アートの未来のための、長く、人間くさい議論を経たシンプルな変革──「Startrail」のリブランディングについて
ブロックチェーン技術を用いたアートのためのインフラ「Startrail」を構築するスタートバーンでは、このたび、自社サービスブランドの名称やデザインを新たにするリブランディングを行いました。
ブロックチェーン上のシステム「Startrail」と、それを利用しやすくするためのウェブアプリや物理的なNFCタグなどを提供するサービス「Startbahn Cert.」という従来のあり方に対し、両者のブランドの柱をともに「Startrail」へ一本化。「Startbahn Cert.」を、「Startrail PORT」 へと改称しました。「Startrail」や社名のロゴもより統一感のある形にリデザイン。ユーザーの使いやすさの向上や、スタートバーンの取り組みのさらなる普及を目指します。
今回のゲストは、それに向けた課題の洗い出しや解決法の提案など、足掛け1年以上にも及ぶリブランディングに伴走したデザイナー・アートディレクターの小田雄太さん。スタートバーン代表の施井泰平と、その背景やプロセスを振り返ります。さらに、広報の水野里咲も飛び入り参加。3者の対話からは、スタートバーンの企業風土も見えてきました。
Startrailをめぐる複雑さを整理する
――今回、スタートバーンは、自社の取り組みの見通しを良くするためのリブランディングを発表しました。まずはその背景について、施井さんからお聞きできますか?
施井:スタートバーンは、ブロックチェーンを公共の利のための技術と捉えてきました。「Startrail」はこの技術を用いたアートインフラなので、将来的にはスタートバーンと切り離し、脱中心的に機能するように構築しています。なので、インフラ名のStartrailと、企業名の「スタートバーン(Startbahn)」に別の名前を付けていたんですね。前者はあくまでも公共のシステム、後者はその社会実装を先導していく会社という位置付けです。
しかし、2021年3月以降のNFTブームを経て、それまで専門用語でしかなかった「NFT」の概念が急速に民主化しました。NFTへの需要が高まり、ブロックチェーン業界とアート業界が交わり合うようになってきたので、私たちの取り組みにまつわるさまざまな複雑さを整理して分かりやすくしたかった。そんな思いが今回のリブランディングのきっかけになりました。
とりわけStartrailと、それを使いやすくするための物理的なNFCタグなどを提供する「Startbahn Cert.」の関係がユーザーには分かりづらかった。前者はいわば奥にある水道のシステムで、後者はその手前にある蛇口のような存在。セットで機能するのに、名前が分かれていました。そこで後者の名称を「Startrail PORT」に変更することで、Startrailとの関係をより分かりやすくしました。
――小田さんにはどのような流れで相談をされたのでしょうか?
施井:小田くんとは古い友人なのですが、Startbahn Cert.のロゴをデザインしてもらった関係で、以来毎週のように社内ミーティングに参加してもらっています。一方、Startrailのロゴは田中せりさんという別のデザイナーさんが手がけたもので、今回のリブランディングにあたり小田くんに統一化をお願いする流れになりました。
小田:泰平くんと初めて会ったのは、泰平くんがスタートバーンの最初の構想を立ち上げ、特許を申請した2006年くらい。でも、途中まではただの飲み友だちだったよね(笑)。
施井:そうだね。ただ小田くんは、以前からいわゆるテクノロジーとクリエイティブの交わる領域で仕事をしていた。そういうことができる人は世の中に多くないし、何か一緒にやりたいなと思っていたので、満を持してお願いしたのがStartbahn Cert.のロゴデザインでした。
Startbahn Cert.は、公共のインフラとスタートバーンの自社事業の間にあって、サービスの位置づけやあり方について少し複雑でややこしい論点がたくさんありました。小田くんとはStartbahn Cert.の開始後も2年以上、そういう面倒くさい議論を延々としてきました。また、うちは社内の公用語が英語なのですが、それにも対応してくれて、ブランディングの知見も広い。これはぜひ今回もお願いしたいと思いました。
完璧なトップダウンと完璧なボトムアップの共存
施井:小田くんはうちのミーティングに参加しながら、どんなことを感じていたの?
