お正月に思うこと
お正月について書かれたエピソードが『泣く大人』と『やわらかなレタス』にあって、
両方興味深く読む。
どちらもお正月に流れている時間のこと。
そういえば森見登美彦さんも『太陽と乙女』という本で、お正月の話をしていた。
(それも、年末年始の時間の話だった)
お正月って子供の頃からの記憶や思い出が凝縮されていて、本当にいつもとは違う密度で過ぎていく、という感じがする。
堰きとめられていた時間が一気に流れだして、弛緩して、ゆるやかに日常に戻っていく感じ。
『泣く大人』では「お正月の境目」についての話をしてた。引用すると膨大になるから省いてしまうけど、あの感じ、とても分かると思う。
お正月って特別で楽しいこともたくさんあるけど、一方で疲れることもあって、それは何故かというと、全然ひとりになれないからだった。
(だから、noteを書くと少しホッとする)
一月の異称といえば睦月だけれど、
それは「睦び親しむ月」という意味で、お正月にピッタリな名前な気がする。
普段会えない親戚の人たちとか、家族とか、
そういう人と会える月でもあるから。
あと、素敵だと思ったのは、
「おめでとう」の意味。
「めでたし」の語源のひとつに「愛で甚し」があって、
「愛づ」は愛情を寄せる気持ち、
「甚し」ははなはだしいという意味だから、
「おめでとう」というのは愛情があふれているような、そんな言葉でもあるのだと思った。
愛したい気持ちを表す言葉。
それが祝福を意味するようになっているんだな、なんて。
疲れるのは、
常に(!)誰か(主に子供たち)がまわりにいるのに加えて、食べ過ぎてしまうからかもしれない。
お正月にしか食べないものが多すぎるのだと思う。それに豪華だし。
だから、あれもこれも体に入れようとする。
(そんなに入らないのに)
本当はお正月にお酒を飲もうと思ってたけど、こんなに食べてるのにお酒まで入らない気がして、結局一滴も飲んでない。
親戚の家に行ったときはみんな飲んでたけれど、車の運転があるから飲めなかった。
お屠蘇も口にしていない。
久しぶりにしたのは、縄跳び。
(縄跳びって、大人になるとやらないよね)
なんとか30回は跳べた。
冬休みの宿題を私も一緒にしてる気分。
午後は書き初めをしようと思っているところ。これもお正月にしかやらないことだ。
そんな特別な期間を越えて、
日常に戻っていく時間が私も好きだな、と思う。