ちょっと弱音:大丈夫なフリをする話
雨の降りそうな東京より、おはようございます。
先日4クール目の抗がん剤治療が終わりました。
わたしの勘違いにより、全6クールではなく全8クールだということが判明し、先が遠のいてさすがに落ち込んでいます…
自分でも無理からぬことだと思いますが、よっぽど早く終わりたかったのですね。
がんの記録はあんまりつらかった記録にしたくないので、つらい気持ちを言葉にするのはできるだけ避けていました。
言葉にするとより一層落ち込む気もしましたし。
それと、正直言って平気なフリでもしていないと自分が折れてしまう気がしていて。
だから、周りにはわたしのこと意外と大丈夫そうって思っている人もいると思う(実際言われたりもする)。
でも治ったら知ってほしいかも、と思うのは、それはそう見えるように振舞っていたからだっていうこと。
そういうひとは、がんの闘病者さんじゃなくてもいると思います。
どうなんでしょうね、平気なフリでもしてないと折れてしまうから、折れそうな気持ちを抱いて平気なフリをすることの是非は。
ひと言でまとめられない程度には、難しい話ですね。
大丈夫なフリは、バランスがとても難しいことだと思っています。
無理しすぎないようにした方が自分のこころの健康のためには良いだろうけれど、周りとの関係やその時々で気にしなくてはいけないことも人それぞれ違うから、たまにこころを隠す必要が出てくることもある。
でも、こころを隠すことでこころが傷ついたりもするのですよね(これは最近読んだ漫画に描いてあった描写で、はっとしたのです)。
答えの出せない話ですね。
難しい、答えが出せない、と書いてしまったけれど、こういうことから目を背けずに考えていきたいなと思います。
わたしはひととひととは完全にはわかり合えないと思う派なのですが、ひととひととの間に完全な溝を引くのもさみしいなと思う派でもあります(ややこしい)。
隠したこころ、隠すも見せるも自由にできたらいちばんいいなって思う。
とはいえ、まだあと半分も治療が残っているので、わたしはもうしばらくは折れそうな本音は表立って出さずに過ごしていこうと思います。
正直、もう治療嫌だなって思う気持ちもありますが…半分頑張ったんだから、あと半分もきっと頑張れる。
まとまらない話になってしまいましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。
今日も良い1日でありますように♡
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