命体(エーテル体)が表象を溶かす働きが鍵となります。生命体はその表象を動かしたいだけなのです。ですから、停止画にしがみつこうとするのではなく、表象を一連のイメージとして表現すれば、生命体は喜ぶし、あなたがコントロールしています。これは大きなことです。生命体が喜ぶのは、あなたが表象を動かしているからであり、その動かし方を決めるのはあなた自身なのです。これが、ここでいう”表現”です。
磁気圏の図をもう一度見てみましょう。黒っぽいエリアの中の小さな穴のような所から、何かが拡がり、右のほうへ広がって伸びて、やがて萎むのは、どんな感じがするか想像してみてください。指を使って、この動きを、空気に彫刻するように、2、3回やってみましょう。絞って、持ち上げて、広げて、流す。あなたの生命体があなたにイメージを与えてくれるまでやりましょう。こうして、生命力(Life forces)をトレーニングするのです。基本的には、牛の注意を引こうとするようなものです。何度か繰り返さなければいけません。あなたの生命体は牛のようなもので、「ただ生きろ」と言うのです。もし私がこの図をを描いたとしたら、私がしなければならなかったであろう動きを内的に真似してみることで、私は私の生命体を訓練します。この動きを音にしてもいいです。「プシュー、プルルルー」とか「シュワ―ヒュー―!」とか。あなたが視覚型でなく、聴覚型なら、それもいいし、それも想像力です。実際に表象が見えなくてもいいですが、自分の中にある表象のようなものに触れているような感覚は必要です。農に携わっている人なら、触覚的な学習が得意かも知れません。2本の棒で、地面にに絵を描けば、あなたの生命体は 「ああ、こんな形のものを作っているんだ 」と言うでしょう。イマジネーションを形に参加させるトレーニングをしているのです。
重要なのは、形が元素的存在たちを知るための鍵になるということです。ものの形は、それらがどのように生まれ、どのように消えていくかを露わします。植物であれ、腎臓であれ、膀胱であれ、腸間膜であれ、形はそこに働く力を理解する鍵なのです。もしあなたが想像力を働かせて形を扱うことを学び、普段していることにイマジネーションを使って参加し始めると、突然、普段していることが別の種類の可能性についてあなたに語り始めます。ルドルフ・シュタイナーはそれを 「元素界 」と呼びます。おかしな帽子をかぶり、先のとがった靴を履いた小人がパイナップルを食べているのを見るのではなく、特定の場所で何が起こるべきかを想像し始めるのです。園芸家たちはこれを 「緑の親指 (Green thumb)」と呼びます。それは、あなたの想像力が、その分野での諸力の協働に参加できるようになったということなのです。
プレゼントで植物をもらったけれど、1ヵ月後には黄色くなってしまった人が、あなたが園芸家なのを知っていて、その植物を持ってきます。すると1か月後にはまた緑色になっています。どうしてそんなことが起こるのでしょうか? その人が持っているイマジネーションの質を、生きている植物は捉えます。それは生きたイマジネーションでできているのだからです。 植物の器官は、その植物が必要とする力のイメージであり、その植物が特定の仕方で日光を受け止める、宇宙の特定の場所、特定の季節や時間、あるいはその植物を有用にする物質を作り出すことを可能にする特定の形状のイメージなのです。シュタイナーの世界観では、宇宙からの諸力が創り出す形が、最終的にその植物の持つ形に至らせます。ここにある図のイマジネーションをもう一度捉えてみましょう。絞り、広げ、音にしたり、描いたり、感じ取る方法を探すのです。
今度の写真はどうでしょうか。ぎゅっと締ったり、持ち上がったり、拡がったり、やがて萎んだりしています。前の図と非常によく似た形です。形がこのように機能するとき、その関係は 「対応 」と呼ばれます。二つの図の間には形式的な対応関係があるのです。前の図は、太陽風によって生成される地球周辺のプラズマ環境と、その太陽風が電磁気圏をどのように歪ませ、何千マイルも宇宙空間に広がる長い尾を引いているのかのイメージです。真ん中の小さな穴はオーロラが形成される空間(Plasma Chamber)です。非常に大きなもののイメージです。今度の図はカイアシです。花粉粒ほどの大きさのプランクトンで、膨大な数が地球上にいます。この関係が 「マクロとミクロ 」です。ここで問われるのは、「このような対応関係は、私たちが新しい科学の基礎として使えるものなのだろうか、それとも単なる空想なのだろうか?」ということです。
