【長編小説】Examination 二章(後半)

最初から

これを書き直してる

マガジン





2-7



 颯斗さんは現在25歳で、幼い頃から怪我や体調不良に頻繁に見舞われてきたそうだ。2ヶ月前は、家の階段の板が足を乗せた瞬間に割れてバランスを崩し、転落してしまったそうだ。幸い骨は無事だった。

 先月は食後に体調を崩して寝込む事が二回あり、昨日は朝トイレに行ったら紙が無かったらしい。........それは偶然だろ。


 彼の父親は彼が10歳の頃、眠っている間に心臓発作を起こして死んだ。発見したのは叔母だったそうだ。叔母もこの一件がショックだったのか、一ヶ月後に自殺してしまった。


 祖父は分家だったためか70歳まで生き、数年前に亡くなった。色々と革新的なことをする人だったようで、様々なことが祖父の代で変更された。


 「本家と分家なんて縛りは面倒くさいよね」から始まり、森川家にあった古くからのルールで、「面倒くさいよね」と感じて無駄だと判断したものは、とことん排除していった。もちろん反発する者も居たが、時間をかけて説得していった。

 そして何より、出版社を立ち上げたのは大きい。「森林出版社」は、今では有名な上、文才のある颯斗さんがそこで小説家として本を出している。俺と違って読書をする習慣のある羽生さんも読んだことがあるらしく、「才能は本物。依怙贔屓えこひいきで勝ち取った職ではない」と言っていた。


 次に一家の墓だ。元々は森川家の敷地にあったのだが、「なんか、家の庭に墓があるのって、ヤダよね」と祖父が言い出した。その後色々なすったもんだの末に、本家と分家の墓を一つにまとめ、町内の寺の墓地に移動させた。
 ちなみに、その時に「本家とか分家って面倒くさいよね」と祖父が言い出したそうで、今では表向き本家分家の区別は無くなっている。年寄りには未だに拘る人もいるらしいが、そのうち廃れるだろう。


 体の弱い颯斗さんに代わり、出版社は現在、彼の従兄の晴俊はるとしさんが社長を務めている。従兄妹は二人おり、晴俊さんとその妹の静さん、ついでに住み込みの使用人と暮らしている。


「なんかめんどくせぇな。引き受けなきゃ良かった」


 翌日、学校の屋上で俺らは昼食タイムだった。二人揃って今日の昼食はコンビニで買ったもので、俺がおにぎり二つと味噌汁に対し、羽生さんはガッツリ系のでかい弁当二つを食べている。よく太らないわね、この子。


「今更〝やっぱりやめます〟は無いだろ。人としてヤバい」

「お前なぁ、この私が人としてヤバくないと思ってるのか?買い被りすぎだ」

「言ってて悲しくならんのか、それ」


 俺が止めなかったら、本当に「ダルいからやめますぅ」と言って依頼をキャンセルしてしまうだろう。容易に想像できる。


「おい、本当にやるなよ」


 彼女がスマートフォンを取り出したのを見て、俺は内心の焦りを隠しつつ尋ねた。羽生さんは白目を剥いて「大丈夫だ、そんなことはしない」と答えた。大丈夫ならちゃんと大丈夫そうな顔で言ってくれ。


「ただ、颯斗さんに放課後遊びに行くねってメッセージ送るだけだ」

「遊びに行くのかよ。友達の距離感じゃんそれ」


 眉間にシワを寄せながら、メッセージアプリを開いて慎重に一文字一文字を打つ女子高校生。右手の人差し指をピンと立てて、ゆっくりと。


「機械苦手なの?おばあちゃんみたいになってる」

「ん?いや、今のは君への萌えのサービスだ」

「何の?」

「可愛さアピール?」

「まず顔が怖すぎるから可愛くなかった。萌えはなかった」

「顔か。改善点だな」


 一瞬で無表情に戻り、俺じゃないと見逃すくらいの素早い指さばきで文を打ち込み始めた。

「うわっ、返信早い。暇だよこいつ」

「やめてあげて」


 メッセージを送信し、スマートフォンをポケットに戻そうとしたところで、通知音が鳴った。羽生さんは面倒くさそうに再び画面を開いた。


「ぜひ来てくれってさ。今日はちょうど多忙な晴俊さんが家に帰ってるので、挨拶してくれると嬉しいって」

「おお、........マジか」

「ダルすぎるよな。めんどくせぇから二人が留守の日にしてくれって頼むか」

「やめなさい」

2-8



 森川家の面々に会って挨拶するのは確かに面倒だが、これから家に頻繁に訪問する可能性がある以上、避けては通れない道でもある。とはいえ、初対面、しかも自分よりも大人と話すというのは、我々思春期の子供からしたら、結構な気疲れだ。かと言って俺は遠慮して行かない、なんて選択肢も選べない。羽生さんを一人で行かせたら、失礼すぎて訴訟を起こされる可能性がある。



