感覚の適材適所: 知らないことは、知るべきか?
化学療法をしなきゃならない、ってなった今、そこから派生して未知への立ち向かい方を考えることがあります。
わたしにとって化学療法は、予備知識の薄い"未知"
だから怖いし、可能なら避けたいと思うこと。
でも、怖くて避けたいけれど治療のためには不可避の事態。
さて、ここで未知を知ろうとすること、不可避だからと踏み込まないこと、どちらが適切か?
正解はないけど、考えてしまう。
わたしは、この化学療法に関しては不可避だから踏み込まない、を選んだ。
新たに知っても怖くなるだけだし、怖くなったところで避けられない。
なら、徒に自分の不安を煽るのはやめようと思った。
未知への立ち向かい方は本当にケースバイケースだと思う。
わたしも、未知を知ろうとする(=予備知識の隙間を埋めようとする)こともある。
感覚も適材適所てきに使っていったらいいのだろうと思う。
ここには敏感に。ここには少し鈍く。
わたしは敏感、わたしは鈍感、みたいに自分の感覚はひと種類だけ、なんて考えなくてもいいのかもしれない。
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