おじいちゃんと夏
八月。
夏休みの宿題は半分済ませた。ラジオ体操も毎日行ってる。お母さんのお手伝いもしてる。
いつもとは違う最近の僕に、お母さんは驚いてる。昨日、なにか悪いことをしたの?と心配そうにきかれた。僕は笑顔で首を横に振った。僕はいい子になるんだ。
「こんにちはー!」
いつもの隠し場所から鍵を取り出し、玄関のドアの施錠を開けた。そして中に向かって声をかけると、奥からおじいちゃんの声が返ってきた。
「和室にいるよー」
その声が元気そうなのが嬉しくって、思わず靴を脱ぎ捨てた。そのまま走って中に行こうとしたが、気付いて戻った。靴を揃えて、スリッパを履いて、静かに歩いてく。
「おじいちゃん、こんにちは」
仏壇のある和室に行くと、おじいちゃんは窓際で座布団に座って本を読んでいる。
僕の胸がギュッと熱くなった。
一昨日は具合が悪そうだったが、どうやら体調が戻ってきたみたいだ。
「おじいちゃん、元気そうだ!」
「こうちゃんが来るって聞いたからね、一気に良くなったよ」
僕はまず仏壇に座って、掛けてある数珠を手に取り、鈴を鳴らして手を合わせた。火を使うのは危ないから、線香は炊かない。
天国にいるおばあちゃんに挨拶をきちんとすませて、おじいちゃんの横に座った。
「こうちゃんはいい子だね。ちゃんとやり方を覚えてたんだ」
「うん!
あのね、僕、おばあちゃんにお願いしたんだ」
「何をだい?」
ちょっと迷った。
願い事は人に話していいものだろうか?話した瞬間、叶わなくならないだろうか?
でも、おじいちゃんになら話しても大丈夫かもしれない。だって、おばあちゃんはおじいちゃんが大好きなはずだもん。おばあちゃんも知って欲しいと思う。
「あのね、お手伝いも宿題も頑張っていい子になるから、おじいちゃんを長生きさせてってお願いしたの!」
僕がそう言うと、おじいちゃんはちょっと口を開いて小さく息を吸った。ゆっくりと微笑んだ。初めて見る表情だった。
「ありがとねぇ」
おじいちゃんは暖かい手で僕の頭を撫で、何度も頷いた。シワの刻まれた目元がキラキラと光っている。
「こうちゃん、これをあげる」
そう言って、おじいちゃんはズボンのポケットから何かを取り出した。おじいちゃんが大事にしている懐中時計だ。もう動かないけど、ずっと肌身離さず持っている。装飾がとても綺麗なので、僕もそれを見るのが好きだ。
「いいの?」
「ああ、こうちゃんに持ってて欲しいんだ」
おじいちゃんが差し出した懐中時計を、両手を出して受け取った。冷たくて重たい。
今までおじいちゃんの手にあるそれを眺めることはあっても、実際に手に取ったのは初めてだ。装飾のでこぼこした感触が、手のひらに気持ちのいい刺激を与える。自分が一気に大人になったような気になって、僕は嬉しくなった。
「ありがとう!」
お礼を言うと、おじいちゃんはニッコリと笑った。それを見て、僕はもっともっと嬉しくなった。
「そうだ、お母さんにも見せに行きな。お母さんもこれが好きで、子供の頃から欲しい欲しいって言ってたんだ」
「うん!自慢してくる!」
僕はボタン付きのポケットにしっかりと懐中時計を入れ、しっかりとボタンを留めたのを確認してから、玄関に走った。
行儀よくすることを忘れ、急いで靴を履いて玄関から飛び出す。扉も開けっ放しだ。
隣の町内にある僕の家。走ったら五分もせずに帰宅出来た。
「ただいまー!」
「康太、どこ行ってたの」
玄関を開けると、お母さんが靴を履いてる所だった。
「車に乗って。病院に行くよ」
何だか強ばった顔で言ってくるお母さん。僕がポケットから懐中時計を出して、「おじいちゃんがくれた」と言うと、困惑しているみたいだった。
「おじいちゃんの家に行ってたの?」
「うん」
「........」
信じられない、とでも言いたそうな顔に見えた。お母さん少し口を開いて、小さく息を吸った。目を閉じ、深呼吸をして
「おじいちゃんはね、一昨日の夜に倒れて病院に居るの。さっき病院に居た叔母ちゃん電話があって、亡くなったんだって」
「え........?」
お母さんが何を言っているのか、僕は分からなかった。ただ、促されるまま車に乗った。
ついさっきまでうるさい程に鳴いていた蝉の声が、急に止まった。僕自身何を見ているのか分からないけど、目は開いていた。瞬きもしていた。
手に持った懐中時計の感触を確かめながら、僕は車の助手席に座っている。
おわり
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