誰かに贈る、その理由は?
雨の東京より、おはようございます。
ある方の有料マガジンで読んだ内容に少なからず衝撃を受けたので、読んで思ったことを書き残しておきたくて書いています。
有料マガジンから思ったことなので、そこに何が書かれていたのかを明記することはしないでおきます。
わたしは人に喜んでもらえると嬉しくて、プレゼントや差入れを選ぶのは得意だし好きなのですが、それはわたし自身の“贈りものをする余裕のある自分でいたい”だったり、“褒められるセンスのあるわたしでありたい”という欲望の表れだったのかもしれない…という気づき。
書いてしまえば「いや、まぁ多少はそうだよね…」とも思えることではあるのですが、マガジンを読んだときのわたしにはなかなか衝撃的な発見だったのです。
純粋無垢なものに、憧れる。
昔から、わりとそうです。
それは、取り繕うことが当たり前になっていたからなのかもしれないです。
もしろん、プレゼントや差入れを選ぶことだって、全部計算と自己顕示欲でしているわけではない(と思いたい)です。
自分の希望だけに基づいて、その欲に動かされているのだとしたら、ちょっと寂しいなとも思ってしまう。
純粋になりたい、そう思う時点で、もうわたし自身は純粋ではないのだろうけど。
朝からちょっと切ない気持ちになりはしましたが、でも誰かのため、は自分のため。
同じように自分のため、もきっと誰かのため。
100%どっちかのためだけだったら、それはそれで寂しいのかもしれません。
これからも、今日の発見に臆することなく、誰かに何かを贈ろうと思います。
そのひとの嬉しく思ってくれる気持ちを、わたしが感じたいから。
三連休明けで今日からお仕事の方もいるでしょうか?(わたしもそうです!)
読んでくれた方に、今週も楽しいことがたくさんありますように。
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