自然を観察するインナーワークを始めて、対応関係が見え始めると、この問いは私自身の成長にとって重要になります。これは個人的な経験から言えるのですが、世界が普通の現実と違って見え始めます。30年前、私は『The Biodynamic Book of Moon』を書く過程で、ゲーテを読み、内的視覚化の演習を続けていました。ある日、庭に出てみると、すべての植物が 「ワオ、ワオ、ワオ」と言っています。すべての花が静止したスナップショットではなく、「ウープ!ウープ!」とやっているのです。私はそれを消すことができませんでした。このようなことが起こったのは、私が自然の中の形を 「成り立ち(Becoming) 」として認識する練習に深く関わっていたからで、突然、花の形が 「成り立ち 」として見えてきました。植物がどのように成長し、どのようになるかを見せてくれたのです。植物がどのように成長するかを見せてくれるなどということに、慣れていなかったので、私はビビッてしまいました。そこで大事な問いは、「 これを始めたら、それを止めることもできるのか?」スイッチをオフにできないなら、問題です。オフにするには、表象の動きをコントロールできなければなりません。そうでなければ、それは動き続けるだけです。そうなると、夜寝るのも難しくなります。夜中の2時だろうが、映像が好きな時にやってくるのです。それがぐるぐるといつも頭の中を巡って、「ああ、主よ、ここから出してください。もう二度とこんなことはしない。」ということになるでしょう。
イマジネーションの良いところは、活発な想像力を持つことですが、難しいところも、活発な想像力を持つことです。このようなインナーワークをしていると、いかに簡単に物事を発明してしまうかがわかります。そして、あなたが牛の角でやっているおかしなことについて、新聞記者が取材に来た時に問題が起きます。あなたの中ではいろいろ閃いているので、”クリエイティブ”になっています。そして自分のインタビューが公になると、”科学者タイプ”の人たちからメールが届き、後悔することになります。シュタイナーが 「正確なイマジネーション 」と呼ぶ認識方法は、想像力を使いますが、空想や作り話ではないのです。
太陽風の影響を受けた地球の磁気圏とカイアシが同じ形をしているからといって、両者が直接関係しているわけではありません。ただ、似たような形をしているというだけです。その形がどのように作用しているのかを知りたければ、観察し、表現する段階を経て、沈黙の段階へと進まなければなりません。沈黙とは、イメージを表現して分解することを、リズム練習として、内的にやり続けることを意味します。イメージを形成し、表現として頭の中で変化させ、解消する。それを繰り返します、形にして、動かして、溶かす。連続して変化するイメージを形成し、解消する練習です。解消されたイメージは沈黙の中へ移動します。私がイメージを沈黙の中に移動させると、諸力の背後にいる存在たちが私に近づいてきます。なぜなら、私は今、彼らのあり方に積極的な関心を示しているからです。人間である私が、積極的な意志と共に沈黙することで、形の顕現を導く元素的存在たちに敬意を払っているのです。彼らは、意識的で沈黙している人間は非常に珍しいと知っています。しかもその沈黙は、彼らの仕事への敬意を示していますので、元素的存在たちは、それにとても惹かれます。彼らはやってきて沈黙の空間に入り、こう言います。「 君のイマジネーションはいい線いっているけど、もう少しこういう感じですよ。だから、今度あの場所に○○を置いてみたらどうかな。やってごらん。」”やってごらん”という提案は、私が自分の表象形成を完全な沈黙に持ち込めた時にやってきます。
もしあなたの心持が正しく、イメージが正確に形成され、イマジネーションの中でそれがどのように動くかに心から興味を持ち、それを沈黙の中に手放すならば、何かがあなたにやってきます。マクロとミクロの反応は、単純に交換的作用の法則です。何かを押し出そうとする私の行為は、反対に何かを引き入れようとする反応を生み出します。私が自然界の現象の表象を描いて、解消するたびに、その現象の背後にいる霊的存在によって、私の意識の中に何かが持ち込まれ、形作られます。
