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はんぶん、しゃかい

 「新人」も半分が過ぎようとしている。その事実に1番驚いているのは世の新人たち自身だ。自分の身体を見回してもふわふわの産毛しか見当らない。口の中にあるのは今にも折れそうな乳歯だけ。僕自身と周りの1年目たちがそう言っている、信じてほしい。ソースとしては弱い。
 
 「絶対に社会になんか出たくない、アカデミアか公務員として穏やかに生きるんだ」そう思っていた大学1年の頃。転勤を繰り返し、結局家を建ててしまったがために単身赴任を繰り返す父の姿を見ていた自分は、「民間=大変」「営業=大変」のイメージをこびりつかせたまま大学生になった。それまで募らせていた「先生」への憧れだけを胸に、「教員免許が取得できて、自分の興味を追求できるところ」という条件で進学先を決めた。あとついでに家からも出たかった。狭いコミュニティの中で自分と周りを比べ続け、卑屈になって何も結果を残せず終わる自分と決別したかった。純粋に自分が憧れる仕事に就くための資格を得て、のんびりと学生を終えた後の生涯を過していこう。4年前のビジョンはそんなものだった。
 なにを思ったかその2年後、あれやこれやと民間企業にエントリーシートを出し、足繁く面接に通い、院試にも教採にも出願せず、結局自分は社会の荒波に飛び出すことになっていた。しかも営業職・全国転勤あり。配属先は頑張ったら実家からも通えそうな支社。大学入学当初に思い描いていた方向とは真逆に進んでいく状況。1番の心変わりのきっかけは何だったのだろう。今でも疑問に思うときがある。新卒カード、「#教師のバトン」、文系アカデミアの現状、ネガティブな理由を挙げればキリはない。でも1番は、「何も知らないまま社会に出て、取り返しが付かなくなるのはまずい」という、恐怖にも似た感情が自分を動かしていたように思う。とはいえ内定先が決まった後もどこか実感が湧かず、配属先が決まっても「なんとか20代の内はやっていけるかもしれん」程度の感慨しかなく、そんな自分をハタから見ているような、どこか他人事のような状態のまま、4月1日を迎えた。

 「研修」という名の巣での餌やり期間はひと月で終わり、ライオンよろしく実地に送り込まれた5月。なんのために会社に行って外に出ているのか分からずさまよった6月。ひとりで任せられる仕事が徐々に増え、会社の中という狭い世界のことを気にし始めていった7月。夏休み全日にガチガチになりながら部長と外回りに行った8月。そして本格的な繁忙期に入ってすぐ風邪で休みをかました9月から現在にかけて。
 月並みな言葉だが、あっという間だった。あと半年で「2年目」と言われることに心から納得していない。「まずは1年なんとかやってみるか」程度の思いと入社動機として滔々と述べた強い意志のバランスを上手く取れないままで飛び込んだ身としては、うまく自分の中の優先順位を付けられないまま目の前の仕事にひたすら取り組んでいく日々が始まった。いまでも月に一度位のペースで、「自分」を見失い息ができなくなる。やらなきゃいけないことがたまっているのに何からすれば良いか分からない、それをしてなにになるのか、この自分の時間の使い方は果たして10年後どう自分に返ってくるのか……ここまで思考が進めば良い方だ。多かれ少なかれ他の人と同様、悩める1年目を謳歌しているといってもいい。

