星ふくろうの書架 


星ふくろうの書架です。日々、読了した書籍のことを何気なく呟きます。


2023年6月


6月19日 第1回「レーエンデ国物語」多崎礼著 講談社

 2023年6月14日に発売された『本格ファンタジー』を前面に押し出した本作は多崎礼の前作『夢の上 夜を統べる王と六つの輝晶』から実に3年の期間をおいて出版された、意欲作といえる。
 ここ数年間、マンガやアニメから寄せてくる『ダークファンタジー』や『本格ファンタジー』といった単語に連なっているのか、帯の文章も『本格ファンタジー』という文言や『王道ファンタジー』という売り出しが強い。
 また、田中芳樹や柏葉幸子といった、戦記モノや児童文学で確固とした地位を築いた書き手たちの声援も揃い、今年、前半の異世界を舞台としたファンタジー小説としては、一番の注目を集めているのではないだろうか?
 帯には『銀呪の森』や『呪われた地、レーエンデ』と端的に物語の根幹を示す言葉があるが、読んでみてこれは二次的なものだとわかった。
 物語が不治の病である銀呪病に犯された自然や大地、人や動物たちとその病に侵された者が這い出ればすぐに死んでしまう、この世にある異世界の形式に近い土地、レーエンデにまつわる話だと、軽く一瞥した読者は思うだろう。
 私はそう思った。
 しかし蓋を開けてみると、500頁に近い本文のなかで銀呪病は大きな楔であり、主人公の一人であるトリスタンをその囲いの中に閉じ込める装置として機能している。
 ヒロインであるユリアは物語冒頭からレーエンデを「憧れの地」と標榜しているものの、大筋は病を克服したり、愛する男性を病から解放するために使われるのではなく、レーエンデを異世界たらしめている大アーレス山脈とユリアの故郷、シュライヴァ州とをつなぐための「交易路」を開拓する部分に主眼が置かれてしまっているため、キャラクターたちの心情や境遇はどこまでも主体的ではなく、外的な要因に従うだけのギミックで収まってしまっている。
 この部分が、せっかく大きな舞台装置を用意したのに、ストーリーを語ることに注力され、物語全体の解像度を落とし、キャラクターたちの人間模様を浮き彫りにできていない点が、本格ファンタジーを称する上で残念な点だった。
 さらにユリアの処女懐胎や神の御子を巡る争いに発展する後半、というよりは八割で到来するハイライトは、キリスト教にモチーフを取っていると思わせるラストへの怒涛の展開となる。
 しかし、彼女がもし愛するトリスタンを優先したならば、懐妊した我が子を産むことよりも、男の矜持を曲げてでも彼の名誉の回復を優先するべきではなかったのか。
 もしくは、都合のいい運命に抗うこともなく、女性ならば妊娠した子供を産みたいと願うのは当然、という感情論を優先したために、ユリアの決意が作者の生み出した感情なのか、彼女自身の生きた持論なのかがすこしぼやけている部分は、悩ましく思うところだ。
 ユリアたちを助けるために憤死したトリスタンの遺志をどう扱うのか、という今後に関して最重要となるテーマは本書のラスト数ページで歴史書の記述のように扱われ、せっかくここまで盛り上げてきた作品への読者の情熱を醒ましてしまっている気がしてならない。
 帯にある田中芳樹の文言のように「ヒロインと共に歩める」特権は、果たして与えられていたのか。
 それは本作を読んだ読者のみが得ることのできる、「期待感の焦点違いを確認するかもしれない」という特権と表裏一体かもしれない。

6月20日「どんなことでも褒めてくれて、過保護で溺愛してくる大魔法使い様」初美陽一著 富士見ファンタジア文庫

 文章の上手下手を語ることはやぶさかではないが、ことひとつひとつの場面における会話比率が高い文章において、読みやすさ、読書することの楽しさを教えてくれる書き手として、初美陽一は優れた手腕の持ち主だと評価されるべきだと思う。
 タイトルの通り、弟子を溺愛する魔女の物語である。
 褒めて、過保護で、溺愛。
 この3点がうまくつながり功を奏しているのは、惜しむらくかな、前半部分に集約されている点が、読後感の悪さを醸し出している。
 後半は学院編・大会編・宿敵の一人を弟子が無双で打ち破り、さらに第八の新しい魔法まで開拓してしまう。
 要素が盛りだくさんなのはよいが、文字数と物語の構造的にかなり早足で展開を進めたのが、まずかったのではないか?
 前半の溺愛と師匠として魔女も弟子から学んで成長していくというストーリーで、できれば1巻は終えて欲しかったところ。いや4~5巻まではこの構成で行けたのではないかと思わせてしまうところが、どうにもやるせない。
 読者がキャラクターたちとの距離感を覚えたころに、急展開を差し込む構造のライトノベルが2020年以降に増えたように思う。
 1巻で売り上げを出さなければ続巻がでないことはこちらも承知しているが、10万字できることには限りがあり、物語には相応の文字数というものがある。
 この辺りを、もう少し大事にして欲しいなと、改めて実感した一冊だった。

6月21日「魔女と傭兵」超法規的かえる著 GCN文庫

現在、ライトノベルには商業化に至るまでに、2種類の流れがある。
「小説家になろう」を筆頭とするWeb投稿サイトからの拾い上げによる書籍化と、各ライトノベルレーベルが主催する新人賞・大賞受賞作品の刊行である。
 これ以外に知人枠として縁故があることも否めないが、ここでは割愛する。(その数は限りなく少ないため)
 上記の2種類の前者、Web投稿サイト群のなかでもっとも規模が大きいものが「小説家になろう」だ。
 この記事を目にされる方のなかには、一度くらいは耳にしたことがある人がいるかもしれない。本書「魔女と傭兵」は小説家になろうから『本格ファンタジー』と銘打たれてレーベルが世に送り出した、いわば「Web小説形態における本格ファンタジーの型を世に問う」一冊となった。
 その土地においては悪として死を望まれる人生から抜け出たいと願う魔女と、儚い願望をどうにか叶えてやろうとする傭兵のコンビ。
 いわゆる相棒モノに属する系譜の物語だ。
 これまで開拓されていなかった別大陸へと軸を移し、二人は異邦人が生きやすい職業である冒険者となって、新しい人生を探る内容になっている。
 さて、「本格」を謳う場合、新大陸へと軸足をうつしたあとは、「異世界」へと放り出された(もしくは自ら赴いた)者たちが、自らの目と足で見聞きし、体感した異邦の文化形態・因習や歴史などにまつろう物語を体現し、読者に伝えるのがこの形式における、「本格」の型だと思われる。
 魔獣とのバトルや冒険者としての生活を活き活きと描くのは悪くない。
 しかし、魔女シアーシャが傭兵ジグに心を開くのが駆け足すぎたり、異文化に対する二人の驚きや失望、新たな人生を生きる事への執着といった点、とことんまで新大陸を掘り下げて、この本書でしか読むことのできない異世界モノを目指すのではなく、同じ文化・文明を共有する共同体にさも生きているような新大陸の人々と主人公たちの交流が、表面的な異世界生活を描くに留まり、背景世界の理解を妨げてしまっている。
 第一作品目となる本書だが、新大陸の人々との交流と新参者と古参との軋轢、信頼を得るまでの過程のみに主眼をおいてバトルや魔獣退治、傭兵のカッコよさ、魔法のきわどわなどを表現するのは二巻目以降でも良かったのではないか、と感じた。

