日本の多くの企業や組織が「入り口でつまずいている」状態について
前回の、今日本でグローバル社会人が求められている、という話の続きです。この記事と次の記事では、自分の暮らしているベルリンで観察したり、考えてきたことをベースに、日本人や日本のビジネスには海外進出のチャンスがたくさんあるのになぜそれができていないのか、ということをもうちょっと深く考えてみたいと思います。海外進出をしたいのに「入り口でつまずいている」という表現は、前回の話に出てくるマニラの知人が使った表現で、とても良いと思ったので使わせてもらいます。
テーマパークでも、ビルでも、訪問したい人の家でも良いのですが、入り口でつまずく、ということは、まだ中に入れていない、ということですよね。でも、実際に入れていないとしても、中のことはだいたい分かっている、見当はついている、というようなことはないでしょうか。ネットで記事を見たとか、人から訪問話を聞いた、などの経験にもとづいて。
人でもそうでしょう。本当に会って直接話をしたことはまだないけれども、SNSなどで見ているから、「こんな人なんだろう」とだいたいの想像がついている、ということはありますよね。
これは、「自分が実際に知っていること」と、「想像はしているけれど、本当は知らないこと」がちゃんと区別されていない状態、と呼ぶことができます。ちょっと哲学的な話に聞こえるかも知れませんが、この区別って簡単にできるものなのでしょうか?「自分が知っている」ことはどこで終わり、どこから「自分がまだ知らないけれど、これから知ること」が始まるのでしょうか?
自分の持っている知識の外、自分の頭の外に出ることはできないわけですから、「自分が何を知っているか(あるいは知っているつもりになっているか)」は分かるとしても、「自分がまだ知らないことは何か」を私たち人間には知ることはできない、と言えそうです。なんだか頭のこんがらかりそうな話ですが、簡単に言えば、こういうことです。知らないことは知らない、そして何を知らないかも知らない、それが人間だ、と。そしてここから出てくる知恵は、「自分はまだ知らないことがたくさんありそうだぞ」、ということです。
入り口でつまづく、というのは、ただ「色々なことをまだ知らない」ということではありません。また、入り口を超えて中に入るということは、「中のことが分かった、知ることができた」ということでもありません。
入り口でつまづく、というのは、「知っているつもり」なだけで、「知らないことがたくさんありそうだ」ということに気づいていない、ということです。そして入り口を超えて中に入るということは、「知らないことがたくさんありそうなので、興味を持って知ろうとする」ということです。
日本企業が海外の市場に進出しようと思う場合、あるいは日本人が海外で働きたいと思う場合、入り口でつまづかないにはどうしたら良いでしょうか。日本ではない場所に行って、その場所やそこに住む人々、そこで活動する企業を知ろうと思ったら、ただ日本語で情報収集をして、「知ったつもり」になってはいけない、ということです。まして、自分のこれまでの日本での経験をもとに、「こういうことなんだろう」と想像で勝手に決めつけない方が良い、ということです。次の記事では、よく見かける「想像の落とし穴」をいくつか具体的に挙げてみたいと思います。