 学校が終わり、部活などという青春なことは一切やってない俺と羽生さんは、揃って教室を出た。というか、いつものことだ。二人で帰ってる。登校も、昼食も一緒だ。

 男女が二人で共に行動することが多いと、それを見た多感な年頃の高校生達は大体同じようなことを考える。今日も今日とて「行くぞ」「おう」と短い言葉を交わして一緒に教室を出ていく俺達を見て、何人かの女子がコソコソと話をしだす。



「なぁ、アイツら、一人一人殴っていいかね」

「ダメにきまってんだろ」

「じゃあ前歯へし折っていいか」


「だめだろ、もう乳歯じゃないんだし」昇降口で靴を履き替えながら、なんてことなさそうな軽い口調でヤバすぎることを言う羽生さん。一応口では止めているが、俺も本心は「やっちまえ」と思っている。あれは少々鬱陶うっとうしい。


「森川家はここから少し歩いた所にある。かなりでかい家だ」

「え?もしかして、ここ右に行ったらあるとこ?ちょっとオシャレな柵に囲まれた森林公園みたいなとこ」

「それだ」


 返答を聞いて、思わず天を仰いだ。あそこ、人んちだったのか........。
 公園か、何かの宗教施設かと思っていた。俺らの通っている高校の近くに、綺麗な柵に囲まれたやたら広くて緑豊かな土地があるのだが、そこが森川家だったらしい。たまに通りかかるが、外からは美しい庭園や森は見えるが、家は見えなかった。広すぎだよ。


「門から入ってもきっと何分か歩くことになりそうだぜ。喉が渇くかもしれん、ジュースを買って行こう」


 そう言って、ちょうど見つけた自販機の前で彼女が立ち止まる。そしてカバンから取り出したのは、まさかのマジックテープの財布だった。小学生でも恐れをなして逃げ出しそうなほど、べらぼうにダサいドラゴンの絵が描かれた財布をバリバリ!バリバリバリバリッ!と開き、中から一万円札を取り出した。それを制止し、俺は自分のスマートフォンを取り出した。


「あのな、二つある。
 まず財布を買い換えろ。事前に欲しい財布をネットで探して、俺に一度見せろ。マジックテープはやめろ」

「........封筒でもいいか?」

「マジでやめて。マジでやめて。マジでやめて」


 この子は今まで、どうやって生きて来たんだろう。


「そして二つ目はな、この自販機で一万円札は使えない。五千円札もだ」

「えぇっ!?」

「千円札、小銭、そしてスマートフォンのタッチ決済が使える」


 元々大きな目を更に大きくして驚く羽生さんの視線を受けながら、俺は少し得意気に自販機に並ぶジュースの中から、ミルクティーのボタンを押してスマートフォンをタッチ部分にかざした。ガコン、と落ちてくるペットボトル。


「お前、すごいな........!?」

「昨今では自販機で電子マネーが使えるんですよ」

「今、私がミルクティーが飲みたいと思ってたって、どうして分かったんだよ!」

「................あー、顔に書いてあるよ。多分油性ペンかな」


 そっちかよ。真に受けて顔をゴシゴシしてる羽生さんも、その後不貞腐ふてくされながらもミルクティーを受け取り、一口飲んで嬉しそうに目を細める羽生さんも、素直に可愛らしい。これで性格がまともで巨乳ならいいのにな。
 と、ミルクティーを飲む彼女の頭の上に、子猫が飛び乗り「参上つかまつった!」と叫んだ。今年の「可愛いオブザイヤー」はこれで決まりましたね。



「........ッキエェェェ!!」

「なんでだよ!」


 可愛らしかったのも束の間、羽生さんは鬼の形相で子猫を鷲掴わしづかみにすると、乱暴に投げそうな空気を醸し出しながらも、意外と優しい手付きで俺の頭の上に乗せ直した。顔と行動のギャップよ。


