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「舞台少女の死」の定義に関する生物学的アプローチ

tete
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序論

 『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』は、2021年6月4日に公開されたアニメーション映画である。テレビアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の続編であり、スタァライトを演じ切った99期生のその後が描かれている。

 本作品では、「舞台少女の死」の表現が頻繁に現れる。本作品においての「死」は場面によって様々な意味を持つ。キラめきを失い舞台に立てなくなることや、舞台少女が成長を止めたこと、再生産のためのプロセスとしての擬似的な死などを示しており、一見、本作品独特の死生観がある様に思える。この論文では、舞台少女にとっての死とは何か、なぜ死を経て再生産する必要があるのか、舞台少女の死生観について、生物学的な死と比較して考察を試みる。

本論

 まず、我々が一般に認識している死とは、生物において代謝などの生命現象が不可逆的に停止することをいう(*1)。高等生物においては細胞、組織、個体の生が区別され、個体は死んでも細胞や組織が生きることもある。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』における「舞台少女の死」は、主にキラめき(情熱)を失い舞台に立てなくなること、舞台少女として進むことを止めてしまうことなどのネガティブな状態を表す。一方で、ある時は自分を再生産するために死の様な過程を踏む特殊な意味を持つ場合もある。
 これらの「舞台少女の死」の解釈は、生物学的な死に近いと考えられる。テレビアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』第11話の西條クロディーヌのセリフに

“舞台は私たちの心臓、歌は鼓動、情熱は血。
私たちは舞台に生かされている。”

 とあるように、舞台少女の情熱は血に例えられる。実際の生物も血を失えば大抵死に至る。また同様に、心臓に当たる舞台や鼓動に当たる歌も、舞台少女が生きるためには欠かせないものであり、これらの喪失はすなわち死を意味すると言える。例えば、第100回聖翔祭のスタァライトを演じ切った愛城華恋が進むべき次の舞台を見失った時、心臓であり舞台として形容されているトマトが破裂した。この劇場版冒頭のシーンは、舞台少女の死を表していると言える。

 一方で舞台少女として成長し続けることは、生物における代謝に当たるのではないかと考えられる。代謝とは、生物が食事などによって体外から物質を摂取して栄養や細胞を合成したり、古くなった組織や体内の毒素を分解したりして、体の中身を更新し続け、常に新しい状態に維持するはたらきのことを指す。本作品では、食物の摂取(主にトマト)の表現が舞台少女の次の舞台のための補給の意味合いで用いられているように見える。例えば、ワイルドスクリーンバロックが始まる前にトマトを食べるシーンや幼少期愛城が家族で舞台の打ち上げをするシーンなどが挙げられる。また、テレビアニメでは毎回食事のシーンがある。舞台少女が次の舞台へ進む意識を持たなくなること、すなわち代謝をしなくなることも、死を意味していると考えられる。

 最後の、舞台少女が再生産をするための過程という意味での死については、生命の進化の観点から考察する必要がある。

 どうして死という概念は生まれたのか。有性生殖が始まったことで、生物の死という概念が生まれたと言われている(*2)。生殖方法は、無性生殖と有性生殖の2つに分かれている(*3)。無性生殖は全く同じ遺伝情報を持つ個体を増やすことで、一個体で増殖が可能である。例として分裂や出芽(身体の一部が成長し、個体となって独立する)が挙げられる。

 一方有性生殖は、雄と雌の遺伝子を半分ずつ分け合い、新たな遺伝情報を持つ個体を作る。有性生殖は、個体によって遺伝情報が少しずつ違ってくることで、環境の変化があった場合にそれに適応できる個体のみが生き残る。これを繰り返した結果が進化といわれる過程であり、その時代に沿って様々な環境に適応できる種が進化で更新されていくことが有性生殖のメリットである。無性生殖で生じた個体は全て同じ形質を持つため、環境が変化すると全滅する恐れがある。無性生殖は遺伝情報をコピーするため、先代の体が無くなっても同一の個体が存在することになるが、有性生殖は自身がいなくなればそれまでである。こうして死という概念が生じた。

 なぜ生物が死ぬ必要があるのか。それは遺伝子の変化と絶滅(死)による選択を通して、多様性を作るためであると言われている(*4)。生物が地球上に誕生して間もない時から、環境に適応できなかった生物たちは絶滅して死に絶え、回り回って新しい生物の材料となる。つまり、古い種の死によって進化が加速すると考えられる。

 前述の舞台少女の再生産のための死にも同様の意義があると考えられる。舞台少女は擬似的な死(皆殺しのレヴュー、高所からの落下)を経て再び生まれ変わることで進化を続ける。

 皆殺しのレヴューより後のレヴューではそれぞれの舞台少女が過去の思い出をそれぞれの形で清算して新たな道へ進み、「最後のセリフ」においても、愛城華恋の過去の思い出が燃やし尽くされて次の舞台への燃料となった。

 これは、どちらも古い種が新しい種の糧となったことと同様であると考えられる。


*1 死とは-コトバンク・https://kotobank.jp/word/%E6%AD%BB-71667・最終閲覧日:2022年3月29日

*2 人はどうして死ぬのか~死の遺伝子からみた未来・https://chisan.or.jp/shinpukuji/center/workshop/forum/%E3%83%92%E3%83%88%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%81%86%E3%81%97%E3%81%A6%E6%AD%BB%E3%81%AC%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BD%9E%E6%AD%BB%E3%81%AE%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%BF%E3%81%9F%E6%9C%AA/・最終閲覧日:2022年3月24日

*3 有性生殖と無性生殖の比較・https://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/science/chu_3/seimei/ikimononohuekata/huekata1/huekata102.html・最終閲覧日:2022年3月24日

*4 生物はなぜ死ぬのか・小林武彦・2021年発行・講談社・47ページ

結論

 『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』における「舞台少女の死」は様々な意味を持つが、どれも我々が一般的に認識している生物学的な死と共通していることがわかった。また、「舞台少女の死」が再生産のために必要不可欠であることが、生物の絶滅が生物の進化のために必要な過程であることと同じであることからわかった。生物の進化という非常に大規模なプロセスを、舞台少女もまた踏んでいると思うと驚きである。舞台少女が前に進み続けるために必要な熱量は、それほどまでに大きいものであると感じられた。『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』の壮大な世界観は、神話や哲学などの様々な要素が織り込まれることによって作り出されている。地球上で何億年もの時間をかけて行われた生物の進化も、その壮大な世界観の表現に一役買っているのではないかと思われる。

著者コメント(2022/10/10)

 初めまして、tete と申します。拙い文章であるにも関わらず、読んでくださってありがとうございます。スタァライトの考察は、哲学や神話、宗教学などと絡めたものが多いですが、私が生物学を専攻していたこともあり、あえて生物学と絡めて無理やり考察してしまおうという発想からこのテーマを選びました。いざ書くとなると思うようにまとまらず、提出の遅れてしまいご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございません。対応してくださり、最後までお付き合い頂いた主催チームの皆様に、深く感謝致します。本当にありがとうございました。こういった合同に参加することは初めてで、自分の文章が皆さんに見ていただけるという体験はとても新鮮でした。またこういった機会があればぜひ参加したいです!

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