そこで私は何をしたいかというと、この対話を記録したいのです。スケッチや絵を描いたり、思いついた言葉をググったり、ちょっと変な言葉でも、何でもいいので、書いておきます。ただし、それは答えではなく、答えの始まりに過ぎません。答えを得るためには、プロセスを繰り返していくのです。数時間後であったり、次の日であったり、何かを足していきます。内なる映像化を何度も繰り返す必要があります。自然から形成モチーフをイメージし、解消し、記録する練習です。やがて、私たちの意識の中に、自然の中でそのことについて何ができるか、どのように生命形態と取り組むことができるか、あるいは特定の物質、植物、動物、鉱物をどのように使うことができるかという直感が生まれ始めます。時間と共に、それらがどのように対応しているのかが見えてくるのです。そうなると、疑問に思ったことをググって、驚くべき対応関係を発見したりします。このような対応関係を霊的宇宙観と呼ぶこともできます。今日、科学が生み出した豊かな事実関係やデータは、霊的宇宙観的アプローチから非常な恩恵を受けることができます。
霊的宇宙観は、人間を霊的な世界の文脈の中に位置づけるものであり、その世界には、自然に命を吹き込んで、人類に寄与する存在たちが住んでいます。霊的宇宙観がなければ、実験的分析プロトコルのためのデータベースに集められた、ばらばらの事実の集合があるだけです。霊的宇宙観と共に表層から掘り下げて探求すれば、自然科学の知見とも一致する洞察に導かれます。たとえば、あなたは、ある植物が持つ目的についてのイマジネーションを既に持っていて、そこで、ある物質についても同じ目的を見出すかも知れません。あるいは、宝石とバイオダイナミック調合剤とのつながりや、特定の鉱物と植物とのつながりを見つけるかもしれません。動物のある器官が、実は動物のpHを下げるスペシャリストであり、成長を調節する特定の物質に影響を与えていることを発見するかもしれません。自然科学には、無数の発見がありますが、宇宙論を持ちません。もし、霊的宇宙観的アプローチの一部として文脈化されたならば、それらは驚くべき洞察に結びつくかもしれません。
ルドルフ・シュタイナーは、宇宙観を伴った新しい参加者意識を持つことで、元素界を再び見ることができるという事実を示しました。ただし、それは、人々が恐れを持って自然の存在たちに対していた、古いあり方ではありません。人々が恐れと共に自然存在を体験すると、人間の微細な構成体(Subtle bodies)が緩み、あらゆる種類の幻想的なものを見るようになります。そのような存在を見たとき、人々は自分が見ているものを説明するための共通の符号を教えてもらう必要がありました。それらの符号は伝統となり、人々がどういう場所で、どういう存在と出会うのかを規定するようになりました。
それとは対照的に、新しいアプローチでは、イマジネーションを訓練して自然界に入り込み、自分が関わっている場所について、自然界が自分の中で語りかけるようにするのです。そして、農的個性は概念ではなく、あなたにとって現実に、相対して知っていこうとする存在であって、その悪意を恐れて、鶏を生贄に捧げたりする必要はないのです。自分のイマジネーションを混じりなく、整えることに取り組むなら、あなたが接触している元素的存在たちは、あなた自身の生命体の力を導く存在たちを含め、あなたが生きる場所のすべての力を導く大天使のような、より大きな霊的存在の文脈の中で姿を現します。ここに、拡大した創造的な人間意識の入り口があります。
マクロとミクロの対極性
ここで、この自己変容のプロセスの感覚を掴むために、一連の演習を紹介しようと思います。マクロの極、あるいはルドルフ・シュタイナーが言うところの 「周辺的な力 (Peripheral forces)」から始めましょう。マクロの力は宇宙的な力であり、ミクロの力は地上的な力です。シュタイナーの言葉では、宇宙は 「マクロ 」で、マクロの力はすべての潜在性の源です。それは可能性の中に生きているのです。マクロの力は、シュタイナーが 「光の平面たち 」と呼ぶものによって、周辺から作用します。無数の光の平面が天周(Periphery)から内に向かってやってきます。宇宙的な力は、あるものが別のものに変化するプロセスに働きます。世界における光の活動は、物事を動かすために必要な発酵を作り出すことです。植物は葉緑素を通して光を利用するように組織されています。葉緑素は、植物が光を受けとめて、活動的になるための物質です。
宇宙的な力の対極にある地上的な力が、ミクロの力です。マクロが潜在的な力であるのに対し、ミクロは顕在的な力です。ミクロの力は 「ここにあるこれ」を表します。マクロは平面で働き、ミクロは点、つまり私たちが 「物 」と呼ぶものの質量の中心の中心点で働きます。マクロは周辺にあり、ミクロは中心にあります。マクロはプロセスであり、ミクロは物質です。このふたつが偉大な両極です。ルドルフ・シュタイナーは農業講座でこれらの用語を使い、肥料、石灰、シリカなど、より身近なものの説明の中に散りばめています。彼は、マクロ/ミクロの極性を常に含む一種のメタ言語で話すのです。自然界の物事がどのように作用するかについての彼のイマジネーションは、これら二つの霊的あるいは錬金術的な極性の相互作用として描写されます。これらの極性のシステムが、先に述べた宇宙観を構成します。シュタイナーの宇宙観では、マクロとミクロが相互に作用し合っているのです。その相互作用の原因となるのは、意識です。植物の意識、動物の意識、岩石の意識、人間の意識、あるいはあなたの身体に住んでいる元素的存在たちの意識。あなたはこれらにアクセスすることができますが、空想的にではなく、首尾一貫して体系的に行う必要があります。