「何しに来たのお前」

「ヒェェェ!?どうしてそんな冷たいこと言うの!」


 こいつはいつもテンション高いな。「どうしてオイラを呼んでくれないの!」小さい前足で俺のつむじをグリグリしながら、昨日と同じことを喚く。


「いや、必要じゃないし」

「う、うわぁぁぁ!ひどいぃ!」


 いちいち激しい奴だな。頭の上に乗せていると髪の毛をむしられる可能性があったので、俺は子猫を両手に抱いた。小さきものはその中で控えめにジタバタしている。

「まずお前の名前とか知らないし」


「バカか、お前は!」と、子猫は小さい前足で俺の腕をペチッと叩いた。そして威張りきった口調で言う。「野良猫に名前なんかあるわけねーだろ!」


「オイラは猫だ!名前はまだ無い!どこで生まれたのか、とんと見当が付かぬ!何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャーと」

「おやめなさい」


 何故それを暗唱できるんだこの猫。さては頭いいなコイツ。そう考えてみると、この偉そうな態度もなんとなく許容できてしまう。まぁ、そもそも可愛いから全て許すんだが。子猫様だぞ。


「そこでだ、オイラを養育している女神・とし子の息子である貴様には名付けの権利を与えようと思うのだ!」

「じゃあ“ミケ”でいい?」

「ブェェェッハハハハァ!!冗談だろボーイ!幼子でももっとセンスある名前を思い付くぜ。........いや、まじでお前ヤバいよ」

「急激にテンション落ちるじゃん」


 一切なにも考えずに挙げた名前は、当たり前だが一刀両断だった。人生において、動物というものを飼育した事の無い俺には、イカしたネーミングセンスなぞある訳もなく。あとはもう「ポチ」しか思いつかない。


2-9


 助けを求めて羽生さんを見た。彼女はデフォルトの無表情でポツリと言った。


月読つくよみ

「ツクヨミ?かっけぇじゃん!」

「おう、日本神話に出てくる。天照大御神の弟の月の神だ」


 子猫は彼女の言葉を聞いて、目をキラキラと輝かせた。「カッコイイ!ミケよりずっとイイ!」____悪かったな、センスなくて。


「ありがとう!ありがとうコージロー!」

「礼を言う相手が違う」


 格好良い名前を貰った月読さん。嬉しいのか、俺の胸にドリルよろしく頭を擦り付けてきている。そこに羽生さんがこわごわと手を伸ばしてきて、遠慮がちに月読の頭を撫でた。「生き物はあまり、触ったことがないんだ」


「ああ、だからさっき変な反応したのか」

「5歳の頃にな、ハムスターを飼っていた時期があってな」

「あ........、おう」


 どうしよう、もうオチが分かってしまった。深刻そうな表情でうつむく羽生さん、その横で天を仰ぐ俺。心の準備をしているのだ。


「........なにがあった」

「飼い始めた初日に、力加減が分からなくて握り締めて殺してしまった」

「飼ってないじゃん........」


 初日じゃん。「飼っていた時期」はどこだよ。
 しかしまぁ、それは彼女が五歳の頃の話だ。今は十六歳、少しは上手くやれるのではないだろうか。「ほれ」試しに月読を渡そうとしてみたが、思いの外トラウマは深く心に刻まれているらしく、ちぎれんばかりに激しく首を振って拒否された。


「ダメだ、もっとこう、打たれ強いやつがいい」

「ゾウガメとかか?」

「ああ、いいな。あれくらい固ければうっかり殺めずにすむ」

「お前、今後は俺が見てる時以外で動物には触らないようにしてくれ」


 こういう奴が、「ついうっかり」で大事件を起こすんだろう。他人と共同生活もしたこと無さそうだし、動物なら尚更、うっかり命を奪われるかもしれない。


 呆れと恐れの気持ちで月読を遠ざけた俺に向けて、羽生さんは転じて面白そうな視線を向けてきた。「なんだよ」いたずらっぽい、キラキラした瞳に、思春期の俺は素直にドギマギした。