6月22日「アラベスク後宮の和国姫」忍丸著 富士見L文庫

 後宮モノといえば、真っ先に思い浮かぶのは、中華後宮という読者も多いことだろう。
 他にも日本の奈良・平安朝を舞台とした後宮モノも少なくない。
 しかし、昨年あたりから後宮モノのジャンルに、日本の大奥や中世イスラム・オスマン帝国をモチーフとした後宮モノもじわじわと増えてきている。
 イスラム後宮モノといえば、貴島啓のエルトゥールル帝国シリーズが2016年から発売されているが、本作は他のイスラム系とは少し毛色が異なる内容だ。
 時代は日本の戦国末期。織田信長の計略により城主だった父母を殺された主人公は、中東のとある大帝国の皇后の宦官の手により、はるか遠くのイスラム世界に奴隷として売られてしまう。
 当時の日本文化の価値基準においては「醜女(しこめ)」とされた彼女は、奴隷から買い上げられ後宮へと入る。その理由は真逆の価値観によるいわゆる「美醜逆転」が体現されているせいだ。
 さらに主人公はいきなりの皇帝との邂逅をし、特段の寵愛を受けて普通ではありえないスピードでの寵姫への昇格、という後宮モノでは定番となったある種のチートがふんだんに活用され身分を上げ後宮でのし上がっていく。
 物語の時代とされている日本の戦国末期の支配者の常識が、果たしてイスラム世界の常識とうまくマッチングしたのか?というツッコミは無粋だろう。
 これは歴史小説ではなく、ファンタジー小説だし、読んでいる側もそこまで歴史的・文化的側面に専門性があるわけではない。
 また、一見して破天荒で生意気な日本人女性が、神にも等しい権力を持つ世界の中核で生きている皇帝の寵愛を受けられるのか、という疑問も抱かないではない。
 個人の「個性」などは殺して従属するものが身分社会の大勢ではないか、という気もするが令和における個人主観を上手くいかした作品だとするならば、一応の成功は見せていると思われる。

6月23日「ソード・オブ・スタリオン 種馬と呼ばれた最強騎士、隣国の王女を寝取れと命じられる」三雲岳斗著 電撃文庫

 三雲岳斗の著作を読むのは99年の「コールド・ゲヘナ」以来、25年ぶりとなる。この長期間で棚には黙々とコレクションとしての氏の著作は積み重なっていくものの、あまりにも多忙すぎてすべてを追い切れていなかったことを、後悔している。
 本作は著者が「性癖を駄々洩れにした」とあとがきで語るほど、その好きの濃厚さに圧倒されてしまう。
 しかし、その一方で表題にある「寝取り」の意味、趣向が作品内容とマッチしていないようにも感じられた。
 主人公ラスに命じるのはタイトルにあるように、皇太子なのだが彼がそう命じられるまでに生きてきた二年間のおこないと、作中での命令にどこかちぐはぐなものを感じてしまったからだ。
 それまでの彼は犯罪に加担した者の妻や、組織を撲滅するために略奪する任務を世間に隠れて成功させてきたのだが、『剣聖の弟子』や『特駆』など話を進めるうえでの要素が多く、彼が「種馬」である必然性をあまり感じなかったからだと思われる。
 さらに冒頭で数十秒。よくて数分しか稼働できない「狩猟機」で商都から皇都までどうやって燃料切れせずに移動したのか、とか。
「超級剣技」はそうそう目にできるものではない失われた技術のはずなのに、どうして一目でそうと理解できるのか、とか。
 いろいろと読んでいて、全体的に分量に対して読み進めていく上での情報の少なさや、語られなさが気になるところだった。
 ティシナ王女の秘密はいまは描かず、二巻でそっと出していく伏線にしてもよかったんじゃないのか、など最後まで読了して感じてしまった次第である。
 けれど、それもすべて作者が「性癖が駄々洩れになる」くらい好きを詰め込んだ結果なのだとしたら、それもありかと受け入れる器も読者には必要だろう。
 私は良い機会なので、これを機に三雲岳斗の著作80冊近くを読み進めていきたいと思っている。

6月24日「シャーロック+アカデミー Logic.1 犯罪王の孫、名探偵を論破する」紙城 境介著 MF文庫J


 私は紙城境介が好きだ。
 同じMF文庫Jから発売されている「転生ごときで逃げられるとでも、兄さん」を読んだとき、こんなにも狂愛を求めてくる妹ならば、あるいはありだな、と納得させられたからだ。 
 いわば、イラストやライトノベルというジャンルの支援なしに、文章で読者を魅了させることのできる作家性があると感じた。
 この作家の作品ならば間違いなく面白いと、読者の好きに銘銘たる刻印を刻み込まれたのである。
 その刻印は約束を違えず「継母の連れ子が元カノだった」で果たされることになる(時系列があやふやなのは、わたしがいろいろ刊行されたあとに、時系列を追わずに買い漁ったからだ。従って、発行年月日は前後する)。
 さて、そんな紙城の満を持したライトノベルミステリー「シャーロック+アカデミー Logic.1 犯罪王の孫、名探偵を論破する」が刊行された。
 正直、私はミステリーに詳しくない。スリラーは好きだが、この作品はスリラーでもホラーでもない。 
 構造として思い付くのは、なろう系ハイ・ファンタジーで冒険者を目指した少年が、学院に入り、どんどん強敵に挑まれて苦労しながら這い上がる……という構成が近似したものにあると思う。 
 主人公は犯罪王の祖父を越える探偵王になろうと野心があるはずなのに、推理に情熱を傾けずしかし、推理はしてしまうし、探偵王の養女は裏を返せばポンコツインドアニートで、義父を越えるべくある姿はどこにもない。
 それなら、二人とも学校に入って探偵目指す意味ないんじゃないの?……と野暮ながらツッコミを入れたくなる。
 推理はされているのだろうし、たしかに、全体の6割は推理パートだ。
 新しいラノベミステリーの形かもしれない。 
 ただ……なんとなくエラリークィーン著「恐怖の研究」を読み終えたあとに残る残念感は拭えない。 
 これがまだ、犯罪王の祖父が育てた犯罪者集団「劇団」を構成する犯罪者「詩人」の凶悪犯罪を、主宰の孫である主人公が阻止し、解決するために学校に入学した……という内容なら、胸熱の物語になっていたのではないか。  
 最後に、「論破」という単語はSNSなどのイメージからしても、軽々しくて推理という思考芸術にはそぐわないと私は感じた。

6月25日「安達としまむら」入間人間著 電撃文庫

 現在、電子書籍kindleの読み放題に入っているこちらの1巻が出たのは、2014年の7月17日だというから、1巻から最新刊である11巻まで足掛け10年近い歳月を経てきたことになる。
 それほどの年月が空いてしまうと、特に若者向けに創作されているライトノベルは、ジャンルは創作内容によっては風化してしまい、いかにも前時代的な思考が散りばめられた、過去の名著と呼ばれることも少なくない。
 ライトノベル。特に安達としまむらのような学園コメディ作品が旬を過ぎるとただの過去を標榜した作品に劣化することはよくあることだ。
 そんな多くのラブコメ作品が時代性という門をくぐり、普通となっていくなかで、この作品はいつ読んでも時代の風化というものを感じさせないところに、大きな魅力があると思う。
 ライトノベルにおけるキャラクター創造論は属性特化だったり、TRPGやゲームにありがちな数値化をすることによって、生み出される定型キャラクターが多い。
 これはそういつた創作方法だから、正解とか不正解はない。
 しかしその一方で、どこか作られた感がいなめないキャラクターとは、どうしても無機物の愛をあいまに挟まなければ、読者はヒロインやヒーローを両肩を並べて世界をたのしむのは難しい時がある。
 そういったキャラクター論によって生み出されたキャラクターたちとは一風変わった、入間人間式によって生み出された安達やしまむらといったキャラクターたちには、あまり風化というものを感じない。
 誰もが歩んだ高校生活や学校での経験が、そうさせているのかもしれないし、キャラクターたちが動き生活する空間をまるで3次元であるかのように感じさせる、著者の腕によるものなのかもしれない。 
 現在、11巻まで続いているこのシリーズは、今年、12月あたりにはつばいされる12巻でなにかしらの一区切りをつけるのではあるまいか?
 このシリーズの魅力をあますところなく知りたい人には、それまでに履修として1~11巻まで読んでおくことをおすすめする。 