小田:スタートバーンという会社は、議論を徹底的にやる組織なんです。完璧なトップダウンと完璧なボトムアップが両方存在している。だから大変なんですよ。
施井:(笑)たしかに「フラット」ではないね。
――具体的には、どういう状態ですか?
施井:僕が思いつきで動いて……。
小田:そう。泰平くんの思いつきからはじめて、議論を重ねてデザインを練り上げ、「これだ」となるんですけど、それが周りのメンバーから完全にひっくり返されるんです(笑)。それなりに理由があって時間をかけたトップダウンで下りてきたものを全力でひっくり返す人がいっぱいいる。だけど、そこには各々の理由があって意味がある。僕としてもさんざん泰平くんと議論してデザインの試行錯誤をしているのですが、現場の人たちがひっくり返す理由や意味は信じないといけない。
普通に考えるとデザイナーとしてはなかなか辛い状況ですが、僕はPsychic VR Labの「STYLY」というVRプラットフォームや「NewsPicks」を立ち上げから経験したこともあり、デジタルプロダクトやサービスの人のコミュニケーションのノリは肌感で知っていたので、スタートバーンもその延長で理解できた部分がありました。
今回のリブランディングでは、最初にStartbahn Cert.のサービス内で使用するタイプフェイスやカラーのルールを整えようとする動きが現場のデザインチームから上がってきました。そのためには、StartrailとStartbahn Cert.、そしてスタートバーンという会社の関係性から根本的に整理するべきだろうと話が進み。最終的にはデザインチームから「それならロゴタイプやタイプフェイスも統一した方がいい」という意見が出てきた。じゃあそこまで戻ろう、と。3歩進んで10歩下がるという具合でしたね。
そういった現場チームからのボトムアップ的な意見に対して、マネジメントチームからも「このデザインは必要だけど、ブランディングとしてここまでは必要ではない」というようなトップダウン的な正直な意見がガンガン出てきて、ずっと殴り合いをしていた感じでしたね。完璧なボトムアップであるとは、そういうことで。サービスの画面デザインのレベルで見直しを図っていたら、そもそものサービスの位置づけに関する議論が上がってくるわけです。僕の役割としては両者の立場に立ちバランスを調整しながら、ブランドにとって効果的なデザインとは何かを考えるようにしていきました。
今回、Startrailのロゴも微妙に変えたのですが、具体的には書体自体が変わっているんですね。従来のロゴに使われていた微妙に異なるサンセリフ書体を、もともと社名の「Startbahn」のロゴに使われていたジオメトリックサンセリフに統一しました。Startbahn Cert.という一つのサービスのデザインルールを整えることを発端に、他のサービスの全てのロゴも過去のロゴのエッセンスを活かしつつ、完璧に統一したものに整えるべきだというところまで議論が遡るんです。
――ボトムアップの小さい変更の要望を吸い上げたら、一番シンボリックなロゴの統一という話まで行き着いてしまう、と。
小田:そうです。しかも、その理由や文脈の整理を十分にしないと議論が全然進まない。だから、今回のロゴの変更はパッと見るとあまり変化がなく、華々しいリニューアルではないのですが、1ミリを動かすのに100トンの力がかっている感じなんです。
ただ、それだけの精密な作業を全社的に行うのは、すごく特殊で。だいたいは、デザイナーがマネジメントチームとデザインを決めれば、それに全社的に従う流れになるでしょう。今回はそうじゃない。現場チームの小さな気付きに対して、全社的なブランディングというおおごとになるレベルでマネジメントチームが真っ向から向き合いながら議論を徹底する。そこはスタートバーンのすごいところだなと感じます。
誰かの言葉を疑い、精査する。スタートバーンの反抗的風土
――施井さんは、そうした風土を意識的につくってきたのでしょうか?
施井:そうですね。僕はリーダーシップは取るんですけど、それを否定する人の意見は喜んで受け入れる方だと思います。だから、小田くんの「トップダウンとボトムアップが両方ある」というのは面白い表現だなと思いました。水野さんはどう思いますか?