 総じて体感としては、「想像以上に大変だし、想像以上に自分はなにもできないけれど、思っていたより全てが変わってしまうわけではない」といったところ。
 生活リズムは大きく変わった。人間頑張れば毎日6時には起きられる。23時には自然と眠くなる。早ければ7時から、遅ければ21時まで仕事に拘束される半年を過ごし、これまでの人生でろくに身体を鍛えていないことを真っ先に後悔した。ナチュラル体育会系が多すぎる。また短時間で完結できる趣味を持っていないせいか、大学までと比べて根本的な疲労を回復する手段が激減した。特に長い睡眠とココロの土を肥やしてくれるコンテンツに触れる時間を削られてしまったことが、特に夏明けに大きく響いた。ひたすらアニメを一気見した週末、寝倒した週末、インスタに載せられるような時間の使い方ではなくても、それまで自分が頼ってきたものに思い切り身体を預けられる時間はどこかで取らないとダメになってしまう、と身を以て感じた瞬間だった。
 よくないのは、「狭いコミュニティでの比較」を無意識に自分自身でやってしまっている点だ。高校の時と心情がまるっきり変わっていない。本部から常日頃送られてくる数字の進捗。支社で常に共有される現状の動き。同じチームで働く同期の動き、ついつい見てしまうスケジュール欄。二言目には出てくる「我々は営業ですので」のひとこと。新卒採用のマーケティングに自分はまんまと引っかかったな、と思った瞬間は数知れない。戦っている場所が違う。得意な分野が違う。上司に言われた言葉に納得したふりをする。気づけばまたどんな動きをしているかのぞき込む。きっとこれからどんどん増えてくる。4月5月の時点で何故か飲み会が頻発していた段階で察するべきだった、良くも悪くも昔の風土が残る社の空気。
 そしてそんななかで、学んできたことが活かせている、とはお世辞にも言えない。ふとした瞬間の言葉選びや人に対する見方、文書を作成するときなどかすかに役立っているときもあるが、学校で学ぶわけがないことばかりが職場では飛び交う。当然だ。学校は社会の縮図であっても、社会は学校の延長ではない。いくら学校を拡げていっても、それは社会にはどうしてもなり得ない。社会は脇道にはみ出した人間を守ってくれるセーフティーネットが余りにも薄くて透明だ。無いとは言わないけれど。そして自分はあくまで営利企業の一員。ボランティアでもなければ、公的な機関でもない。結局「もうけなければいけない」のだ。少子高齢化資本主義社会に生きている限り避けられないお金と時間のやりとり。
 救われているとすれば、共に働く人達に本当に恵まれている点だ。ミスを繰り返しても、分からない点を相談したいときも、本当に親身になってくれる。そんな人達のためなら、週明けも頑張って会社に行こうと思える。「こんなことをなんとかしたい」と話してくれる取引先の人がいる。そんな人達のためなら、時間と労力を割いてでも、思いを形にしたものを届けたいと思う。「自分の手に届く範囲の人に幸せだと思って欲しい」という原理原則は自分の中でブレていない、それを心から幸運だと思う。それを実現する手段が増えたことが、社会人になって良かったと思う数少ない瞬間かも知れない。ぼくのからだなんか百ぺん焼いてもかまわない。

 あと半年経てば社会人として一通りの流れを経験することになる、らしい。毎日揉まれている激流の中で、少しずつ、でも確実に、「自分」そのもの、原理原則はすり減っていってしまう。だからこそ、それを補えるような時間を大切にしたい。大切な人と会う時。コンテンツに触れるとき。食事や睡眠をきちんと取るとき。目の前を流れるモノばかりをつかみ取ろうとすれば、手の隅っこにあった「自分」はどこかに転げ落ちてしまうだろう。そして人間の両手には限りというものがある。水かきがついている大仏様の手だって無限ではない。
 久しぶりに会った友達と、ふと昔の話をするときの目の輝き。面白いものに出会ったときの胸の高鳴り。やりたいこと、できることを見つけたとき、稲妻のように痺れる脳。疲れたとき素直に「疲れた」と自分に言い聞かせる勇気。そっと身体を包んでくれるブランケット。

そんなものを心に抱えて、明日も靴音を鳴らしていこう。

p.s. 久しぶりに書いた。ものの1時間で3000字を超えた。リハビリがてらたまにはnoteにも顔を出せたら……気儘に打つ文章がこんなに楽しいとは。

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