「なんだよ、なんなんだよ」

「『羽生さん』や『お前』ばかりはなんかしっくり来ないなぁと思ってな。もう少し仲良くやろうぜ。おそらく長い付き合いになるだろうからな」

「つまり、名前で呼べと」

左様さよう


 男前な微笑みを浮かべる羽生さん。彼女いない歴=年齢、つい最近まで女子とまともに会話する機会はほとんど無かった。そんな俺には、少々ハードルの高い要求だった。


2-10


「あー、うん、あー........」

「ああそうか。君は女子おなごを名前で呼んだことがないのか。こいつは失礼した。無茶なお願いだったかな?まぁ君は童貞だよな、清らかで大変よろしい」

「あるし!」


 ハイ嘘。明らかな嘘。

 それを見透かす様な余裕の笑みを浮かべ、羽生さんは腕を組んだ。なんで上からなんだよ。どうせ自分だって彼氏出来たことないだろうに。その貧乳で男が反応するわけない。........あ、こいつ心読めたりしないよな?大丈夫だよな?今のことをもし実際に口に出していたら、刹那せつなに命を奪われていたことだろう。


「もちろん、私も君の呼び方を変えようじゃないか」

「本当だな?絶対だぞ?」


「おやす御用ごようだ」ニヤリ、と何とも精悍せいかんな笑みをしてみせる。それにしても、名前で呼ぶだけの事で、ここまで躊躇ためらいを感じてしまう俺は何なのだ。ただただ、恥ずかしいのだ。
 しかしここまで来て「やっぱやめる」と言える人間でもなかった。一度大きく深呼吸をすると、俺は思い切って声に出した。


「あ、あー........飛鳥!」

「おう、如何いかにも私は飛鳥だ。君のことは今後チャゲって呼ぼうか」

「やめてください。本名でお願いします」


「お前らイチャイチャすんなよ」そんな俺たちを、子猫が細い目で見ていた。やめろ恥ずかしい。


「これからデートですかぁ〜?」

「ちげーよ。これから人に会うんだ。森川さんって知ってるか?」


 いや、猫に分かるわけないか、と内心己に呆れる。しかし、予想に反して月読は険しい目つきになった。俺の腕の中からヒラリと脱出すると、少し距離を取った。


「やめなさい!あんな所にいくのは!お母さん許しませんよ!」


 いやお前子猫じゃねぇか。耳を伏せて、シャー!と威嚇する様に唸ると、更に俺達から離れる様に後方に飛んだ。


「ど、どうしよう!あそこには気持ち悪い女が居るんだよ!危ないのよ!
 ついて行ってあげたいけど、心の準備が必要!」


 生娘のようなセリフを残し、月読は瞬足で近くの民家の敷地に逃げ込んだ。俺達は全く状況を理解できないまま、しばらく立ち尽くした。しかし顔を見合せ、お互いに「ま、いっか」と思っていることは解ったため、再び森川家への道を歩き出す。


「気持ち悪い女は好きだぞ。見てて笑えるからな」

「お前、いい性格してんな」

「えっ........?あ、ありがとう」


 皮肉なんですよ。褒められる(実際は褒めてないんすよ)とは思っていなかった飛鳥さん、目をキョロキョロさせながらおちょぼ口で礼を言った。
 あらヤダ、この子、褒められ慣れてないわよ。こいつをギャフンと言わせたい時は、この手で行けばいいんだな。





 月読と別れてから三分もしないうちに、森川家に到着した。やはり、高級そうな門からは、とても中に建物があるようには思えなかった。だだっ広い庭園と森があるだけだ。

 飛鳥が、高そうなインターホンを突き指しそうな勢いでズドンと押すと、「........はい」と、数秒後に女性の暗い声が返ってきた。何とも暗く、生気を感じさせない声だった。飛鳥は一瞬迷ったような顔をしたが、直ぐに元に戻った。イタズラな幽霊さんの仕業かと思ったのだ。


「羽生です。颯斗さんと会う約束をしています」

「伺っております、お入りください。道なりに進めば家がありますから」


 カチャン、と音がして門扉が開いた。その先には綺麗な石を敷き詰めた道が、奥に向かって続いている。


「広そうだな」

「全くだ。こんなに土地があるならショッピングモールでも作れそうだよな。そこに映画館とド〇キとイ〇ンを入れよう。儲かるぞ〜」

「聞いてて悲しいよ........」


 顎に手を当てて下世話な笑みを浮かべる飛鳥の脳天に軽くチョップをかまして、おれは先に歩き出した。だが、三歩目で華麗な膝カックンを食らわされて転けた。さすがの倍返しです。