水野:最初にトップダウンがあるからこそ、ボトムが反発的に動くという感じですよね。
施井:たしかに! 「反抗的」なのかもしれない。
水野:うん、反抗的。今回のリブランディングに関しても、私は広報担当なので、メディアや一般の方に向けて説明するたびに、StartrailとStartbahn Cert.のブランドや名称が分かれていることの煩わしさを感じていたんです。でも、名称がもともと分かれていた意図も分かる。そのバランスをどう取るかはスタートバーンのあり方に大きく影響するので、これまで通り全社的な議論を続けていく必要があると思ってます。
――トップやエンジニアだけでなく、広報の方も含めみんなで意見を言い合うんですね。
小田:僕も会議中に、水野さんに「これをそう変えるのはいいですけど、広報として、理由はちゃんと言えますか?」みたいなことを言いますからね。
施井:そういう問いかけ合いを全部やるんです。ちょっとした言葉や名称の統一だけでも何回も議論します。
たとえば「NFTをつくる」行為のことを、これまで僕らは「発行する」と表現していました。でも、のちのNFTブームでは「ミントする」という言葉がすごく流行した。以前は「NFT」すら伝わらないから使わないようにしようと水野さんと話していたのに、伝わりやすい言葉に逆転があったんですよね。
そのとき、「発行」と「ミント」のどちらを使うのか。結局は「発行」で統一したのですが、そういうことも一個ずつ話し合います。
水野:「ミント」はブロックチェーンやNFTに慣れた方には分かる言葉ですが、一般の方やアート業界の方には馴染みがない。一方で、やはり親しみやすさの観点から「NFT」のことをあえて「ブロックチェーン証明書」と呼んでいましたが、NFTには紙の証明書とは違った性質や機能があるというニュアンスが逆に伝わりづらくなってしまう懸念があった。今回のリブランディングを機に「ブロックチェーン証明書」という表現を廃止することにしました。
小田:みんなお互いの言葉を鵜呑みにしないんです。「デザイナーの言葉」「エンジニアの言葉」「社長の言葉」「広報の言葉」とはせず、とにかく議論をする。僕はさまざまなメディアの立ち上げやリブランディングに関わりましたが、ここまで大きな議論を細かいデザインにまで落とし込めるところは本当に少ない。とくにデジタル領域のスタートアップはそう。
しかもその結果として、ロゴが非常にプレーンになったのは、僕もあまり体験のない意思決定でした。というか、もはや誰の意思決定なのかも分からない。さまざまな立場から投げ掛けられる「これは要らない」「これは理解できる」の繰り返し。だから、スタートバーンの会議は面白いんです。
時を超えて求められるもの。組織に共有されたピュアな原理
施井:反対に、そこまでみんな真剣に突き詰めるからこそ、方向がバッチリ合ったときの反応は早いです。たとえば、ブランディングガイドラインの整理が一通り終わりかけたとき、僕がふと今までの違和感を整理して「Startrailにブランドを統一しよう」と今更のように提案したら、みんな「ずっとそう思っていた」と。
水野:「やっと言ってくれた、待ってました!」という感じでした。
小田:揉めると思いきや、そこはすんなり行ったよね。
施井:すごい緊張しながら提案したんだけど(笑)、普段は大谷翔平のスイング張りに打ち返してくる人たちが、みんな賛同して。やはり複雑性に疑問があったんでしょうね。
――意見は微妙に違っても、みんなが何かしら共通の基準を持っているからこそ最終的に納得できる解を見出せるんだと思うんです。たとえば、会社像とかアート観のような、最後に戻れる拠り所。スタートバーンにとって、そうした共通の価値基準は何ですか?