6月26日「双星の天剣使い1 」七野りく著 ファンタジア文庫

 中華風ソードファンタジー作品があまりない中で、著者はこの作品を書き、見事に正鵠を得たようにおもう。
 映画「始皇帝暗殺」を想起させる世界観かと思って読んだのだが、ライトノベルの系譜としては「封仙娘娘追宝録」シリーズを描いた、ろくごまるにの流れを汲むのではないか。
 とはいえ、作中には仙術などはでてこず、話の筋はあくまで帝国を守る将軍の家族と、皇帝から与えらえた任務を遂行するために心血を賭して戦う主人公たちの群像劇となっている。
 昔から流れとしてあった先代の英雄が後代に転生し‥‥‥というところから物語は始まり、タイトルとなっている「二振りの剣」をいかして最後の苦境を乗り越えるシーンまで、実に丁寧に話が織られている。
 惜しむらくは富士見ファンタジア系に多く見られる技法だが、「――」と体言止めを効果的に魅せたいシーンで多用しているところ。
「――」は一見するとバトルの白熱したシーンをより効果的に魅せると思われるが、実際に読んでみるとそこで感情の導線が切れてしまうので効果を表す場面としては後悔を口にするときに言葉尻を発しないなど、感情を収束させそこに山谷を作りたい場面でこそ、真価を発揮するのではいかと個人的に思う。
 つまり情緒を見せたいシーンなどには最適な技法なのだが、これがバトルに多用されてしまうと、感情が尻切れになってしまい没入感を削いでしまう。
 ‥‥‥と私は感じているのだが、これに関してはさまざまな意見があるだろうから、作者に任せるほかはない。また、セリフによる表現も考え物だ。
 剣で両手が切断されたとき、絶命寸前の人間が果たして「俺の両腕がああ――っ!」などと叫び死にゆくだろうか?こういった疑問をいくつかの場面で感じてしまうのは、実に惜しい気がした。
 また、序章の一人称は作者の個性が響く、独特の描き方になっている。好き嫌いは大きく分かれるところなので、ここを好きになれない方には、全編を通して楽しむことは難しかもしれない。


 

6月27日「運び屋円十郎」三本 雅彦著 文藝春秋

 令和版の時代小説は、過去にヒット作となった邦画や洋画を下敷きにしたオマージュ的な視点から、時代小説へと舞台を移し描かれているものがいくつかある。
 本作のあらすじを読んでいると、まず目についたのは決して破ってはならないマイルール。
 それを破ってしまうと、運び屋として破滅を導いてしまう。
 この筋書きだけでも、なるほどリュック・ベッソン監督作品「トランスポーター」の時代小説版か、と膝を打つ洋画ファンも数多くいるに違いない。
 舞台は江戸末期。
 裏家業として表立っては動かせない問題のある品物を、約束事に従い目的地へと届ける円蔵は、武士の血筋で忍びといってもいい体術を綿々と受け継いできた家柄のため、身軽で体術にも秀でている。
 そんな彼が父親が開いていた道場とは別に、別藩の若者に体術を仕込み、二人は同輩とも呼べる間柄だ。
 しかし、その直弟子が攘夷に繋がる係争に巻き込まれていることを知った円十郎は、闇の仕事を一旦、休めて助けに向かう――という筋書き。
 たまたまやってくる直弟子のいい女や、彼以上の忍びとの戦いなどエンタメとしても読みやすい文体で描かれている。
 最近はライトノベルの著者たちが時代小説に軸足を移し活躍する方も多いが、そういった方向からではないジャンルの書き手が、これほど分かりやすく読みやすい物語を書いている事実は、時代小説の流れも大きく変わろうとしているのかもしれないと予感させてくれる。
 ストーリーがやや淡々と語られ、円十郎の心理的な部分がセリフではなく、地の文でようやく補完されている点が、やや駆け足だったと感じた。

6月28日「異人の守り手」手代木 正太郎著 小学館文庫

 2012年に『柳生浪句剣』で第9回講談社BOX新人賞Talents受賞作を受賞した著者が、ほぼ作家生活10年目にして出した作品が、本作といえる。
『むしめづる姫宮さん』、『鋼鉄城アイアン・キャッスル』など異色のラノベの書き手として知られている著者は、人物描写が巧みで人物描写において「一筆書き」と世間に言わせしめた宮部みゆきを彷彿とさせる筆力の持ち主だ。
 この作品は幕末において、幕府により諸外国に向けて開国された外国人居留地である横浜に海外からやってきた、商人や外交官、医師などの外国人たちが、攘夷志士たちに命を狙われる事件から、国内の有志が結成した外国人保護組織「異人の守り手」と呼ばれる人々が奮闘する物語である。
 シュリーマンの後世における発掘欲の塊を刺激したり、夷敵とされる外国人は、当時の日本国内ではれっきとしたトラブルの種であった。
 そんな異国人を日本人の武術に秀でた人々や、異国人にゆかりの人物たちが力を合わせて、攘夷の波から守ろうとする当時を生きていた日本人たちの考えかた、宗教への回収問題も含めて色濃く記されている。
 ライトノベルと時代小説の新しい架け橋になる作品の1作だ。

6月29日「なぜ僕の世界を誰も覚えていないのか? 運命の剣」 細音啓著 MF文庫J

 アニメ化もされた『キミと僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦』の細音啓が放つ、MF文庫Jでは2シリーズ目となる本作はいわゆる並行世界転生・召喚モノに属している。
 当初いた世界は地上の覇権を争う5種族の大戦で、人類が他の4種族を封印し、平定した世界。
 それは一人の英雄によってなしとげられた偉業だという。
 主人公カイは4種族のひとつ、悪魔族を封印した墓地と称されるピラミッドで英雄シドの剣を手にする。
 しかし、とあるトラブルが起きたあと、その世界では英雄が不在で人類は4種族に支配されていた。
 シドの剣をもつカイのみが『上書き』された世界から異端な存在としてつま弾きにされ、ある意味、特別な存在として誰の記憶にものこらず、新たな世界で仲間とともに悪魔族を打倒する――というところまでが、第一巻のあらすじになる。
 いわば、世界が一つのボードゲームになったと理解したほうが早いだろう。キャラクターたちは仮初の記憶を与えられ、ゲームは進展していく。
 そこにい分祀たるカイと悪魔と天使の相反する属性を持つリンネが互いに手を取り合い、戦うという大筋。
 悪魔族の女王が、カイの発言によって抑圧された記憶を断片的に取り戻し、書き換えられた記憶と元の記憶の断片の狭間で苦悩するなど、どこまでも異端児の少年はタイトルのごとく忘れ去られたままだ。
 正直言うと、カイが元の世界線で所属していた仲間のもとに戻ろうとしたり、異端ながらも肉弾戦で人をはるかにしのぐ悪魔を滅したりできる戦法を披露する展開よりも、自分は忘れられた存在としてひたすら隠れたまま、新しい世界線で活躍する人類軍を陰ながらに応援するストーリーのほうが、タイトルに合っている気はした。
 リンネとカイとの異端児同士が心を通わせ合うシーンは胸アツものだが、第1巻で悪魔族の女王を撃破するなど、「悪魔族そんなに弱かったのか?」「上書きされた世界線での人類の戦いの意義は一体?」「そこまで異常な強さを持つのならば、どうして元の世界線でもっと上位の軍属になっていないのか?」などと、突っ込みを入れたくなる構造はおおきすぎる敵を短い文字数のなかで倒すために行間を詰めることに力を入れ過ぎた結果ではないかと思われた。

