「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の歌劇的特性についての考察 {歌劇}体験とは何か?
12-B.
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1.はじめに
『少女☆歌劇 レヴュースタァライト(以下スタァライト)』はミュージカル×アニメーションで紡ぐ、二層展開が主な特徴である。“舞台”そのものをテーマにしていることが、より作品を際立ったものにしている。
特に2021年6月4日に公開された『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト(以下、劇場版スタァライト)』は{歌劇}体験という謳い文句とともに世に出され、劇場での“体験”を求め、公開から10ヶ月以上経った今もなお多くの人が劇場へ通っている。
そんな特異なこの作品について、本稿ではこの作品の歌劇的である点を手掛かりに、{歌劇}体験というものの正体について探っていきたい。
そもそも、アニメーションであるこの作品に対して“歌劇”という言葉を使うのは少々奇妙ではある。だが、実際に鑑賞をすると確かに今{歌劇}体験をしたと思わされる何かがあるのを感じることが出来る。この感覚の正体は何なのか? そして筆者自身、舞台や音楽に携わるものとしてこの体験について深く考え、自身の表現活動に活かしたいという思いが、本稿を書きはじめた動機である。
まず、歌劇という言葉の定義とその成り立ちに対して、この作品との共通点、相違点を探っていく。そして各劇伴やシーン、レヴュー曲の中にある歌劇的要素を、既存歌劇作品との比較等も行いながら考察する。
2.「歌劇」とスタァライト
“歌劇”とは、西洋クラシック音楽の中で発展したオペラの訳語である。オペラは、広義では歌唱を中心とした劇を表し、特にセリフ運びも含めて全編を歌唱で行う演劇を指す。
前提として、アニメ作品における劇伴は、元を辿ればクラシック作曲家によるオペラや劇付随音楽からの影響があるため、アニメの劇伴は基本的にある程度オペラと共通する要素があると言える。特にスタァライトは、劇伴の他に歌唱を伴うシーンが多く、通常の作品よりオペラ、つまり歌劇に近い。
一方、近年では作中でキャラクターが歌う作品が増えている。キャストやスタッフ等共通点も多い『BanG Dream!』『ラブライブ!』等のシリーズも、スタァライトと同じように劇場版が公開され、その挿入歌でキャラクターによる歌唱が披露される。これらは劇場版スタァライトと同様に{歌劇}体験であるといえるだろうか?
そう思える一面もあるにはあるが、これらの作品を{歌劇}体験として捉えるには、言葉の持つイメージと実際の内容に隔たりがあると考える。
そこで、スタァライトとオペラに共通する要素をもう少し深堀りしていくと、次のような要素が挙げられる。
・オーケストラによる劇伴や挿入歌
アニメ作品における劇伴は、ジャンルこそ限定しないものの、通常は何かしらのリズム楽器(ドラムやベース、ギター)等を伴う、広い分け方でいうポップスに、クラシックを混合したスタイルであることが多い。一方スタァライトではレヴュー曲以外の劇伴ではドラムやベース、ギター等のリズム楽器は殆ど使用されない。レヴュー曲においては使用されるが、劇伴と同規模あるいはそれ以上の編成のオーケストラ楽器も用いられている。クラシック作品やミュージカル作品を思わせるサウンドやメロディ等が使われていることもあり、音響的感覚でも、オペラに近い体験をしていると考えられる。
特に劇場版スタァライトでは、一部のレヴュー曲においてTVシリーズよりオーケストラの人数が増やされたことで、よりスケールの大きい音楽となった(*1)。特にアニメの劇伴においてホルンが六本いるのは異例であり、これは古典的オペラの奏者数(四本)を上回っている。R.シュトラウスのオペラ作品では『サロメ(六本)』『影のない女(八本)』等ホルンを四本以上使うことがしばしばある。