施井:最近、スタートバーン掲げるミッション、ビジョン、バリューの文言も再検討しているのですが、そのために社員の考え方を具現化した結果見えたキーワードは「時を隔てる」。たとえスタートバーンという会社がなくなったとしても、インフラとして「長く使われるもの」をつくるという感覚は共通しているかもしれません。
それは僕らがDAO(分散型自律組織)を目指していることとも地続きで、さらに言えばそうしたブロックチェーンの脱中心性はアートと相性がいいと思っています。アート業界には、有名美術館や有名アーティストのような影響力の強いプレイヤーもいますが、そのあり方や価値を決めているのは有象無象のコモンセンスであるとしか言えない。そうしたアートの価値づけの仕組みはとてもブロックチェーン的だし、そもそもスタートバーンにはそうした構造に興味のある人が多いのかなと思います。
小田:議論の中心は、基本的にやっぱりアートなんですよ。みんな経済合理性を中心に置いていない。「アートにどう向き合うか」「アートを扱うとはどういうことか」を全員が考えている。その軸があるから、議論が宙ぶらりんにならないんです。
こういう完全なトップダウンとボトムアップが両立する組織って、いわゆるトップどころのファッションブランドにも言えるかもしれません。たとえば、僕もお仕事をするコムデギャルソン(noir kei ninomiya)もそう。いろんな立場の人が、全員「ファッション」という答えのないものに真摯に徹底的に向き合っている。
――みんな、自分のファッション観を持っている。
小田:ええ。中途半端なブランドだと、謎の経済合理性が働いてしまって、変な脇道に外れちゃう。だけどトップブランドには、そういうピュアな原理が働いている気がします。翻って、とくにアートは、お金がなくても触れられるものですよね。万人に開かれているから会社の誰でも意見が持てるし、一方、それに立ち向かうエネルギーも大きくなる。
施井:スタートバーンのメンバーは、みんなそれぞれ別の角度からアートに対するイメージを持っているんですよね。それらがぶつかるのはいいなと思っています。たとえば全員がアート業界に長くいる人たちだったら、ある程度分かりやすい答えのパターンはもうあるじゃないですか。それだと閉じたものになる。
新たな時代のアートの可能性を広げるうえでも、業界のウケがいいだけのものを出すのではダメだという感覚はずっとあります。アートを軸にしていることは間違いないけど、「アート観」にはいろんな可能性を残しておきたいと思っています。
ユーザーの心地よい体験のための、切り詰められたデザイン
――お話を聞きながら新しいロゴを拝見すると、議論を尽くした結果、これだけシンプルな解が生まれたことにあらためて驚きます。小田さんは前のStartbahn Cert.のタグや、今回のStartrail PORTのタグも手がけていますね。このタグも作品の邪魔をしないことが求められますが、こうしたロゴやタグをデザインするうえで意識したことは何ですか?
小田:StartrailとStartrail PORTの関係は、道路と車の関係性に近いんです。車の話になるとみんな車のフェティッシュについて話すけど、そもそもきちんとした道路がないとその乗り手の体験は成立しない。逆に、良い道路をつくったとしても、ユーザーが乗りたいと思う車がなければインフラは成立しない。その二つは切り離せなくて、スタートバーンは両者をつくっている。だから、一番考えるべきは、そのユーザーの感じ方だと思うんですね。
インフラやプラットフォームをつくる会社のVI設計は、目に見える部分がシンボリックになる傾向があるんです。ユニークなものをつくろうとする。でも、同じ感覚でStartrailやStartrail PORTのリデザインをすると全然ダメでした。
そうしたなか、あるとき「humor」の語源を調べると「体液」って意味だったんです。そこで僕にとって大きな価値転換がありました。ユーモアって、シンボリックなものではなくて循環するものなんだと。「カッコいい車をつくろうぜ」だけではなく、ユーザーが意識せずとも車と道路の良い関係を味わえる。今回はそうしたアプローチが必要なんだと気づきました。
――ユーザーがうまく物事の良い循環に入っていける状態を目指そう、と。
小田:もうひとつ、僕はCIやVIをやる際、サービスと会社の人たちのバランスを考えるんです。たとえば社員が華々しければシンプルにしたり、地味なら温度感を入れたり。その意味でスタートバーンはみんなすごく人間くさい(笑)。ならば、僕がつくるものの方はシンプルでいいとの判断もありました。
ほかにも田中せりさんによるStartrailのロゴの原案をもとに、円の中のジオメトリックな関係性を新たに比率的に統一したり、細かい話ですが、Michele Angeloroさんの原案によるStartbahnの「S」も、大文字にする際に斜めの線がロゴの構造の中に見えるように、その入れ方について議論しました。というのも、田端鉄平さんデザインによるもともとのスタートバーンのロゴには斜めの線があったんです。
施井:「滑走路」って意味なので、飛び立つ飛行機のイメージで斜めにしたんです。
小田:そのシンボリックさや文脈はきちんと込めつつ、派手に見せるのではなく、より統合的に、精密にしていく調整をしています。
――Startrail PORTの「PORT」は、どんな判断で選ばれたのですか?