シュタイナーは農業講座でこんなことを言います。
――― 空気中の死んだチッソと別の種類の窒素には大きな違いがあります。この種類の窒素、生きているチッソは、全宇宙(Entire heavens)の影響下で形成されなければなりません。生きている窒素は生きていなければならないのです。
「窒素は生きていなければならない」とはどういう意味でしょうか。シュタイナーは 「潜在性 」のことを言っているのです。この窒素はまだ物質として顕現はせず、活動やプロセスとして生きていなければならない、と言っているのです。生きているとは、他のものと相互作用して成長を促す、潜在性を指しています。
――― 消化器官から体内に入るものはすべて、神経や感覚系に属する器官に供給される材料にしかなりません。対照的に、骨や腸や血液を作るのに必要な物質は、呼吸によって、さらには感覚器官を介して、環境全体から吸収されます。私たちの周囲からもたらされるものは、「枠組み物質」からなり、暖かさと光に包まれている限りにおいて、感覚器官によって取り込まれるのです。
「枠組み物質(Framework substance)」とは何でしょうか?それは、最終的に特定の物質を生み出す力のパターンのことです。それは、後に特定のものとして顕現する何かの、潜在的なエネルギーの雛形や枠組みです。シュタイナーはこの枠組み物質という言葉を使って、「鞘 (Sheaths)」あるいは「準備の鞘 」と呼ばれるものを説明します。鞘とは、物質を引き寄せる自然界の形、あるいはエネルギー的な形です。鞘は枠組みであり、今日の言葉で言えば、特定の方法で堆積する物質を引き寄せる「アンテナ」です。シュタイナーは、「鞘 」をある種の意識を生みだす源として説明しています。これが、調合剤に鞘を使う理由です。鞘に包まれた物質に意識の形を与えたいのです。「ある調合剤を使うと、植物が土からカルシウムを取り出せるようになる。」というような言い方があります。これはどういうことでしょうか? それは意識の様式なのです。
シュタイナーがここで使う言葉は錬金術的なものであり、極性は常にマクロ/ミクロ、周縁/中心、プロセス/物質、生/死、潜在性/顕現の両極です。物質とは、生命から抜け落ちたものですが、それでもなお生命のしるしを持っており、これが最大の鍵なのです。形には「モチーフ」と呼ばれる、形に特徴を与える一連のパターンがあります。形のモチーフは、知覚的に人間の感情と関連しています。感情は、形がどのように私たちの中に表象として生じるかをめぐって生起し、この体験の意識を私たちは、訓練し、発展させることができます。そして、たとえば自然の中に出た時に、風景の中のさまざまな要素が自分の感情にどのような影響を与えるかを意識できるようになります。これは、知覚対象から、感覚に入ってくる光のパターンと大いに関係があります。それでは、これを一連の形を使ってやってみましょう。観察し、表現し、沈黙に入り、そして記録していきます。
この図を見て、これがどのように成長するかを想像してください。この形を成長させたければ、どんな動きが必要でしょうか?その動きを内的に想像し、そのイメージを消し去り、その沈黙の空白に耳を澄まします。次に、この形がどのように成長するかについての、あなたの経験をただ書き残します。このプロセスが、イマジネーションの訓練のための「思考実験」です。観察し、内的表象で表現し、それがどのように成長するかを想像してみてください。
この形にもっと深く入り込みたければ、練習を繰り返し、そのたびに学んだことを内的表象に反映させていきます。やがてその形があなたに語りかけてくるようになり、自然の中に出て行ったときに、特定の生命体の中にある生成の力が見えてきます。この「見る」ことは、同時にその形の理解を助けてくれます。これが 私の言う「形が語りかけてくる 」ということの意味です。あなたの意識におけるこの内的な活動は、あなたと自然界に存在するエネルギーの形との間に橋を架けるのです。