*1 真矢の参加するレヴュー曲であり、どちらも藤澤慶昌さんが作曲した『誇りと驕り』と『美しき人 或いは其れは』を比較する。前者はベース、ドラム、弦楽器、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、トランペット×3、トロンボーン×3、チューバ、ホルン× 4。後者は、ベース、ドラム、ギター、弦楽器、フルート×2、オーボエ×2、クラリネット×2、ファゴット×2、トランペット×3、トロンボーン×3、チューバ、ホルン×6となっており、特に木管楽器とホルンが分厚くなっている。それぞれ『「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」劇中歌アルバムVol.1「ラレヴュー ド マチネ」』(ポニーキャニオン、2018)、『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト 劇中歌アルバムVol.1』(ポニーキャニオン、2021)歌詞カードを参照。
・ギリシャ悲劇との関連性
オペラの誕生の背景には、ギリシャ悲劇の存在が大いに関わった。特に初期のオペラはギリシャ悲劇同様ギリシャ神話を題材にした作品が多い上に、ギリシャ悲劇という舞台芸術の影響を強く受けている。
例えば、ギリシャ悲劇の劇場は、舞台の前に半円形のせり出したスペースがあって、その周りを階段状の観客席が囲んでいた。この半円形のスペースはオルケーストラ(ορχηστρα)と呼ばれ、当時はそこで合唱隊等が舞を踊ったりしていたという。それがやがて楽器による伴奏へと発展し、オペラで伴奏する器楽奏者を示す言葉として定着していった。これが現在でいう「オーケストラ」に繋がっている。なお、このギリシャ悲劇における合唱隊は「コロス」と呼ばれ、こちらは「コーラス」の語源となっている。
一方スタァライトにおけるレヴューは、特にTVシリーズにおいては『戯曲 スタァライト』(*2)が中心に据えられていた。『戯曲 スタァライト』のワンシーンという体裁でレヴューが繰り広げられた(*3)。
このレヴューの舞台は、円形であり、それを見下ろすような形でキリンの居る観客席が設けられている。これはギリシャ悲劇の劇場を彷彿とさせる。また、舞台版やスタリラでの「コロス」と名づけられた敵役、感情を司る女神の存在等、『戯曲 スタァライト』として見ても、二層展開式のコンテンツ・スタァライトとして見てもギリシャ悲劇からの影響が大きいことがうかがえる。
一方劇場版スタァライトのレヴューでは、『戯曲 スタァライト』からの脱却を図り、任侠やオリンピック等自分達の表現手法を確立する。そして、役者としての表現の根幹に『戯曲 スタァライト』を持つ華恋とひかりも、最後のセリフを紡ぎ『レヴュー・スタァライト』を演じきることで、次の舞台を探しにいく。
これはオペラの発展とも共通する部分がある。当初はギリシャ悲劇の影響を強く受けていたオペラは、時代が進むにつれ、喜劇が生まれたり登場人物の属性に変化があったりと、現在に至るまでさまざまな表現手法が追求されてきた。このように、華恋達が『レヴュー・スタァライト』という舞台を作り上げていった行為が、オペラという芸術の成立に近い形になっていることも興味深い。
以上で述べたように、スタァライトという作品は、オペラがギリシャ悲劇の影響を受けながら発展してきた歴史と共通する部分が多々存在する。
*2 本稿では詳細を控えるが、『戯曲 スタァライト』とギリシャ神話の関連性は随所で考察されていて、多くの影響があると思われる。
*3 2018年3月のアニセミにおける古川知宏監督の発言など
・“歌”とそれ以外の比率について
スタァライトは、歌唱を伴うアニメコンテンツの中でも、一人ひとりの歌う時間が長いことが特徴である。例えばアイドルアニメ等では、挿入歌はその数に関わらず全員で歌うことがほとんどであり、ソロ歌唱は曲の一部であることが多い。一方、スタァライトではデュエットが基本であるため、ソロで歌っている時間が必然的に長くなる。
劇場版スタァライトにおいては、その特徴が際立っている。全編1:59:59のうち、レヴュー曲が占める時間だけでも50:34あるため、約半分がレヴューシーンとして描かれている。もちろんこの間ずっと歌っているわけではないが、“レヴュー”の最中として描かれる部分はいわば板についたシーンとして認識され、日常シーンとは一線を画している。
それ以外のシーンにおいても、会話の一つひとつがレトリックに作られていたり、登場人物が一人のキャラというより役者として演じているように見える時間が極端に長いのが、この作品の特徴の一つである。
例えばレヴュー前の口上部分は、韻文的に音数を揃えることで印象が強く残るセリフになっている。歌唱こそ伴っていないが、短歌や俳句のように広義の意味でうた(詠)われている部分だと考えられる。
