今日は何をしようか
重い夢捨てたら身軽になったぜ。
というセリフが、昔読んだ漫画にあった。浅野いにおの作品だった。
叶えたい未来、すなわち夢を持つことは素晴らしいことで、自分を突き動かす原動力だと思う。しかし同時に、夢、特に大きな夢は自分の可能性を狭めるものでもあると思う。
夢をもって生きている人は少なからずいる。僕も小さな頃から「将来の夢はなんですか?」とよく聞かれてきた。しょっちゅう変わったが、何かしらあった。
夢は持つべきものだった。答えられないとつまらない人間のように思われていた、かどうかはわからないが、そういう空気あったよね。今もあるのかい。
「大学で学びたいことは特にない。高校を卒業したら、公務員になる」と、クラスメートに告げたら「夢がないな」と言われた。
まあ楽しそうな進路ではないだろう。しかし学びたいこともないままに大学に進学することもまた魅力的とも思えなかった。
就職する、というのは僕にとっては将来の選択肢を広げるための選択だった。
コンコルド効果、という言葉がある。
これまでに投資したお金、時間、努力が無駄になることを恐れて、投資を続けてしまう状態のことだそうだ。
大学に行って、何かを専攻して学んだら「せっかく大学まで行って学んだのに」と、適性のない職業を夢に掲げてしまう恐れがあった。18歳の僕にはやりたいことが多すぎて、何を学ぶかを決めきれなかった。
一年浪人したが、無事地方公務員になった。
絵描きになりたかった。
漫画家になりたかった。
小説家になりたかった。
SEやWEBデザイナーもいいな。
僕はどれにもならず、区役所で働いた。
大学と同じ4年間。きっちり働き、きっちり稼ぎ、きっちり学び、退職した。辞めるときには「もったいない」と言われた。
やりがいはあった。自分でいうのもなんだが適性もあったろうけれど、激務で未来の自分や時間を消費するほうがもったいない。
そして今はお店を開き、自分でHPを作り、イラストを描いたり、ちょっとした文章を書いたり、昔やりたかった仕事を自分自身に発注している。大変ではあるが、「何かやりたい」と思ったときにそれなりにすぐ始められる生き方をしている。
夢は点だが、人生は線だ。自分や誰かが決めた一点に向かい続けるよりも、自分の足跡がぐにゃぐにゃしてるほうがおもしろい。どうせみんな最後は同じ点に集まるのだ。
夢がないことは自由だ。道しるべもないところで、さあ何をしようか、その瞬間こそもっとも夢のある瞬間だと僕は思う。
今日は何をしようか。
おいしいパンを探しにゆこうか。
色鉛筆でも買ってみようか。
星の数を数えてみようか。