6月30日「半分の月がのぼる空1」 橋本紡著 電撃文庫

 文春文庫のほうで完全版として4冊が刊行されている同作品は、2003年。
 約20年前に第1巻が電撃文庫から刊行された。
 今回は、旧パッケージ版を紹介したいと思う。
 高校生の裕一はウィルス性の肝炎で入院する。
 都会から大きく離れたかつてのベットタウン。
 現在では寂れてしまった街並み。
 そんな光景を見下ろせる場所、砲台山。
 心臓に生まれつきの障害を抱える少女、里香は死を受け入れる覚悟ができず、その心はさまよっていた。
 祐一は里香の心を元気づけるために、禁止されている夜間外出を迎える。
 山頂から見た景色は里香に生きるために手術を受ける決断をもたらし、祐一は無理がたたったせいでひどい体調不良に悩まされる。
 そうして再び二人が出会ったとき、里香は手術を受ける決心を固めていた。
 著者である橋本紡が第4回電撃ゲーム小説大賞にて『猫目狩り』で金賞を受賞したときは1997年。
 SF色濃厚な処女作と比べ、10代の内向的な思春期の機微を上手く描きだしていると思った。
 素朴で卒が無く、淡々と感情が交互に押し寄せる際に生まれる小さな衝動をそっと拾い上げ、くみ上げて文章に仕立てる。
 90年代のライトノベルにあったこういった技法は、2000年代であっても受け継がれていたのは、とても有意義なことだ。
 実写映画やアニメもあるので、是非、おすすめしたい。

2023年7月

7月1日「顔さえよければいい教室」三河ごーすと著 ファンタジア文庫

 令和4年3月に発売された本作は、三河ごーすと初となるファンタジア文庫からの刊行作品だ。
 タイトルの持つ陰的なイメージとタイトル画から、購入した当初はMF文庫Jからでた作品かと思ってしまったほどである。
 三河は私のなかでは著者買いをしても外れのない作品を読ませてくれるため、この作品もそういう経緯で購入に至った。
 ストーリーは表紙にもなっている少女、詩歌とその兄、楽斗が中心となって描かれており、語りは楽斗の一人称だ。
 シャーロックホームズの冒険はワトスン博士の一人称だが、彼の凡人としての視点・視野・認知をホームズという天才が矯正してくれることで、あの作品は高度な推理小説としての体を成している。
 それに比べ、本作ではすべてを見聞きし、感じて判じることを兄である楽斗の主観から描いているため、妹の詩歌が持つ天才的と作中でされている魅力について、読者は共感性をもちづらいのではないかと思われる。
 また先月かいた「シャーロックアカデミー」でも採用されていた全校生徒が端末を与えらえれ、月初になると獲得したポイントに応じて生活費が振り込まれる‥‥‥というシステムは、「ようこそ実力市場主義の教室へ」を彷彿とさせて、どうにも見比べてしまう点がマイナスだ。
 また、ストーリーはポイント獲得をして生活水準を高めよう、という本来の目的から芸能界でのし上がるとか、兄である楽斗の隠れた格闘技レベルとか主人公は楽斗なのか、詩歌なのか判然としない構図になっているのが、少し残念なところだった。

7月2日「半分の月がのぼる空2 waiting for the half-moon」橋本 紡著 電撃文庫

 今回は旧刊行版の第2巻を紹介する。
 漢字が多用され、文章表現力もあまり高くないままにシーンが多い作品が、web投稿発の作品群には多く見受けられる。
 そういった未完成で粗削りな文体は若手の魅力であると同時だが、他の分野の作品を読みなれた読者に対し、独特の形式を用いるがために、読解力を要する点で、不誠実である。
 橋本の文章は上に挙げた若手作家の文章とは真逆の位置にある。
 すらすらと頭に入り、キャラクターの心情や色彩豊かで、分かりやすい。
 その上で楽しめて読む時間を要しないという、ライトノベル本来の役割を果たしているような節がある。
 もし、研究論文などを読んだ後に、若手の発信するライトノベルを読んで内包されたさまざまな感情をうまく受容できないときは、橋本の文章を読むと脳がライトノベルを理解するために、うまく働く補佐をしてくれるだろう。
 そういった意味で、橋本の文章は美しい。
 さて、第2巻だが里香と心が通じたと喜んだ主人公、祐一。
 しかし、前回の文字通り血のにじんだ努力もどこに行ってしまったのやら。祐一は、亡き患者さんから譲り受けた千冊にもおよぶ、エロ本コレクション「戎崎コレクション」を里香に発見されてしまう。
 その日から彼女の態度はまさしく虫けらを見るかの如く、氷のように冷たい言動、祐一へと振ってくる。
 なんとか誤解?を解こうを行動するも、真冬の最中、深夜まで病院の屋上に閉じ込められた祐一は、二日ほど生死の境をさまようことに‥‥‥。
 惚れた弱味という感情は理解できるが、怒るべきところはしっかりと発言しないと、交友関係はうまく成り立たない。
 死の瀬戸際をさまよった祐一が、里香に怒りを露わにするなどの感情表現を省いた点が、ライトノベルらしくない表現だったと思う。

7月3日「転生先は自作小説の悪役小公爵でした 断罪されたくないので敵対から溺愛に物語を書き換えます」サンボン著 ドラゴンノベルス

 第4回ドラゴンノベルス小説大賞、特別賞受賞作の本作は、web投稿サイトで人気を誇るサンボンによる異世界転生モノの一作。
 悪役令嬢転生や、異世界チート転生などは題材が多いなろう系のなかで、主人公が自分の書いた小説の作中世界に登場する、断罪される悪のボスキャラとして転生してしまった‥‥‥という視点から物語が描かれる。
 こういった作者転生とも呼ぶべきジャンルモノは異世界恋愛に華開いている一ジャンルで、読者対象はその多くが30代前後の女性層になってくる。
 本作はターゲット層を20代から30代前半の男性ハイファンタジー読者層に向けたことにより、このジャンルの新しい一面を切り開いた意欲作とも言える。
 ターゲティング年齢層を下げたことによる作中キャラクターたちの思考過程の幼さや、行動倫理の衝動的な側面もキャラクター設定が物語の前半では~13歳。後半では15歳~と差分化されている点でも、10代少年少女の活躍するファンタジー小説として読者に納得感を与えることだろう。
 惜しむらくは表紙における女性キャラクターの実年齢と肉体年齢の相違が激しいところではないか。
 10代前半でこれだけ豊満な女子は異世界でも現実世界でもそうそうはいないような気がするが、これも転生した作中作者の設定でこうなっているとなれば、それは致し方ないのかもしれない。

7月4日「君の膵臓をたべたい」 住野よる著 双葉文庫

 小説になろう発の大ヒットを記録した青春小説。
 すべてが僕の一人称で語られ、しかし、僕の名前は語られることが無い。
 主人公の僕と膵臓の機能が失われたことで余命宣告を受けたヒロイン、桜良の短い期間における、心のやり取りが色鮮やかだ。
 人は死を知ったとき、そのほとんどが病床で余命わずかか、既に死に至る寸前の状態だろう。
 余命宣告を受け、迫りくる死と共棲し、ときにはそれに抗いながら今を懸命に生きるヒロインと、彼女の秘密を知るたったひとりの同級生。
 その立ち位置が残酷で、桜良の残された寿命をどう受け止めていいのか困惑する僕が彼女とともに過ごす日々は、描かれている以上に過酷なものだったに違いない。
 自らの寿命を知ることができるのは死にゆく者だけの特権であると同時に、ともすれば自殺したくなる衝動を抑えることは、日々を生きることだけでも壮絶な辛さがある。
 本作以降、似たようなストーリータイプのラノベ、ライト文芸が増えたように思う。
 住野の文体はライトノベル調、エンタメ調というよりも純文学のそれに近く、村上春樹や芥川作家、高山 羽根子の文体を彷彿とさせる。
 セリフや構成はエンタメのものだが、住野の文体はweb小説の購読層よりも大衆文芸を支持する人々にうけたからの大ヒットではなかったか。
 そう思わせてくれる内容だった。