一方オペラを見てみると、その作品中全て(殆ど)の箇所が、音楽や歌唱によって進行する。セリフに当たる部分も歌唱によって進行するため、最初から最後まで音楽の流れが途切れることはない。セリフに当たる部分を歌唱にする際にはセリフの韻律が重視される。言葉の韻律が良いことは、音楽的にも美しくあるために欠かせないからだ。劇場版スタァライトとオペラは、全編を通して韻律で整えられたセリフが多く、音楽により彩られていない“素”の部分が極端に少ないことで、作品全体をみた時の体感が近いものになっている。
このように、オペラとスタァライトにはいくつもの共通点があり、劇場版スタァライトを鑑賞することでオペラ(歌劇)の鑑賞とかなり近い感覚を体験出来るものであると考えられる。
3. 劇伴、及び劇中歌レヴューに見られるオペラ的要素
次に、劇場版スタァライトの音楽そのものにおけるオペラ的要素を探っていく。
ここで、まず“モティーフ”について説明する。辞書を引くと「それ自体で音楽的意味をもちうる最小単位」と書かれている(*4)。つまり、音楽における単語のようなものだ。例えば、輪唱が楽しい『かえるのうた』では「ド-レ-ミ-ファ-ミ-レ-ド」というモティーフが少しずつ形を変えて登場する。
(記憶が遠いので定かではないが)ダースベイダーが登場する際に必ず例のメロディが流れるように、ある人物や状況に紐づいて用いられるモティーフを“ライトモティーフ”と呼ぶ。このライトモティーフに関しては、劇場版スタァライトでもいくつか使われている。一般的に使われるキャラクターごとのライトモティーフではなく、TVシリーズとも共通する、もう少し俯瞰的なものが用いられる。代表的なものとしては次の二つが挙げられる(*5)。なお、ライトモティーフの名称は筆者が便宜的に使っているものを提示する。
・メインモティーフ
シ-ド-ミ-ソ
・再生産モティーフ
ラ-#ド-ミ-ファ-ミ-#ド
この二つは、古川監督からのTVシリーズにおける劇伴のオーダーの中で、「ミニマルミュージックのようなイメージで」という要望があったことから作られたそうである。ミニマルミュージックは細かいモティーフを何度も繰り返して構成される音楽であるため、息の長い歌い上げるようなモティーフというよりは、どこか無機質に感じられるモティーフになっている。
その他、音楽ではないがセリフ上においても「私たちはもう舞台の上」「列車は必ず次の駅へ」等、同じ言葉を“モティーフ”として随所に入れ込むことで、引き締まった構成になっていると言える。
次に、各曲に関して述べていく。
*4 『改訂新版 世界大百科事典』,平凡社,2014年
*5 メインモティーフはTVシリーズ劇伴の『星のおどり場』序盤などで、再生産モティーフは、同じく『再生産』の序盤などで聴くことができる。
・color temperature
本作品において使われる最初の劇伴が、この曲である。
鑑賞を始めると、最初にトマトが弾ける音が聴こえた後、金管楽器中心のfp(フォルテピアノ)(*6)のロングトーンからこの楽曲がスタートする。この始まり方にはオペラとの共通点が見られる。
典型的なオペラには、多くの場合序曲という独立した楽曲がある。一般的に、序曲はオーケストラの演奏のみで作曲され、それが終わると幕があがる。しかし、序奏(イントロ)の後すぐに本編に流れ込んで幕をあけてしまうオペラも多い。劇場版スタァライトの始まり方は、この後者のオペラを彷彿とさせる。
とりわけ本作品に近いものとしてG.プッチーニの作品が挙げられる。例えば『トゥーランドット』では、金管楽器を中心にしたショッキングな短い序奏の後、すぐに皇帝が「北京の民よ!」と歌い出す。劇場版スタァライトの金管楽器による和音での開幕は、同じくG.プッチーニの『トスカ』とも共通している。『color temperature』を作曲した加藤達也氏は、好きな作品としてG.プッチーニのオペラを挙げていたため(*7)、影響を受けている可能性が高い。
またこの楽曲の特徴として、印象的な不協和音で始まり、そこから展開をひろげていることが挙げられる。同じような不協和音を冒頭で用いている楽曲としては、L.v.ベートーヴェンの『交響曲 第九番 ニ短調作品125』第四楽章冒頭やJ.F.ルベルのバレエ音楽『四大元素』第一曲:カオス<混沌>等が挙げられる。
