『ベルサイユのばら』にコンビの真髄を見た話
とうとう咲ちゃん最後の大劇場公演が始まった。
原作漫画は好きで何回も読み返しているんだけど、生で宝塚版を観劇するのは初めてだし、映像も何年か前に2006年以降のをさーっと一通り見ただけで、詳しくない中で大劇場に突撃。
どこが変わったとかそういうことはよく分からないけど、とにかく今の雪組の体制で『ベルサイユのばら』を公演してくれて感謝、感謝…
咲ちゃん、あやちゃん、あーさ、縣くんはじめ、みーんな麗しくてマントさばきや歩き方の所作も美しくて、よく言う「漫画から飛び出してきたかのよう」だった。
他に語るべきことや語りたいことはたくさんあるんだけど、私が現体制になって見つけたオアシス「さきあさ」コンビについて語りたい。
★★★★★
今回は特に演出的に意識されたのか、元々あったと記憶している台詞も含め、役だけではなく、リアルな芸名の各人に語りかけるように捉えることができる部分が多いように感じた。
『ベルサイユのばら』原作ラストに誕生日が書いてあるが、中心となる3人は同い年。日本の年度で区切っても同学年。
そして、すみれコード破ってしまうが、咲ちゃんとあーさは同世代。
この二人がフェルゼンとオスカルを、しかも退団公演で演じるという巡り合わせに、運命的なものを感じている。
ワンスでマクキャロやる前のまだ少し遠慮のある時期に、宝塚GRAPH2019年5月号の「ふらっと」のコーナーで、まるで同じクラスの同級生の下校風景みたいな柔らかい表情で並んで歩くツーショットを見て、さきあさを表するなら「友情」がぴったりだと思った。
オフショットのページで、階段でグリコをして遊ぶ写真があったが、少年のような服装も相まって、階段の下にランドセルが二つ置きっぱなしになっているのが見えるようだった。
思えば、さきあさコンビは、咲ちゃんがトップになってからは、完全な敵対関係(あーさが悪役)を演じたことがないような…
親友、義兄弟を経て、ボイルド・ドイル~では概念として同一人物を演じるまでに至る…
以前のフェルゼン編にはあって今回はカットされたが、原作漫画でオスカルの恋心に気づいてしまったフェルゼンは、今までのように会うことはできないと前置きした上でこう伝える。
咲ちゃんとあーさも、ともに語りともに苦しみながら、この3年間一つひとつの作品を作り上げてきただろう。
そして、先日発売した『an・an』で、咲ちゃんは下級生のあやちゃんとあーさのことを尊敬していると語る。
フェルゼンとオスカルを結びつける、尊敬の念も共通の思い出も色々詰め込んだ「友情」は、そのままさきあさコンビに重ねて見てしまう。
直接親友だと伝えるシーンは無くなったが、今回なんと新曲が加わった。新曲はてっきりアントワネットに向けた曲だと予想していたから、本当に驚いた。
オスカルを表す白バラを持ってフェルゼンが『セラヴィ・アデュー』を歌うシーンに重みをものすごく感じる。
フェルゼンがアントワネットへの愛にひた走るなか、オスカルはアントワネットの傍でフェルゼンを信じて見守る。
前出の『an・an』で、咲ちゃんは静かに見守ってくれるあーさに感謝のメッセージを送り、あーさは咲ちゃんが自由に舞台を駆け回る姿が好きだと答えていたっけ。
そのインタビューを思い出したせいか、初日に、あーさが柔らかい笑みを浮かべながら、後ろから咲ちゃんを見つめている姿に、ぐっときた。さながらフェルゼンを見守るオスカルのよう。
開演前にパンフレットを読む時間がなく、終演後に開いてみると、あーさが「忘れたくない咲ちゃんの姿は?」という質問に、初日や千秋楽で挨拶する時の後ろ姿を挙げているではないか。こんなの泣いちゃうよぅ…
私も彩風咲奈というトップ男役が大劇場の0番に立ち、その傍には朝美絢という男役が常にいた景色を忘れないし、私の中に生き続ける。
セラヴィ・アデュー!