これが生きる原動力になるのか
ニューヨークに留学すると決めてからはとにかく働いて、働いて、働いた。
顔面崩壊で半年間引きこもってたおかげで、生きる原動力というか、溜め込んでいたパワーみたいなものを放出したかったんだと思う。この寂しさにも憎悪にも似たパワーは、ニューヨークに引っ越してからもずっと切れることのない行動力に変換し続けた。
これは良くも悪くも今後の自分の生き方に大きく影響していく_________。
留学費用を貯めるために、平日は朝から派遣会社、アフター5はダンスのインストラクター、土日はアロマセラピーのお店でマッサージの仕事をした。
生きる目標が決まってからは、稼ぐため休む暇なんてなかった。自分の顔も少しずつだけど元に戻ってきた。
******************************************
事故に遭うまでは、歌とダンスが自分の生きがいだった。親が言うには3歳の時から歌手になりたいと言っていたそうだ。5歳でクラシックバレエを始めて中1でジャズダンスの魅力に釘付けになってジャンルを変えた。歌は12歳で劇団に入って毎週日曜日にボーカルレッスンを受けて、ミュージカルに出たりした。
そして高校生の時、歌のオーディションに合格してレコード会社2社からオファーを受けた。
どちらと契約するか迷っていた時、当時お世話になっていた劇団員たちの薦めで1社を決めて契約した。結局これが大失敗だった。
初めは怖いくらいとんとん拍子に話が進み、デビュー曲を加えたアルバムをレコーディングして活動開始!となったけど、その矢先、レコード会社が狙ったアイドル路線の売り出し方が自分とは合わず、プロデューサーとも結局折り合いがつかないまま悶々と過ごしていた…。そしてこの事故に遭った。
今考えると、私はあの時、分からないことだらけで頭がいっぱいだったんだと思う。自分が納得できないまま勝手に進んでいく音楽業界に嫌気がさしていたのだと思う。このままじゃ大好きな音楽がどんどん嫌いになってしまう…そんな状況がたまらなく悔しくて、でも自分の力じゃ大人たちに太刀打ちできなくて、でも歌手になる自分の夢はもうすぐ目の前だという状況に板挟みになり耐えられなくなってしまった。
事故を起こして、全てがリセットされたんだ。
そう、ここから、一からやり直す。