*6 強くアタックしたあとに、すぐに弱くする音楽の表現
*7 加藤達也氏の質問箱より。https://peing.net/ja/q/1af4da7f-f12e-4943-a954-4bc16f126385
・蝶の舞う庭
序盤、聖翔音楽学園での進路相談シーンの劇伴。この楽曲は緻密なフィルムスコアリングがなされていて、キャラクターごとの曲調変化はもちろん、クロディーヌがバレエを踊るシーンでワルツになったり、香子の日本舞踊指導シーンで和風のメロディが流れたりする等、情景に合わせてさまざまに変化する。
序盤、早めの三拍子を基調としつつ変化していく様は、G.プッチーニの『ラ・ボエーム』第一幕の冒頭を彷彿とさせる。『蝶の舞う庭』のように頻繁にテンポ、曲調を変化させる手法はモーツァルト等古典派のオペラで見られるものではなく、比較的近代になって発展した表現である。
・キラキラ! キラミラ/約束タワー ~ echo ~
この二曲に関してはいずれも劇中歌アルバムに収録されているが、どちらかというと劇伴としてではなく、物語の中でゲーム機や決起集会のスピーカーから実際に鳴っている形で用いられる劇伴である。
オペラにおいても似たような効果が使われることがあり、例えばG.ヴェルディの『椿姫』第二景では、隣の部屋から舞踏会のワルツが聴こえるという状況を表すために、舞台裏に別で用意した小さなオーケストラ(バンダと呼ばれる)がワルツを演奏するシーンがある。
・wi(l)d-screen baroque
TVシリーズのレヴュー曲はデュエットだったが、ここで初めてソロでのレヴュー曲が披露された。他のアニメ作品においても挿入歌は全員、またはユニット単位で歌うことが多い。ここまで“一人”を全面に出し、かつこれだけの大編成オーケストラを従えて歌った例はないのではないか?
劇場でこの曲を初めて聴いた瞬間、筆者は「アニメキャラが、ついにスクリーンでアリアを歌った」という感想を持ち、衝撃を受けた。
アリアとはオペラにおいて主要人物が独唱する部分で、合唱や重唱以上にそのオペラの最大の見せ場になることが多い。個人的には、アニメにおけるソロの歌唱もアリア並に重要な位置付け、およびそれに見合う楽曲であって欲しいといつも願っているが、それをこれほど体現した作品が誕生したことに、喜びを隠せない。
・わがままハイウェイ
この曲のオペラ的要素としては、楽曲構成が挙げられる。前述したアリアには典型的な音楽形式があり、遅くて叙情的な「カンタービレ」と、速くて輝かしい「カヴァレッタ」の二つの異なる部分から成ることが多い。そして、多くの場合「カンタービレ」部分では独唱するメロディに先立って、オーケストラでそのメロディが奏でられ、お膳立てがされた上で独唱される手法が効果的に用いられる。また、この構成は二重唱においてもベースとなっている。
一方『わがままハイウェイ』の構成を見てみると、「いつかきっと〜」の歌い出しのメロディが、歌唱に先立ってトランペットによって奏される(口上シーン)。その後デュエットによって叙情的にメロディが歌われ、間にはセクシー本堂のスロースウィング部分がおかれる。後半になるとテンポが早くなるのは、アリアのカヴァレッタ部分ということができる。ちなみに、アリアのカヴァレッタは幕の最後に使われることが多く、そういった点でもリンクしている。
そういう意味では、カヴァレッタ後(デコトラ落下以降)、最初のゆっくりなテンポに戻る箇所の存在意義は?という疑問が浮かぶ。確かに舞台として見れば早い部分のままで曲を閉じてもよかったのかもしれない。しかし、デコトラが落ちた時点で勝負は実質決していて、それ以降の部分は、観客に見せるものではなく二人の中で真の意味でケリをつける時間として、ゆっくりなテンポに戻る意義があるのではないか。それを黙って見守る時間に添えられる音楽として効果的に響いていると筆者は考える。
・MEDAL SUZDAL PANIC ◎〇●
「キラキラ!キラミラ/約束タワー ~echo~」の項でも触れたが、映画館とオペラ劇場で共通して行える演奏効果として、正面以外から聴こえる音というのがある。その点、「そんなふうで大丈夫かなあ」以降のサラウンド効果は、劇場ならではの音響として非常に効果的に響いている。
