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【オリジナル小説】メイメイ 1、2
1
歳は四歳か五歳の頃だ。いつも母は僕を保育園から連れ帰り、その後僕を一人家に残して、習い事に行っている兄を迎えに行った。その間僕は一時間程、一人で過ごすのだ。
初めの時こそ、静かな家が怖くてベソをかいていたものだが、すぐに順応して一人の時間を満喫するようになった。
やがて家の中の遊びにもすぐ飽きてしまい、僕は外に出ることを決心した。家の鍵も渡されていたので、戸締りも問題はない。
しかし、“一人で外に出る”ということへの勇気がなかなか出ず、決心をしてから数日は、ただ玄関でうろうろしてみたり、靴を履いて玄関のドアの前で緊張して立ち尽くすだけだった。
ある日、やっと覚悟を決めた僕は、満を持して外の世界に飛び出していった。
庭に放り出してあったスコップとバケツを持って、家に一番近い公園に向かう。保育園に通う道すがらにあるので、行き方は知っている。
一歩踏み出す毎に、バケツの中でスコップが音を立てる。
かたん、ことん。
たくさんの子供達が遊ぶ声でいっぱいの公園の入り口で、僕は立ち尽くした。
当時の僕と同じくらいの年代の子供もちらほら見えるが、小学生くらいの、年上の子供達の方がずっと多い。
四歳か五歳の己よりも、身体の大きい子供達が走り回り、大声を出し、ボールを投げるなどして遊んでいる。僕と歳の近そうな子供達は、おそらく大きい子達の兄弟らしい。自然な様子で大きい子達の中に溶け込んでいる。
疎外感。
なんとなく、公園の中に入ることが許されない様な気がした。僕は首を縮めて、身体をなるべく小さくしながら、その場から立ち去った。
家がある方向とは違う方角の道を、当てもなく歩いた。とても寂しかった。
思えば、あまり親や兄とは遊んだ事が無かったように思える。僕が物心付いた頃には、兄も母も忙しそうにしていた。父は単身赴任で、片手で収まる程度しか会ったことがない。ほとんど知らない人だ。
僕はさっきの公園で遊ぶ子供達のように、兄と遊んだ事が無い。一緒に走り回って笑い転げることも、小さな衝突と和解を繰り返すことも、したことがない。
かたん、ことん。
かたかた。
バケツの中で、スコップが音を立てる。その乾いた音色が耳に届く度に、胸がキュッと締め付けられた。
もっと母や兄と話したい。もっと一緒に居たい。頭の奥の方が熱くなり、視界が僅かに霞んだ。暖かい雫が下瞼を越え、頬をコロリと転がり落ちていく。
かたん。
スコップが鳴る音と、僕の泣き声が重なる。
どれだけ歩いたのか、周囲はもう見慣れない住宅街だった。迷子になってしまった。
寂しくて流していた涙が、これからどんどん空が暗くなっていく中で、家に帰れないかも知れないという恐怖の涙に変わった。
僕が帰らない事で、母や兄は心配してくれるだろうか。気付かないかもしれない。どんどん心細くなっていく。足が重くなった。乾いたアスファルトが、小さな僕の影を写している。
かたかた。かたかた。ことん。
虚しい音が、僕の首筋をチクチクと刺激する。焦燥感と恐怖で、舌が乾いて口蓋に張り付いていた。ついに僕の足は棒のようになり、その場に立ち尽くしてしまった。
鼻水を啜りきれずに、服の袖で拭う。口の端から、呼吸と共に泣き声が漏れていく。僕はこれからどうなるんだろう?
「どうしたの?」
2
優しくて、何だか安心する、女の人の声がした。辺りには誰も居なかった。が、人気の全く無い小さな公園が、すぐ目の前にあった。広さは一軒家の敷地より少し大きい位で、両側を大きなマンションに挟まれているせいか、夕方近い時刻を抜きにしても、かなり暗く感じた。
「どうしたの?悲しいの?」
その公園には遊具は無かったが、一番奥に小さな砂場が設けられていた。女の人の声は、公園の中から聞こえている。しかし姿は見当たらない。
公園に一歩踏み込むと、何だか周囲の音も聞こえにくくなった様な気がした。ついさっきまで泣いていたというのに、僕はその静かな雰囲気に一気に心を洗われてしまった。もう涙を流すことはなかった。
「どこに居るの?」
「ここよ、こっちよ」
周囲を見回して、その声が奥の砂場の方から聞こえることに気づいた。砂場のある一角は薄暗い公園の中でも特に暗く、ジメジメしている印象があった。
「どうしたの?来ないの?」
優しく問い掛ける声は少し低めで、吐息混じりの、婀娜っぽい響きがあった。母や保育園の先生以外の大人の女性と言葉を交わした経験が少ないためか、とても緊張した。再び口の中がカラカラに乾いてきた。喉の奥が締まって、乾いた粘膜が僅かに摩擦しあう。鉛の様に重くなった足を地面に擦り付ける様に、ゆっくりと声のする方に歩いて行った。
「もっと来て」
誘う様な声は、砂場の砂の中から聞こえている。
恐々砂場に入ると、僕は声が聞こえた辺りにしゃがみ込んだ。表面のサラサラとした灰色の砂を、軽く指で掻き分けてみる。
不思議と、怖いという感情は凪いでいた。
砂の中から、白い指が二本現れた。細く、つい今し方まで砂に埋まっていたとは思えない程に綺麗だった。それが芋虫のように動いて、僕の指先と触れ合う。
「擽ったい」鈴を転がす様な声で、クスクスと笑う声が砂の中から聞こえる。
更に砂を掘ってみると、他の指も出てきた。僕の手よりも大きい、大人の手だ。しかし男性のそれとは違う。華奢で滑らかで、柔らかい。
「ねえ、顔を見せてくれない?」
「お姉さんが砂の中から出て来れば良いんじゃない?」
自力で抜け出せるのではないか、と僕は思ったのだ。砂はサラサラとしていて軽いものだったので、大人の力でなら可能ではと。サラサラした砂とはいえ、大量に掛けられて埋まっている時点で、彼女には可成の重量だという発想は無かった。
「それは出来ないの。お願い、ここの砂を退けて頂戴」
「わかった」
「スコップは、止めてね。私が怪我しちゃうから」
バケツの中からスコップを取り出して、砂を掘ろうとしていた僕は、彼女の声にギクリと固まった。確かに、子供用のスコップではあるが材質はプラスチックではなく金属だ。しゃもじのように先端が丸くなってはいるが、縁が肌に当たれば痛いかも知れない。
「わかった」
僕は両手で砂を掻き分け始めた。
小さい手で掘るのは苦労した。一度に掘れる砂の量は少ないもので、おまけに砂がサラサラしているせいで、必死に掻いても砂が手の隙間を擦り抜けていく。
何とか頑張って、白い手から手首、腕と徐々に身体の中心に近付いていく。二の腕まで掘り進めたところで、グレーのサマーニットの半袖が見えた。
季節は少し肌寒くなり始めたところだ。彼女はもしや、寒いから砂の中に潜っているのかと子供らしい勘違いをしながら、僕は砂を掻き分け続けた。
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