7月5日「シアンの憂鬱な銃」 佐原菜月著 電撃文庫

 佐原菜月のデビュー作。
 ライトノベルでハードボイルドをやろうとしている姿勢が熱く伝わる一冊だった。
 主人公の空也と偶然に出会った神父、青。
 本当は彼女だった青の持つ『神の眼』と製作者であるエディの死を巡り、彼の遺した人を傷つけない銃が引き起こす、ライトノベルにしておくには惜しい内容で、映画化などすればいい感じにヒットするのではないか、と思わせてくれた。
 新人らしい表現力の文体はみずみずしいというよりは、徹底して感情を端的に表そうと試みているために、どちらかといえば重苦しい。それでいて読む者の『眼』をじっとりと据え付けるような押しの強さがある。
 そのためか、いささか読み終わるのに時間が掛かってしまった。
 また、空也というキャラクターの狂気や彼の持つ危険性と、青という一見、不可思議なミステリアスガールが分量のわりに描き切れていない印象が強い。
 カラーイラストに描かれている少女は多分、白峰洋子だと思われるが、彼女のパートに割かれている字数も少なく、ストーリーをどこか解説されているような読後感が強い。
 このあたりは新人という経緯もあるので、2巻、3巻と続いていればもうすこしキャラクターたちを深く知ることができたかもしれないと思うと、発売から数年後にあたる今日、残念に思えてしまう。
 もしかしたら、主人公が新米刑事でなく、探偵ならばあるいはスムーズに話が進んだのかもしれない。

7月6日「エリオと電気人形 1」 黒イ森著  ヤングジャンプコミックスDIGITAL


 AIと人間による戦争は人類が電気を放棄することにより、終結した。
 最後に残った殺りく兵器である電気人形・アンジュと電気を作れる体質である少女・エリオの冒険旅行譚。
 作品紹介には「スチームパンク」とある。
 スチームパンクと言われればどうしても19世紀初頭の産業革命前後を思い浮かべてしまうのだが、物語世界ははるか未来の話だ。
 電気を放棄した代わりに蒸気機関に人類が頼っている世界観はとても秀逸で、夜の闇を恐れるひとびとの悲哀も入り混じりながら描かれるストーリーには強く引き込まれるものがある。
 お気楽な性格のエリオ、アンドロイドとして感情を持たないはずのアンジュ。
 一人と一体の掛け合いが、ある意味で繁栄を一度棄てた暗闇の多い世界に、コミカルでユーモラスな雰囲気を醸しだしているのは、妙としか言いようがない。
 本作はマンガでありライトノベルではないが、原作が島崎無印から提供されている。
 ある程度の巻数が出たあとなら、ノベライズとして発売されても成功するのではないだろうか?
 2巻を楽しみに待ちたい。
 
 

7月7日「竈稲荷の猫」 佐伯泰英著 光文社文庫

 小説というものは「職人芸」であるという言葉を、佐伯泰英の著作を読むたびに想い起させる。
 時代所説においては、当代切っての売れっ子さっかである佐伯は、御年八十を越えるも、その筆は健在で、ひとときの精彩は欠けたものの、技は未だに衰えていない。
 それどころか傘寿を経たあとも執筆の勢いが衰えていないことに、驚きどおろか畏敬の念すら覚えてしまう。
 そんな佐伯がこの6月に出した「竈(へつつい)稲荷の猫」は、三味線長屋に住む三味線職人の親子と、この道に入って数年になる若い三味線職人が、これまでにない材質の木材を作り、見事に新しい三味線を作り上げるまでの、物語だ。
 この一冊を読み終えただけで三味線のかんたんな歴史から、その構造にいたるまで知り得た気分になってしまうのは、物語を読み終えた人間にとって眼福以外のなにものでもない。
 佐伯はいままでに多くのヒット作を生み出し、月刊に十数冊も新刊本をだすなと、月刊佐伯といわしめる凄まじい筆の速さの持ち主である。
 その腕はまさしく職人芸と評していいだろう。
 職人芸だからこそ、筆の早さに定評がある分、他の作品と並列的に書き分けられている部分もあるだろうから、ある一定の水準を超えることが難しいいという問題も存在する。
 この水準を佐伯は専門性のある何がしかの知見を一つ加えることで、読者にとって読みやすく、面白さの質を落とさないようにしている点が素晴らしい。
 ただ、筆の早さとは言い換えれば、執筆者の思考の深みを薄めてしまう側面も持つ。読み進めていく上で、筆の早さと語り口のくどさが時折目立つところがあり、これを佐伯文学として受け入れるべきかどうか、悩むところではある。

7月8日「悪役令嬢、熱血騎士に嫁ぐ。」 浅見著 フェアリーキス

 浅見は2022年から私が注目している作家の一人だ。
「糸を噛む~死を待つ王女に捧げる仕立て屋の深愛~」「ハワード夫婦の蜜月事情~きまじめ夫は年下妻の誘惑に我慢の限界です!~」「ローゼの結婚」に続く四作目は、悪役令嬢と熱血騎士が大恋愛をする‥‥‥と思いきや、主人公フェリアは転生もしないし、過去世も抱いていない。
 彼女は、物語世界の中で人気がある「悪役令嬢・カーディン」として、実名を以って不名誉な役柄を押し付けられてしまい、それがゆえに不名誉を負って婚約者に婚約破棄へと至ってしまう。
 そんなフェリアを糾弾の場で救ったのが、熱血騎士ヴィルだった。
 婚約破棄をされた傷心のフェリアは、謹厳実直なヴィルの人柄に惚れ、彼の愛情に心の傷を癒されて、世間の圧力も後押しする形で結婚へと至る。
 この物語は心に傷を負った令嬢が、夫のなにごとにも熱い愛情を受け入れて行くところに面白さがあるが、なによりもすばらしいのは、熱血も突き抜けてしまえばカッコいい、の一言に尽きる。
 物語中盤でフェリアに真実の愛を叫ぶヴィルの姿は、前半でこれでもかと繰り出される熱血ぶりに少しばかり、引きそうになるが、彼の胸内を男らしく告白する姿は、一転してすがすがしく読む者の胸を熱くするものがある。
 この熱血夫婦の営みを、夜の姿も含めて描いた作者は、独特の視点を持ち異世界恋愛を描いている作家の一人だ。
 ありふれた展開であっても、丁寧で素朴な描写で読者に物語を届けたいという浅見の姿勢が行間から読み取れると思う。
 是非、この物語を一読し、楽しんでみて欲しい。

7月9日「筺底のエルピス1-絶滅前線-」 オキシタケヒコ著 小学館ガガガ文庫


 異世界からやってきて人に憑依しては狂気を発動させ、まともな現実からは到底想像もつかない暴威となって、社会に脅威をもたらす存在、鬼。
 この鬼を退治するために選ばれたのは、世界に三体しかいない地球外生命体によって集められ・統合された祓魔師たちのみ。
 地球外生命体によって与えられた能力は、鬼を視ることが可能な進化した科学によって作り出された「天眼」と、次元を自在に収束・操作できる「停時フィールド」のみ。
 彼らは組織だって鬼を退治するために日夜闘っている――と書けば、よくある妖退治ものと勘違いされるかもしれない。
 この作品はSFだ。
 それもSFという枠を超えた、ライトノベルでしか表現しえない、日本の大衆文芸が培ってきたファンタジーとも違う、独自の構造としゃべりを持っているといっていいだろう。
 1990年代に華開いた、他分野に向かいライトノベルから発することで、高いレベルでの共棲を可能とした作品のひとつが、この「箱底のエルピス」ではないかと思う。
 いまではエンタメ化という言葉によって押しつぶされてしまった過去の萌芽が、それを始めた富士見ファンタジア文庫ではなく、ガガガ文庫から産声を上げたところに、ライトノベルの歴史的推移を感じなくてはならない。
  