今度はこの図を見て、同じことをやってみましょう。観察し、それを表現し、この形がどのように成長するかを想像します。そしてそれを沈黙の中に解き放し、あなたの経験を記録します。
さて今度は、前章でも見たこの図です。ニコラウウス・クザーヌスは神性の本質をより深く理解しようとして、このダイアグラムを使いました。ここに、垂直線”A”上の点"a"を中心とする円があります。”A”と水平線”B”が直角に交わる交点で、この円”B”に接します。ですから、”B”は円の接線です。次に、少し大きな円を見て、その中心が垂直線”A”のどこにあるかの見当をつけます。3番目のさらに大きな円も同じように、中心となる点を探してください。どの円もAとBの交点で水平線に接することに留意しましょう。これがこの思考実験のプロトコルです。円の中心を”A”に沿って垂直に移動させ、円を大きくし続けるのです。ニコラウス・クザーヌスがこれを行ったとき、彼は圧倒されるような体験をし、初めて宇宙の法則が理解できました。円の中心が無限に達するまで、垂直に移動させて、円を拡大し続ける。これがニコラウスのやったことです。円の中心が無限に達したとき、円はどうなるのでしょうか? あなた自身の思考実験として、観察し、表現し、沈黙に入り、記録してください。以上の三つの図を使った演習はすべて、マクロとミクロの対極性に関連しています。
この演習を他の人たちと一緒に行う場合は、発見したことを話し合ってください。他の人が発見したことに耳を傾け、もし自分の中で何かが変化するかどうかを見てみましょう。もしそれを確認できたら、その変化の質が、元素界と協働する鍵になります。自分の理解が変化する時を意識することが、とても役に立つのです。というのも、元素的存在たちが私たちに伝えようとしていることは、しばしば私たちがこうであろうと信じていることに反していて、私たちは彼らの言いたいことを理解していないのです。だから、彼らは私たちが、自分の考えの変化に気づくことを 望んでいるのです。
最初の図は「点からの円」と呼ばれるもので、ある点から外側に向かって、すべての方向に直線的に伸びる無限数の線によって、円が広がっていきます。これは 「爆発 」です。爆発的な動きを表しています。中心的な成長(Centric growth)は、中心から外へ向かいます。しかし、自然の成長でそのような動きをするものは、驚くほど少ないのです。結晶でさえそのようには成長しません。結晶は周辺部から成長します。
対照的に、二つ目の図が示す力は「平面からの円」を形作ります。外から無限数の平面が内に向かってくるのです。円の外周にある無限数の平面が互いに交差するので、そこには、無限数の点があることになります。これの不思議なところは、無限数の点は、中心から放射状に、あるいは爆発的に伸びる無限数の線からも生まれるということです。自然界に存在するあらゆる中心は、その中心から発せられる無限数の線と、外から中心に向かって押し寄せる無限数の面を持っています。中心からの放射は、爆発的な運動を表しています。発生学は、ほとんどのものが周辺から成長することを示します。
ニコラウス・クザーヌスは、円を無限に拡大すると、(実際には、彼は球体を円で表していました。)無限に達したところで平面になることを発見しました。円を無限に広げると、円の中心が無限に達したところで線になります。私たちは地球が丸いことを知っていますが、海に行って水平線を見ると、平らな線が見えます。木星に行って地平線を見たら、地球上より平らでしょうか?人間の意識は約100ヤードの距離で感覚世界に遭遇すると、すべての光を平行光として経験すると科学は言います。地平線では、すべての円は平らな線になり、すべての球は平面になります。これは「平行光線 」と呼ばれます。100ヤードでは、すべての光線が平行に見えるのです。このセクションの最後にもう一度、農業講座に戻りましょう。
――― 土壌そのものがどの程度生きたものになれて、どの程度それ自身の化学的性質を発達できるかは、主として土中の砂質成分によって決まります。植物の根が遭遇する土壌条件は、岩や石が、宇宙的な生命や宇宙的な化学をどの程度集められるかに大きく影響されるのです。
光と宇宙的な要素が地球に吸収され、効果を発揮するのはシリカを通してです。私たちは、シリカが生命にとって不可欠であることを決して忘れてはいけません。ルドルフ・シュタイナーは、「土は太陽の子である 」とも言っています。土が太陽の子であるのは、生命、潜在性、活動を取り込むのがミネラル成分であり、それが有機物になるからです。しかし、それは媒介者を必要とします。光は媒介者が必要なのです。次にこのことについて見ていきます。