「そ、それにしても、颯斗さんってマジで金持ちなんだな」


 立ち上がって俺が言うと、飛鳥は不快感をあらわにした表情を見せた。


「金持ちってのはな、金を沢山稼いで、貯金して、好きな物買いまくって、これみよがしに募金して、幸せアピールして、それでも有り余ってるから、こんなクソみてぇに広くてクソみてぇに自慢たらしい家を建てんだよ」

「金持ちに親でも殺されたのか」

「殺されたよ」


 ぎくりとして彼女の方を見たが、白目を剥いた変顔をしていたので嘘だと判断した。なんて嘘つくんだこいつ。心の広い俺じゃ無かったらブチ切れていたぞ。


 鮮やかな緑の芝生を貫いていく道を、五分ほど歩いただろうか。映画やドラマにでも出てきそうな、古く趣を感じる洋風の屋敷が見えてきた。大きなメガネに蝶ネクタイ姿の、少年探偵が訪れそうな雰囲気だ。


「コ〇ンが来そうなとこだな」

「そんなことないだろ」


 同じことを考えていたわけだが、こうして他人の口から聞かされるととてつもなく恥ずかしいな。飛鳥の家も平均よりは大きい部類だが、森川家はそれどころじゃない。誰がどう見ても豪邸としか言えない。


 古いが、しっかりと手入れされている綺麗な建物だった。あまり建築には明るくないが、なんだかお城の様な建築様式だ。人の家というよりは、何かしらの記念館や博物館の様に見える。


「前に流し読みした本で見たぞ。確か「セカンドエンパイア」っていう建築様式らしい」

「はぇー、偉そうな名前だな」


 降り始めた陽光を浴びる屋敷の白い外壁が眩しくて、思わず目を細めた。目線を下に動かすと、突き出した玄関ポーチに三人の男女が立っていた。飛鳥もそれに気付いたようで、心底面倒くさそうに「ダルすぎる」と呟いた。こういうとき、普段から能面が当たり前のキャラは便利である。

 立っている三人のうち一人は、颯斗さんだ。遠くからずっとこちらに手を振ってるのが見えていた。子供の様なピカピカの笑顔。
 そんな颯斗さんの隣に、彼より頭一つ背が高い男性と、その後ろに隠れるようにして、長い黒髪の女性が居る。颯斗さんの従兄妹の晴俊さんと静さんだろう。なんだ、森川家は美男美女しか産まれん血筋なのか。なんだかいけ好かないぞ。

2-11



「お待ちしておりましたー!」


 内心ギスギスしていた俺の心を、颯斗さんの純粋な笑顔とオーラが吹き飛ばした。罪悪感を覚えさせるほどに、その笑顔は眩しかった。いけすかないとか思っちゃってごめん。飛鳥も隣で狼狽えているのを感じる。


「学校お疲れ様でした!楽しかったですか?」

「そうですね、今日は英語教師のヅラが飛びました」

「あら、部分カツラですか?それとも全体的に?」


 そこは掘り下げなくてもよくないか。総カツラだよ。
 しかもだ、正確には飛んだのではなく取ったのだ。飛鳥が。英語の授業中に当てられた飛鳥が、黒板に問題の答えを書き終わって自分の席に戻るときに、自然な動作でツルッとヅラを取ったのだ。そして開いていた窓から外に投げ飛ばした。……飛んでたわ。

 ちなみに、何故そのような犯行に至ったのか尋ねたところ、理由は「取れるかな?と思ったから」だった。そんな理由で人のヅラを取るなんて、とんでもない女である。確かにバレバレだったけど、皆気を使ってその件には触れないでいたのに。

 飛鳥はにっこりと仮面の様に完璧な作り笑い(怖い!)を浮かべ、右手で玄関を示した。


「まあまあ、立ち話も何ですから、中に入りましょう」

「そうですね、お邪魔します」


 何で飛鳥が家主みたいに振る舞ってんだよ。
 飛鳥の言葉ににこやかに颯斗さんが応え、晴俊さんや静さんも自然に彼女の後から家の中に入っていく。なんだ、これは俺がおかしいのか。


 豪華な玄関の扉から中に入ると、白と黒の服装で統一した男女五人が、ピシッと並んで待っていた。使用人、メイドや執事ってやつだろうか。構成は男性一人と女性四人。男性はいかにもベテランといった雰囲気のナイスミドルで、スラリと背が高く、品のある立ち姿である。