7月10日「顔さえよければいい教室2.竜姫ブレイクビーツ」 三河ごーすと著 富士見ファンタジア文庫

 Hiphopを聞きかじってからもう、30年ほどが経過する。
 あのころは中学生でまだまだ若かったなと思いながら、当時、この小説が世に出ていたら、果たして受け入れられたかどうか、という疑問を読みながら心に浮かべてみた。
 多分、こたえはノーだ。
 それは文章がどうこうという話ではなく、まだ世にHiphopというものが受け入れられていなかった時代だからだ。
 クラブというと、いまのようにビート主体の音楽よりもシンセサイザーを多用した音楽か、よりメロウで角質のある重低音で響かせて客の鼓膜を刺激するような音楽が多かったように思う。
 その時代、1980年代後半から90年代前半にこの作品が世に出ていたとしても、先鋭すぎて多分、受け入れられなかったような気がする。
 さて、今回の主役は前回とは異なりブレイクビーツを踊ることで色を体現する、竜姫だ。
 高校に入学前後までは虚弱体質で入院しており、救いの無かった彼女の私生活に、Hipopを生業として生きて来たレジェンドたちが関わることで、竜姫の人生は大きく動き出す。
 退院後、竜姫はホームとなるクラブで仲間を得、旧来のHiphopに新しい風を呼び込もうとしたために「ヒップホップ(文化)の破壊者」と呼ばれるようになってしまう。
 もともと、Hiphopもグランドマスター・フラッシュが自宅アパートで皿を回している時に、隣室で同じくパーティをやっていた主催者が、それぞれの意地をかけて音源を大きくしていった結果、現在のようなクラブ文化が始まったという。
 それまでは静かに楽しんでいたものを、より加速度的に躍進させたわけだ。(ここにはロックとの相性もあるので、そこは割愛する) 
 意地の張り合いが互いの所属するコミュニティを育て、クルーたちとともに文化として継承していく形になるのである。
 このような文化手側面から見て行けば、竜姫のやろうとしていることは正しいし、でも異質でもある。そして、日本人では正当なHiphopを継承することはできない。音楽に国境があるように、文化にも国境がある。その境目は見えないようで、越えてあちらに旅した者にしか理解できないものだろう。
 だからといって、日本人がヒップホップを語るな、という話ではない。日本には日本式のヒップホップが根付いていいのだ。かつてロックがそうであったように。
 自己流に学び体感してきたヒップホップを己の基軸として生き、踊ることで体現して見せる。
 竜姫の生き方、信条は和製ヒップホップのひとつの形として顔を形作り、色づいている。

7月11日「七つの魔剣が支配する」 宇野朴人著 電撃文庫

 第一巻が2018年に発売された本作は、いい意味でハリーポッターへのオマージュが強く、そこに富士見ファンタジアや電撃、MF文庫Jといった文庫レーベルが培ってきた学園ラノベを上手く加味した内容となっている。
 学園モノといえば「ようこそ実力至上主義の教室へ」が本作品よりも早くリリースされているが、昨今、リリースされている学園モノにありがちな、全校生徒を一元管理したり、お金を配布したりといった物理的な面での抑制が無い。
 その反面、魔法という不可思議で得体が知れず、さらにいつ暴発するかもしれない怪しげな力を扱う魔術を学ぶ者として、管理者側が生徒の安全を保障しきれていないまま、巨大組織の経営を行っているという側面は、とても危ういものだ。
 同様の管理体制を敷いている作品に、闇の魔法学校 (死のエデュケーション) ナオミ・ノヴィク著がある。
 こちらは2021年発売だが、翻訳なので母国の発売は2000年となる。
 闇の魔法学校 (死のエデュケーション) は魔獣に襲われ成人までの生存確率が数%しかない魔法使いを生かす目的で学校運営がなされているが、キンバリーでは伝統的に魔法使いが入学するとなっているのも、思想背景として異なっていて面白い。
 2023年7月からアニメ放映も開始されたが、第一巻のエピローグをプロローグに持ち込むなど、原作を未読の視聴者には最初からついてこれない始まりになっている点が少し残念に感じた。
 ダークファンタジーとしても構成の高い本作は、是非、おすすめの一冊だ。
 

7月12日「教え子とキスをする。バレたら終わる。 」 扇風気周著 電撃文庫

 教師と生徒の背徳系ラブコメ。
 とある通信ゲームで仲良くなった女子が、いきなりエロい写メを送り付けてきて、通話をしてみたらネカマではなく本物の女性だった。
 しかも、主人公が教員になって赴任したさきが、彼女の通う高校だった‥‥‥主人公が気づかぬ間に、優等生である彼女は彼の正体に気づいてしまい、罠を用意し恋愛対象として捕獲にでる。
 同じ電撃文庫の系列では2021年発売の「ホヅミ先生と茉莉くんと。」(葉月 文 著)を思い起こさせるタイトルだが、あちらはラノベ作家とファンの恋愛。
 こちらは、正しく教師と生徒の恋愛とあり、一線を画した内容になっている。
 女子高校と教師の恋愛は世間的に言えば認められないものだし、教師がたとえどんな弱みを握られたとしても(作中では生徒に弱味を握られたからの行動が恋愛につながっている)、バレたら終わる恋愛を認めてしまう、というのはいささか疑問に思うところではある。
 同僚の先生に秘密の旅行先でばったりと出くわしてしまい、二人は離れ離れの道を歩むが、同僚には同僚で人に言えない秘密があり、それを暴くために行動する理由が、毒を以て毒を制す。
 相手の弱みを握ることで、こちらの秘密をばらされないようにする‥‥‥というもので、本当に生徒が大事ならそんな道を選択するの? と問いかけたくなるストーリーではあった。
 最後に主人公の元カノが登場し、波乱の2巻へと続く内容になっている。
 社会人であり、教師であるならもう少し生徒であり恋人である彼女の未来を考えてあげて‥‥‥と、私は読みながら思ってしまった。
 背徳系ラブコメが好きな人にはおすすめ。

7月13日「筺底のエルピス2 -夏の終わり-」 オコシタケヒコ著  ガガガ文庫


 パンドラの開けた箱の底には、最後の希望が残っていたはずだ。
 エルピスとはその希望のことを示している。
 出現するたびに数百万の人類を滅ぼしてきた白鬼を、ローマ教会との協定の元、管理するようになった門部。
 いざとなったら白鬼を憑依させた親友を抹殺しなければならない使命を背負った叶と、1巻で妹に対する本心を理解させられた圭が、今度は世界の三分の二に及ぶ鬼狩りの組織と対立することになってしまう。
 物語後半で主人公・圭は片腕を失う痛手だし、最大戦力である宗助はほぼ死に体だし、ゲートを守る管理人にして門部の本体とも言える燈は本部から脱出してしまうし、イルミナティの魔の手はそこらじゅうから及んでくるし‥‥‥と、はっきり言って、救いの少ない内容の2巻は殺戮の嵐でとても殺伐としている。
 真の意味でのダークファンタジーとは、こういった内容を指すのかもしれない。
 ライトノベルの歴史の中で、この作品より先に現代ファンタジーとして本格的に人間の闇を描いた作品に「ザンヤルマの剣士(麻生 俊平 著)」がある。
 あちらははるかなる過去に万能を目指した人類の遺物が、現代社会に入り混じって生死を争う内容だったが、系譜的にはその範疇に本作も入るだろう。
 最近、本格ファンタジーと名付けられ販売されるラノベが多いが、本格という命題は、必ずしもハイファンタジーである必要はない。
 本作は、その意味で正当なるラノベ本格ファンタジーの後継作品と呼んでもいいのではないか?