水野:「HUB」や「EXPLORER」などという案もあって、何度も社内で投票を繰り返しました。ただ、たとえば「EXPLORER」は、やはりアートの人からすると少しテッキーな印象がある。テクノロジー感が少ない方が親しみやすいだろうということで、「PORT」になりました。
施井:Startrail PORT自体は、作品の登録や受け渡しをする場所。荷物の積み下ろしや輸送を行う「港」のイメージがハマったんですね。
水野:タグの方も、ホログラム素材にすることで、保証感や信頼感を加えましたね。
小田:この素材なら、何かの色を作品に付与せず、プレーンな印象が与えられる。保証のためのシールという感じになりました。
デジタルサービスだけでなく、こうしたフィジカルも用意するのがStartrail PORTの強みです。いわゆる「NFT」はデバイス上で完結するので、フィジカルな作品をつくる人と無関係になりつつある。フィジカルとオンラインをつなぐNFCタグなどのアイテムは、美術作品の価値を保証するStartrailの思想的にもすごく重要で、こだわりましたね。
アートの生態系を変える。経済ではなく、人間くさい文化を。
――スタートバーンがStartrailというインフラで目指すのは、作品の真正性の担保、流通の効率化、アーティストへの金銭的な還元といった、アートを巡る環境そのものの変化だと思います。最後に、その変化の先にどんな未来を期待するか、お聞きできますか?
施井:僕はこの20年一貫して、情報社会におけるアートには必ず大きな変化がある、とくに流通やアーカイブ、マッチングがドラスティックに変わるだろうと考えてきました。
これまでは基本的に、一部の美術作品しか評価や批評、アーカイブ、売買の対象にもなりませんでした。けれどテクノロジーの発達によって、現在、その垣根は限りなく失われつつあるように見えます。世界中の、本当にどんな場所でもアートがつくられ、世界とつながれるような環境が、スタートバーンという会社の目指す未来です。
もちろん、そのことで既存のトップティアがなくなるわけではないし、いまのアートの世界が全てオープンになってしまうわけではない。でも、アート界のピラミッドがあるとして、これまで見えなかった層まで可視化されてダイナミズムが起きると、価値のつくられ方が変わる。Startrailというインフラは構造の変化をもたらすと期待しています。
水野:私も、これまで不可視だった部分からダイナミズムが起こる環境になったらいいなと思います。スタートバーンのメンバー全員がアート出身の人間ではないですが、むしろ不可視の層からアートの世界と直接つながる機会を得られなかった人がいます。そして、私もその世界に引け目を感じていた一人です。
じつは学生時代に少しだけ、アートのつくり手になりたいという思いを抱いていたことがあって。結局、アートだけで生活するのが難しいと知り、それを越える才能が自分にはないだろうと諦めました。必要な仕組みが整った先では、才能があるかどうか分からないけれど試してみようという気持ちを持つ人が、より増えていくのかなと思っています。
――いままでアーティストとして食うことのハードルが高すぎた面はありますよね。じつは「成功」のモデルが画一的で、小さい展示から始まり、有名ギャラリーに所属し、美術館で個展をやり、海外に行き……みたいな何となくのモデルがあった。Startrailは、そのルートに乗れなかったり一度は諦めたりした人が作品で生活する術にもなり得ますね。
施井:そうですね。それが既存のトッププレイヤーにも影響を及ぼしたらいい。それこそYouTuberが最初に出た頃、TVタレントはYouTuberの世界と区別されていたけれど、いまその垣根は曖昧になってますよね。そういうチャンスの拡大こそが重要だと思うんです。