 だからこそ、隣の中年女性のメイドの何となく嫌な感じが見事に対比となっていた。アカミミガメのような、ジトッとした細い目付き、両端が下がってへの字になっている唇、小太りな体に少しぼさっとした髪の毛。実際どうかは解らないが、見て0.1秒ですぐに感じてしまう、この「私は意地悪です!」と言う様な空気は何だろう。こちらを頭からつま先まで、品定めする様にジロジロと見回す彼女の表情を見ていると、何となくその解釈も間違っていない様な気がしている。

 残りの三人の女性は皆若く、二十代に見える。大人しそうな黒髪の女性が一人と、後の二人はハーフか外国人の様な顔だちをしていて、二人ともブロンドだ。片方はまるでモデルや女優の様な美人で、メイドよりも芸能人になった方がいいのではとすら思えた。そしてもう一人の方も美人の部類ではあるのだが、隣と比べると、見ていてとても悲しい気持ちになる。
 世界で勝負できるレベルの美人と、学年に数人はいそうなレベルとでは土俵が違う。


 そしてそれ以上に、俺の隣の少女も美しかった。
 その場に居る人間のほとんどが、俺の体を綺麗に透過して飛鳥をまじまじと見ている。俺はおそらく、存在にすら気付かれていないかもしれない。それぞれが色んな表情で彼女を見ていて、中にはあまり良くない感情がある様子も、少しだけ見受けられた。

 飛鳥はそれらの姿勢を「文句あんのかコラァ」とでも言いたげな、超然とした態度で受け止めていた。


「応接間に行きましょうか。緑茶とお饅頭でも用意させましょう」

「いいえ」


颯斗さんの言葉に、飛鳥がピシャリと返した。たった一瞬、たった三文字の否定に一切の感情は無いように思えたが、それが却って場の空気を凍らせてしまった。晴俊さんが目を眇めて飛鳥を見、その横で颯斗さんはキョトンとした顔で「あ、今日はお饅頭の気分じゃないですか?そういう日もありますよね~」と言った。


「はい、紅茶とクッキーがいいです」飛鳥とあっさりとそう応えた。他人の家に来といて、茶菓子の指定をしてくるこいつの図太さに、いっそ感心する。そして彼女は、使用人のブロンドの片方を指差して、


「おい、ブロンドのブスの方、紅茶を頼む。クッキーも昨日買ってきただろう、それを寄越せ。お前が今ダイエット中なのも知ってるぞ。手伝ってやる」


 そう言うと、指を差されたブロンドのブ、いや、普通の方のメイドがギクリと身動ぎした。



2-12



 あの後応接間に通され、ダイエット中のブロンドメイドが若干飛鳥に怯えた様子でクッキーと紅茶を持ってきた。見るからにカロリーが高そうで、それでいて美味しそうなクッキーを見て、俺は内心で飛鳥に親指を立てた。これは食べたら確実に太る。件のブロンドは、もう既に顎が二重になり始めていた。

「よく分かりましたねぇ」晴俊さんが、聞きやすい低い声で言った。


「彼女はイギリス人とのハーフでして、叔母がイギリスから紅茶を送ってくれるんですよ。淹れ方も上手なんです」


 彼がこちらの動きを注意深く観察しているのを感じる。俺の方は少しの間だけ見て、大したこと無いとでも思ったのか、それ以降ほとんど見なくなった。それ以上に飛鳥のことを見ていた。彼女が手を動かし、顔を動かす度に、晴俊さんはパッと目を向けた。

 俺だったら、こんなにしつこく見られたら逃げ出したくなるものだが、飛鳥は全く気にしていない様子でクッキーを貪り食っていた。


「うんっっま!このクッキー、うんっっっま!!」


 しばらく絶食でもしていたのかってくらいの勢いで、皿の上に山盛りにされていたクッキーを吸い込むように食べ尽くすと、彼女は椅子の背もたれにドカッと倒れ込んだ。そして足を組み、不敵な笑みを浮かべて言った。


「さっきの使用人に、ベッドの下に隠してる分も全部持って来いと伝えてください」


 鬼だ。少しくらい許してやれよ。

 どうやら、この家では使用人と雇用主とのやりとりはスマートフォンのメッセージで行われているらしく、晴俊さんがポチポチとやった一分後には、例のメイドがやってきた。何故か飛鳥ではなく俺を睨みつけたあと、「少し」所ではない量のクッキーが盛られた皿を置いていった。さっきの二倍はあるぞ。