7月14日「この最強美少女パーティは、雑用職の俺がいないとダメらしい」 なめこ印 富士見ファンタジア文庫

 問題ありだが実力は折り紙付きの美少女パーティを陰から支えるのは、かつて暗黒街を震撼させた凄腕の暗殺者。
 タイトルのわかりやすさについつい、書店にて手が伸びていた。
 実際の発売は6月なのだが、発売時点でもどうやら購入していたらしく、帰宅して本棚を眺めてみると、なぜか同じタイトルの1巻が2冊並んでいるという珍事が、発生していた。
 自宅および会社として借りているアパート、そこだけでは置ききれず3万冊近くになる蔵書を整理しつつ管理するために、会社保有の倉庫の一角に本棚を並べて管理している次第である。
 それはさておき。
 なめこ印はこの新シリーズで20冊を超えるの大台となる執筆をおこなっており、持ち味はキャラクターの端的な素描とセリフによる展開の早さにある。
 今回のシリーズでもその持ち味はいかんなく発揮されており、どMな変態聖女だけでなく(秘密が合ったり)、その他のキャラクターたちもそれぞれの願望を埋めようと、主人公を利用する場面は美味しいエロスで溢れている。
 ほのぼのエロコメディを楽しみたい方にはおすすめの一冊。

7月15日「天才錬金術師は気ままに旅する ~500年後の世界で目覚めた世界最高の元宮廷錬金術師、ポーション作りで聖女さま扱いされる~」 茨木野著 電撃の新文芸

https://amzn.asia/d/a1DkLyZ

 著者はweb投稿サイト、小説家になろうの人気作家、茨木野。
 同レーベルから出す著作としては、4作品目となる。
 電撃の新文芸は読んで名のごとく、文芸枠に近い作品を出すと思っていたので、本作のような雰囲気の作品が出たのは、すこし驚きだった。
 作品内容だが、これはここ数年のなろうの特徴で、長文タイトルに集約されている。
 その意味では分かりやすくていい。
 ただ、同じような長文タイトルで錬金術師のスローライフモノは数多くあるので、書店やAmazonのような販売サイトでは埋もれてしまう可能性が高い。
 小説家になろうである程度の人気を得ると書籍化という道が拓かれている。
 本作はそうしたランキング上位を取り、書籍化打診を受けて転倒へと並んだ系列だと思われる。
 作品の流れだが、主人公のセイはモンスターに襲われて仮死状態となり、難を逃れるも生還してみたら、そこは500年後の世界だった。
 未来の世界では三大聖女率いる天導教会が魔術の類を厳しく管理していて、その衰退ぶりは甚だしい。
 そんな世界だから、過去の世界では優秀な錬金術師だったセイが、更に特別な存在として活躍できる。
 奴隷を助けたり、肉体の欠損部位をポーションで修復したり、はたまた凄まじいランクにあるモンスターを退治したり、天候操作による魔力障害を修正したりと、彼女の快進撃は止まらない。
 そんなセイに付き従うキャラクターたち三人と一体はどこまでも造形的で、自意識がないワンパターンの人形が返事をしているようで、ちょっと味気ない。
 せっかく錬金術師なのだから、ポーションばかりで荒事を乗り切るのが時流のいわゆるテンプレであっても、もう少し独創性が欲しいと思った。
 最後の最後、セイがエルフの新国王に幽閉され脱出する際に使った錬金術こそ、錬金術師の真価ではないのかと思うのだが、ここは作者の好みなので仕方がない。
 似たような先行作品に「生き残り錬金術師は街で静かに暮らしたい」があるので、紹介しておきたい。

 本作が好きな方には楽しめる一冊となっている。

7月16日「氷菓」 米澤 穂信著 角川文庫

 その作品を評価するときに、必ず守らなければいけないことがある。
 それは時代背景を一切排して、純粋に読んだ感想を述べるというものだ。
 米澤穂信はミステリ作家であると同時に、文芸で名の馳せた本格的な物語を語り部として、評価を得ている。
 それは現在の姿であり、この当時。
 つまり、本作が2001年に第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受賞して氏の文壇デビューを飾ったことと、今現在までに至る足跡を、作品を読む上では同一視してはならないということだ。
 アニメ化もされ、多大な重版を得ている本作はライトノベルだろうか? それともライトミステリ―だろうか? それとも、ミステリ風味をまとった儚く消えゆく氷菓子のように、読後はうっすらとした情緒も残さずに脳裏から消えて行く、ライトノベルの宿命を宿したものなのか、それは分からない。
 前置きが長くなってしまったが、ミステリーとして面白いよ、と薦められ本作を手にしてみた。
 あとに続く4冊も既に購入済で、1巻が面白くなければどうしようか、という悩みが解決されるまでの数時間、面白くあってくれ、と願うのみだった。
 私が米澤穂信の作品に初めて触れたのは「氷菓」が最初ではなく、短編集に寄稿された「玉野五十鈴の誉れ」が最初である。
 あの作品において五十鈴はどこまでも儚く、それでいて健気で実直でありながら、野心を絶やさない少女だった。
「玉野五十鈴の誉れ」は最後に主人公である主人が死んだのか、生き残ったのかが明暗を分けるところなのだが、ミステリー風な作風のままに記されてはいない。
 脱線してしまったが、「玉野五十鈴の誉れ」を読んだあとから、米澤穂信の作品は、作者買いしても良いのでないかと思うようになった。 
 そこで本作の感想だが、これをミステリーと呼ぶのはミステリーというジャンルに対して、冷や水を打つような行為ではないかと思ってしまう。
 しかし、上質のライトノベルですよ、と言われればそこは、やぶさかではない。

7月17日「本嫌いの俺が、図書室の魔女に恋をした 1 」 青季ふゆ著 PASH!文庫

 著者の名前はSNSなどで拝見していたものの、著作を手にしたのは本作が始めて。
 タイトルにある図書館の魔女は、高田大介の同名タイトルを思い起こさせ、そこにイラストのついたライトノベルとなったら、どんな内容になるのだろう、とふと興味が沸いて購入した。
 内容はラブコメで、中学時代、クラスカースト最下層にいた男子生徒が、外見と振る舞いに気を遣うことで、高校に入り陽キャの一部となれたものの、どこか馴染めない。
 そんな彼のクラスには、物静かでまるで空気のように雰囲気に溶け込み、周囲との関係を隔絶して、ひたすら本を愛する少女がいた。
 主人公はふとしたきっかけから本を読む楽しさを彼女から教えられ、読書にはまっていく。
 それまで読書そのものに耐性のなかった彼が、読書に打ち込む姿はどこか滑稽でもの悲しい。
 その行為を通じて彼はたくさんの知と出会い、自身というものを顧みることになるのだから。
 作中にはさまざまな偉人たちの言葉が引用され、それが物語を引っ張っていく牽引の役割と、それぞれの転機を示している。
 ヒロイン葵が、主人公奏太に打ちとけ、自分がかつていじめられていたことを語るシーンまでは読みごたえがある。
 しかし、葵がクラスの人気者によっていじめられ登校拒否になったあとに主人公がとる行動は、どこまでも個人的で利己的だと思った。
 恋人は同じ方向を向いて支え合うもの、という作中のセリフとはそぐわない印象だ。
 いじめという、ヒロインの人生を狂わせた大きな犯罪を犯した友人による謝罪のシーンもなく、奏太との恋愛がスタートしたことで学校生活に戻れたヒロインだが、そこは彼女の自立するという意思を尊重し、学外での関係が続くという別のストーリーもあったのではないか?
 また、文豪たちの言葉を引用し、物語のターニングポイントにしているだけに、主人公たちの軽薄にも感じられるセリフや地の文での心情描写は、どこか違和感があった。

7月21日「最強ランキングがある異世界に生徒たちと集団転移した高校教師の俺、モブから剣聖へと成り上がる」 逆霧著 富士見ファンタジア文庫

 物語には、そのストーリーに対して適切な尺というものがある。
 長すぎず、短すぎず、ちょうどいい塩梅で物語を読み終えることができる、そういうものを言うのだが、逆霧の本作は見事にその尺をこなしている力作だった。
 近年、富士見ファンタジアだけでなく、電撃もスニーカーも、350~370Pに近い長尺の単行本を出したがる傾向が多いように感じる。
 語られるストーリーによっては長尺な物語も必要となるが、往々にしてそういったものは余分なストーリーやシーンが加筆されていたり、丁寧すぎるキャラクター説明や背景設定の説明に割かれていて、いまここで必要なの? と首をかしげてしまう作品も多い。
 特に第1巻の場合は作者も編集者側もあいまって、読者の読んだ満足感を取ろうと必死なのが裏側に見えてしまう。
 ライトノベルに必要なのはじっくりと読み解く哲学や専門書のような構成ではなく、早くすらすらと読み解いて面白いと思わせる、そこに肝があるのではないか。
 400P近くの分量を揃えた作品は、概して説明過多だし、ページ数の割にはイベントが少なく、作者が伝えたいことを熱く書きすぎるきらいがある。
 その意味で、本作は分量も良く、初回は教師と生徒の二組が軸となって生還を目指すという構成がよかったと思われる。
 この内容で続いて行けば、20数巻までは続くよいシリーズに育つのではないだろうか。