また、アカペラ独唱というのも歌い手の見せ場の一つである。オペラのアリアでは、ほぼ無伴奏の技巧部分(カデンツァ)があり、カデンツァによって曲が締め括られる。オペラやクラシック作品における、無伴奏部分の空気感をアニメファンに味わわせた点でも、本作品は評価に値すると考える。
・ペン:力:刀
この曲の特徴として、歌と歌の間の長い弱奏部分がある。弦楽器とピアノの少ない人数で空虚な和音や不協和音を伸ばす中、二人のセリフが展開される様は、G.プッチーニ『蝶々夫人』の後半を想起させる。蝶々夫人が、夫は既に自分を愛しておらず別の妻を持っていることを知ってからの絶望的なシーンは、低音の歌唱の裏で弦や木管の弱いロングトーンしか鳴っておらず、聴衆に強い絶望感を与える。
その後、「まだまだ此処から」に類似したメロディがピアノによって先だって奏でられ、純那が「他人の言葉じゃだめ!」というセリフとともに立ち上がる。つまり、このピアノのメロディが反撃の予感を演出しているのだ。この旋律は、
レ-ファ-ミ-ソ-ファ-ラ-ソ-シ
という音で作られている(図1)。上がっては下がり、上がっては下がり、と根気強く上昇を続ける、とても純那らしい旋律となっている。さらに、「他人の言葉じゃだめ!」というセリフの後には「伊達に何度も見上げてないわ」のメロディが七拍子で奏でられる。モティーフによる展開のオンパレードである。
なお、純那がななに立ち向かっていく場面で見られる、違う歌詞を二人で同時に歌う方法も、オペラの重唱で頻繁に使われる演出の一つである。
・美しき人 或いは其れは
この曲は既存クラシック作品のパロディと、モティーフ展開の美しさが特徴である。
まず、メインで使われるモティーフとしては、後半で歌われる「まやかしの〜」の旋律が挙げられる。この旋律は音楽表現において“憧れ”を象徴するとされる六度《上行|じょうこう》(音階上で六つ上の音に向かうこと)から始まり、旋律の形をみると、M(真矢のイニシャル?)の形をしている(図2)。
このモティーフが歌唱パートとして出てくるのは曲の後半になるが、その前に何度もオーケストラで断片的に奏される。こうして聴き手の中に無意識にモティーフが蓄積されることで、歌として登場した際とても効果的に聴くことが出来る。表に使われている箇所を示す。
また『美しき人 或いは其れは』に影響を与えた、もしくはパロディとして登場していると思われる既存クラシック作品としては、まず『展覧会の絵』が挙げられる。これはM. ムソルグスキーが作曲した組曲で、いくつかの楽曲によって構成された作品集のようなものだ。この『展覧会の絵』のうち、次の楽曲が『美しき人 或いは其れは』でオマージュされている。
・「プロムナード」・・・2:38,4:47辺りに使われている旋律
・「小人」・・・7:04の低弦の動き等
1:08からの弦による三連符の伴奏は、下記の曲のようにロマン派クラシック音楽で頻繁に使われる。
・F.P.シューベルト:魔王(*8)
・R.ワーグナー:楽劇『ローエングリン』第3幕への前奏曲
・R.シュトラウス:交響詩『ドン・ファン』
等
その他、全音音階的な動きや増和音、バスクラリネットによる印象的なモチーフは、P.デュカスの交響詩『魔法使いの弟子』等に代表されるフランス近代音楽の影響が感じられる。
*8 「魔王」で三連符を奏でているのはピアノだが、三連符の動きとして真っ先に浮かぶ楽曲なので挙げている。
・スーパー スタァ スペクタクル
この曲はクラシック音楽はもちろん、古今東西様々な音楽からの影響が感じられ、それを一つの曲として束ねているのが特徴である。
まず、「お願いよ 華恋」から始まるひかりのソロは、オペラやミュージカルでも頻繁に用いられる、楽曲のメイン部分に入る前の語りのような部分と言える。元々「華恋」の部分にも音程が定められていたようだが、ディレクションの段階でセリフ調の詠い方に変更された。こうした変更はオペラにおいても頻繁に行われ、楽譜で明確に指定する場合は音符ではなくバツ(×)を用いて記譜される。
続く「ホシクバ ホシツメ」以降は、TV シリーズの『再生産』と同じくレッドツェッペリンの『移民の歌』にインスパイアされていると思われる。本楽曲の特徴としては、そこにブルガリアン・ヴォイス風(*9)のコーラスが加えられている。劇場版スタァライトのレヴュー曲では、コーラスが表に出てくることはほとんどなかった。だが、この曲においてはコーラスが重要な役目をはたしている。