「どうしてわかったんですか」


 再び飛鳥がクッキーに食い付くより早く、晴俊さんがたずねた。ここまでに随分と横車のし放題だった飛鳥も、流石に無視するのは失礼だと思ったらしい。しかし非常に面倒くさそうな顔で、クッキーから手を引っ込めた。ありがたいのは、彼女は常にベースが能面の様な表情なので、感情が顔に出たとしても非常に読みづらいことだ。く言う俺も、何故自分が最初から彼女の表情を読めるのか解らん。


「彼女の祖母の霊が私に教えてくれました」


 俺は驚いて彼女を見た。そういった話題は、あまり簡単に言わない方がいい。世間には、この手の話が嫌いな人や、そもそも信じていない人がいるのだ。ましてや初対面の人間相手の話すというのは、かなりリスキーなことのように思える。
 因みに、俺にもその祖母は見えていたのだが、かなり早口の英語でまくし立てていたので、何言ってんのか解らなかった。

 飛鳥が俺の熱い視線をガン無視して森川家の三人を見ているので、俺も彼らの方を見た。颯斗さんは初対面の時に軽く話していて知っているからか、目をキラキラさせて「へぇ〜、そうなんだぁ」と、のほほんとしていた。


 静さんは、そもそも飛鳥の言っていることを聞いてすらいない様に見える。というか、さっきからずっと気になっていたのだが、晴俊さんがずっと飛鳥を見ていた横で、彼女はずっと俺を見つめているのだ。晴俊さんの観察するような目とは違い、ぴたりと微動だにしない黒い瞳で俺を見据えている……いや、もはや睨みつけているレベルだ。怖い。


 しかし隣で晴俊さんが喋り出すと、一瞬びくりと身をすくませて、己の膝に視線を落として固まった。


「何を言っているんだ、幽霊なんて居るわけないだろ」


「君たちは、いつもそんな嘘をついて周りを怖がらせているのか?」強い口調だった。静さんほどではないが、俺も少し身構えてしまった。

 ほらぁ!飛鳥ぁ!
 ほらぁ!!!


 言わんこっちゃない。晴俊さんは教師の様な口調で言ってきた。怒っているのが目に見えてわかる。多分、冗談もあまり通じないかもしれない。

 怖い顔でさらに何か言おうと口を開いた晴俊さんを遮って、飛鳥が大きい声を出した。


「いやぁ、不快にさせてしまって申し訳ない。素敵な大人の方々と打ち解けたいあまり、彼は少々空回りしてしまったみたいです」

「にしても、話題がおかしいだろ」

「おっしゃる通りです。あとで私からも大国くんには注意しておきますね」


…………おやおや?


「頼むよ」晴俊さんは俺をキツい目つきで一瞥して、大きなため息を吐いた。あれ?ひょっとして俺のせいってことになってない?
 飛鳥を睨みつけてやりたい気分だが、晴俊さんのまえでそれをやるとますます怒り出すだろう(「八つ当たりをするな!」)

 先ほどよりやや落ち着いた口調で、晴俊さんは続けた。うんざりといった表情だ。


「今回だってね、颯斗がどうしてもと言うから了承したが、私は呪いなんて非科学的なもの、信じてないし付き合うのも嫌々なんだよ」


「同感です」調子を合わせるためだとわかっていても、飛鳥のはっきりと断言する声に、少し驚いた。


「幽霊だの呪いだの、そんなクソみたいな嘘で人を騙そうとしたり、都合の良い言い訳に持ち出す奴って腹たちますよね。首が吹っ飛ぶまでビンタしてやりたい」


 それはやりすぎだろ。本当にやりそうだ。


「まあ、でも己らとは違った考え方の人間の目で見ることで、新しい発見があるかもしれませんよ。
 それに、本当に呪いではないとはっきりすれば、颯斗さんも安心できます」

「でも、こんな子供に一体何ができるって言うんだ」

「まあまあ、彼も精一杯頑張ると言っていますので」

「ふむ……」


 晴俊さんの視線が、再び俺に突き刺さる。面白いほどに飛鳥の手のひらで転がされている。


「大国くん、飛鳥さんもこう言っているし、何より颯斗のために、仕方なく君を家に入れたんだよ。少しでも迷惑をかける様なことをしたら、追い出すからね」

「は、はい」


どうしよう、泣きそうだ。

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