7月31日「浅草鬼嫁日記 あやかし夫婦は今世こそ幸せになりたい。」 友麻碧著 富士見L文庫

 10日間ほど間が空いてしまった。
 その合間に新しく読んだ作品について紹介したいと思う。
 本作は、千年前に陰陽師や退魔師によって退治されてしまった京の都を騒がせた鬼夫婦、酒呑童子と茨木童子が現代の浅草に転生して、新しい人生である高校生活を目一杯、謳歌するという内容。
 他にも同じ転生前に仲間であった「鵺(ぬえ)」が同級生にいたり、同じ作者の著作でアニメ化された「かくりよの宿飯 あやかしお宿に嫁入りします。」との関連もあったと、そちらからファンになった方にも楽しめる内容になっている。
 タイトルは鬼嫁の真紀(前世は茨木童子だった少女)の一人称だが、章を隔てて元旦那である馨(酒吞童子だった少年)の独白で章が構成されていたりと、決して妻から見た現状だけでない内容を楽しめるだろう。
 真紀が元旦那の馨が大好きで大学を卒業したら結婚できることを仄かに心待ちにしていたり、その割に馨をこき使いながら本当の意味で鬼嫁っぷりを発揮していたりとタイトルをきちんと回収しているところも読み応えがある。
 書籍購入に悩んでしまうという方は、小説投稿サイト・カクヨムで同じタイトルの作品が掲載されているので、そちらを読んでから書籍に手を出してみてもよいと思う。
  

8月4日「浅草鬼嫁日記 二 あやかし夫婦は青春を謳歌する」 友麻碧著 富士見L文庫


 前回はスカイツリーに裏浅草凌雲閣での関東あやかし勢の大勢力ぬらりひょんの組長孫と剣を交えたり、かつての部下である四眷属のうち、2人に出会た真紀。
 今回は学園祭企画「うちのかっぱ知りませんか?」や夏の川床でのかっぱたちとの一幕など、ほっこりしつつもエンタメに振られていて、場面も多く読みやすい。
 キャラが可愛い。
 真紀の鬼嫁っぷりがわがままも込みで許されていて、馨は前世の夫ながらすごいなと思ってしまう次第である。
 盛り上がりを見せる各話の分量が丁度良く構成されていて、これは編集された方も楽しみながら作ったのだろうというのが、わかる作りになっている。
 惜しむらくは、ライト文芸で一人称や単一視点を書かれている作家さんのほぼすべてに共通していることで、主人公が知らないことは描けない。
 見えていない表情をさも外側から見えているように描いている。
 もしくは一人称なのに主人公がいない場面の描写まで、一人称パートで描かれているところがたまにある。
 ここはライト文芸が抱える大きな修正点ではないかと思われる。
 三巻を読めるのが待ち遠しい。

8月8日「浅草鬼嫁日記 三 あやかし夫婦は、もう一度恋をする。」 友麻碧 富士見L文庫

 前話で馨が作った「狭間」に河童たちがカッパーランド建設を目論んでいたり、真紀が血糊どんぐり爆弾でがしゃどくろを破壊したり、という序盤から始まり、一同は京都旅行へ。
 明かされる茨木童子の嘘は切なく、悪妖とまで成り果てても、亡き夫の骸を求める様は、読んでいて心が苦しく、涙した。
 大江の国での幸せな夫婦の物語が深く語られていただけに、人間側の理由により鬼たちを滅ぼさんとした朝廷側には、真剣な怒りを感じてしまう。
 作者はあとがきでこの作品は自分にとってとても大事なものになるだろうと、記している。
 それは読んでいてよくわかる内容で、相変わらずの鬼嫁っぷりを炸裂させながらも、馨に吐いていた嘘をきちんと理解して飲み込んでくれる酒呑童子のイケメンぶりもまた平常運航で安心できた。
 新たな敵となる九尾の狐だが、終盤できっちりと退治されていて一安心。
 宇宙人かもしれない大天狗様にはもうすこし頑張って欲しいところ。
 ルー・ガルーと青桐の淡い恋の始まりを予感させてくれる三巻。
 鬼嫁夫婦がもう一度恋をできていて、とてもよい内容だった。
8月9日「浅草鬼嫁日記 四 あやかし夫婦は君の名前をまだ知らない。」 友麻碧著 富士見L文庫

 主要キャラクターのうちの1人、継見由利彦が夜鳥由利彦へとその存在すらも変えてしまう第4巻。
 五頭龍と弁財天の夫婦喧嘩、楽しい江ノ島デート、大晦日の夜に浅草を見舞った大陸からのあやかし、獏の暴走による狭間からの現実世界への侵略。
 などなど今回の作品も話題性には尽きない。
 よくこれだけたくさんのストーリーを1冊の中にまとめることができるものだと感心してしまう。
 それだけ友麻碧は優れたストーリーライターでありストーリーテラーなのだろうと、強く関心を寄せた。
 今回のハイライトは、由利彦が実は千年以上生きたあやかしであるということを現在の家族である妹に明かし、さらに真実を知ったものすべてが彼のことを忘れてしまうという「鵺」が敷いたマイルールを、どのように処理すべきかというところに焦点が当たったと思う。
 由利彦は大黒先輩とある取引をすることによって自らの過去を関わったほとんどの人々の記憶から消してもらうわけだが、彼自身もまたたくさんの何かを偽ってきた経歴をして真実の自分で新しい未来を掴み取ろうとするところに、生きているキャラクターを見ることができる。
 ただ、そのために由利彦が選んだ手段は、ここまで読み進めてきた読者にとってなるほどと納得のいく方もいれば、そんなことを選ばなくてもいいじゃない今のままでも! と強く否定的な観念を覚えてしまう方もいるかもしれない。
 私は後者の方で、新しい自分であるために安倍晴明を頼ったことそのものについては特に問題視するわけではなく。
 これは語ってしまうとネタバレになるので今は伏せるのだが、あの選択肢は安倍晴明こと叶先生から打ち出されてこそ、初めて意義のある提案だったのではないかと私は思う。
 なぜならば、誰かの下に着くということを選ぶよりも、自分の下につけば君の存在は新しく偽ることなく生きることができるよという提案を、教師と生徒という関係性から、上司である叶先生がするべきではなかったのかと。
 キャラクターの選択は、もちろん読者がどうこういうことはできないのだが、由利彦の決意についてもう少し詳細な説明があっても良かったのではないかと読後に感じた。

8月12日「浅草鬼嫁日記 五 あやかし夫婦は眷属たちに愛を歌う。」 友麻碧著 富士見L文庫

 おなじみ友麻碧が贈る鬼嫁シリーズ第五弾。
 今回、組長こと浅草地下街あやかし労働組合の組合長・灰島大和の派手なバトルから始まり、あやかしを狩る狩人から、浅草のあやかしを守るため、鬼嫁夫婦が欠けてしまった結界回復に勤しむことになる(強制労働ともいうが)。
 浅草のあやかしを守る結界は、浅草の七福神によって守られているのだが、この一角を成す石浜神社の寿老神が現世に介入できなくなってしまったためだ。
 バレンタインデーを契機にしてその前後から始まるおなじみのトラブルだが、今回は結界回復を目的にしているためか、夫婦愛というところが少し共同作業として薄いように感じた。
 中には小人化してしまった真紀を助けるために馨が奮闘する一夜もあるが、虎と熊童子のエピソードや、水連と茨木童子とのエピソードにページを多めに割いてしまったためかな、とも思われる。
 あやかし夫婦の愛を語る回、というよりもタイトルにあるように眷属たちに主人たちから贈る愛を描いた回だった。
 舞台は茨木童子の最後の眷属、木羅々(きらら)が意外な姿で水連と邂逅を果たしたところで次回に続く。
 神様たちの普段は見れない姿も見ることができ、ほのぼのとした回だった。息抜きも兼ねて後半に続く良い道標なっていると思った。

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