華恋が幼い自分からトマトを受け取る前のシーンで「ホシクバ ホシツメ」と歌うコーラスは、どこか客観的な立場を感じさせる。一方で、嵐を抜けたあとの「ホシクバ ホシツメ」では華恋もコーラスに加わっており、主役の意志に同調するようなニュアンスがみられる。単に一つのパートとして楽曲を構成するだけではなく、物語の場面を演出するような働きをしており、その役割はギリシャ悲劇で様々な役目を担っていたと思われるコロスを連想させる。これは、オペラにおける合唱の立ち位置にも似ている。
「燃やせ燃やせ」から始まる一連のフレーズは、増和音や複雑なテンション和音が強奏されるなかで、華恋がダイナミックに主旋律を歌い上げる。ドラマティックな場面でこうした複雑な和音の強奏を伴うのは、G.プッチーニ等近代以降のオペラの特徴と共通している。声優がキャラとして歌唱する音楽において、これほどまでに攻めた和音が奏でられたのは、この曲の他に聴いたことがない。
続いて「二人の スタァライト辿れば」からは、金管楽器のメジャー和音が今までの不穏な曲調を一気に吹き飛ばし、晴れやかな雰囲気を演出する。このパートは『ジーザス・クライスト・スーパースター』終曲のオマージュと見られるが、ブルージーな曲調に神聖なイメージを掛け合わせた音楽性が、やりすぎない程度に絶妙なバランス感で踏襲されている。二重唱における“掛け合い”でも、一人と一人がバラバラに歌う部分と二人が重なって歌う部分のバランスが、とにかく絶妙である。
4:31の一瞬だけオケが全て休みになり、コーラスのシンプルな三和音が響く箇所も、特筆すべき美しさである。
終結部においては、スタァライトの劇伴最初のオーダーであったミニマルミュージックの要素が全面的に出され、「シ-ド-ミ-ソ」のモティーフがまるで細胞のように様々な形で多層的に奏でられる。通常こうしたエンターテイメント作品ではあまり挑戦的な音響は用いられない。しかし他ではあまり聴くことのない、モティーフを多層的に重ねた音響は、この作品全体の空気や、あまりに特別な「最後のセリフ」シーンの状況に適合していると考える。
そして「星は何度 弾けるだろう」からはひかりと華恋がコーラスパートと重なるように歌っており、ソロとしての歌唱は終わりとなる。主役級の歌手が合唱隊と全く同じパートを歌うという状況はオペラでもよくあり、その時だけは一つの役というより、集団の中の一人として機能する。アイドル楽曲等でも、一曲の中で「自分のソロパートを終えてその後は全体と一緒に歌うのみ」という状況はよくあると思うが、この状況のことを筆者は「ソロのモブ化」と呼んでいる。華恋とひかりは、『レヴュー・スタァライト』を演じきったことでソロ(主役)としての役割を終え、モブ(一舞台少女)として「いつか いつか 届きますように 空へ」と歌うのである。
以上のように、この劇場版スタァライトは全編を通して、オペラ(特に近代オペラ)で用いられる手法が様々なところに使用されており、聴き手にオペラ鑑賞と近い感覚、すなわち{歌劇}体験をさせていると考えられる。
*9 ブルガリア地方の伝統音楽。地声でビブラートを掛けないという特徴があるため、一般的にイメージされる「コーラス」とは雰囲気が異なる。2021年8月に行われたスタッフトークショーで、制作陣から『スーパー スタァ スペクタクル』を作曲する際に影響を受けたとの発言があった。
4.おわりに
本稿では、スタァライトにおける歌劇的要素を探ってきた。歌劇(=オペラ)と必ずしも完全に一致しているわけではないが、多くのオペラ的要素により{歌劇}体験をさせられていることがわかった。一部、思いが先行し、考察というより感想のようになってしまった部分もあるが、本誌の性質上ご容赦いただきたい。
執筆するにあたり、「歌う」という行為はどういうものなのかというのを改めて調べてみたのだが、
との記述が、特に印象に残った。
これを読んだ時、劇場版スタァライトは語る作品ではなく、歌っていたのだ、と感じた。そういう意味でも、この作品は{歌劇}体験と言えるのではないかと思う。
本作品はアニメ界に影響を与える作品であると思う。同時に、オペラや舞台等においても、作曲の手法や上演の在り方等を考えるきっかけになってくれることを密かに期待している。いつかこのスタァライトというコンテンツから、または影響を受けた作家による新たな{歌劇}体験が出来る日を願って、本稿の結びとする。
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