アートの世界では、ギャラリーでの個展のような最初の一歩のハードルがとても高い。機会損失が多くて、才能の99%はおそらくその時点で失われているのではないか。僕はみんながフラットに食えるようにしたいわけではなくて、ダメな人はダメでいいけれど、チャンスは平等にしたいんです。みんなのエネルギーが適切な形で肥やしになると、全体はよりでかい樹になると思います。
小田:僕は、テクノロジーが生態系としてどんどん自律して、人間が介在せずともシステムが循環する未来が普通にあり得ると思うんです。その意味では、ブロックチェーンを介してアートのアイデンティティが循環していく未来は、全然あると思う。
ただ、僕はその循環のきっかけは経済合理性ではなく、人間臭さで成り立ってほしいという気持ちがあるんです。経済と文化は両極端というか、天秤みたいなもの。その循環が経済合理性からではなく、文化から始まることが大事なんですよ。なぜなら、文化をつくるのは人間の仕事じゃないですか。その始まりの最先端に、スタートバーンがいてほしいと思っています。
そしてそのとき、今回いろんなもの削ぎ落としてデザインしたVIに、人間らしい物語がどんどん加えられたら嬉しいです。そういう未来を期待したいですね。
小田雄太
デザイナー、アートディレクター
COMPOUND inc.代表/Machizu Creative inc.取締役
多摩美術大学非常勤講師。
平面領域のデザインを軸足にしながら、メディアやファッション、VR領域、エリア開発、まちづくりまでのリードデザインを手掛ける。
最近の主な仕事として、千葉県松戸市「MAD City」ディレクション、「NewsPicks」UI/CI開発・ブランディング、diskunionリブランディング、COMME des GARÇONS「noir kei ninomiya」へのデザインワーク提供(2014-2020)、下北沢再開発エリア「BONUS TRACK」VIサイン計画、インキュベーションセンター「100BANCH」プランニング・VIサイン計画、VRプラットフォーム「STYLY」VIデザイン、伊藤園「OCHASURU?」クリエイティブディレクションなど。2020年から文化庁メディア芸術アーカイブ事業クリエイティブディレクターに就任。
施井泰平
スタートバーン株式会社 代表取締役
株式会社アートビート 代表取締役
現代美術家。起業家。2001年の多摩美術大学卒業後「インターネットの時代のアート」をテーマに制作。現在世界中のNFT取引で標準化されている還元金の仕組みを2006年に日米で特許取得、ERC-721規格誕生前の2016年からアートのブロックチェーン活用を進めるなど、業界トレンドの先手を打っている。2014年、東京大学大学院在学中に起業したスタートバーン株式会社では一貫してアート作品の信頼性担保と価値継承を支えるインフラを提供。事業の中心である「Startrail」は、イーサリアム財団から公共性を評価されグラントを受けた。東京大学生産技術研究所客員研究員、経済産業省「アートと経済社会を考える研究会」委員など歴任。
水野里咲
スタートバーン株式会社 広報担当
幼少期と高校時代をドイツで過ごす。慶應義塾大学環境情報学部卒業。在学中、世界各国の子ども達が撮影した写真の展示会やSNS発信を企画し、付加価値の創造に関心を持つ。スタートバーンには、2018年よりインターンとして参画した後、社内初の新卒として採用を受ける。趣味は旅行で、特にラオス農村地が好き。
聞き手・文:杉原環樹
ライター。1984年東京都生まれ。武蔵野美術大学大学院造形理論・美術史コース修了。出版社勤務を経て、美術系雑誌や書籍で構成・インタビュー・執筆を行う。主な媒体に美術手帖、CINRA.NET、アーツカウンシル東京関連。関わった書籍に、津田大介+平田オリザ『ニッポンの芸術のゆくえ なぜ、アートは分断を生むのか?』(青幻舎)、卯城竜太(Chim↑Pom)+松田修『公の時代』(朝日出版社)、森司監修『これからの文化を「10年単位」で語るために ー 東京アートポイント計画 2009-2018 ー』(アーツカウンシル東京)など。