第101回聖翔祭は何故劇場版で描かれなかったのか
まるのゐ
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1.はじめに
『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(以下、劇場版)は、2021年6月4日に公開された劇場版アニメーション作品である。2018年7~9月期放映のTVアニメ『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』(以下、TV版)及び、2020年8月7日公開の『劇場版再生産総集編「少女☆歌劇 レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド」』(以下、総集編)の続編にあたる、アニメシリーズ第3作目となる作品だ。アニメシリーズの概要について改めて触れることはしないが、アニメシリーズを語るうえで欠かせないのが劇中劇『スタァライト』の存在である。
作品のタイトルにその文言が含まれている時点でその重要度は推し量れようものだが、あえてその例をあげれば、神楽ひかりが愛城華恋を誘った劇であり、2人の運命の端緒となった劇である。さらに、聖翔音楽学園99期生が3年間聖翔祭で演じる題目である劇、大場ななの執着の対象、そして運命の舞台から神楽ひかりを助け出すためのヒントと、この劇が果たした役割は枚挙に暇がない。しかし、この『スタァライト』という劇の存在感は、はたして劇場版では全く発揮されなかった。第101回聖翔祭は描写されず、配役も結末も脚本が完成したのかさえ謎のまま、99期生は卒業してしまった。あそこまで固執していた『スタァライト』を何故劇場版では手放してしまったのか。本論では劇場版とTV版、総集編を比較することで、その理由について考察を行った。なお、今回の考察はアニメシリーズの描写を基に行っており、舞台版やゲーム版の内容については言及していないことをご承知おき願いたい。
2.オーディションとワイルドスクリーンバロック
まず、物語の根幹をなすレヴューについて劇場版、TV版で比較を行う。99期生はどちらの物語でもレヴューを繰り広げるが、その様相は大きく異なっている。
特に注目したいのが勝敗の概念だ。TV版においてはレヴューとは勝敗を付けるものであった。勝敗は“ランキング”として可視化され、勝つことでトップスタァへと近づくことが出来た。しかし、劇場版ではこの勝敗という概念が希薄だ。ランキングは存在せず、勝者が自らの武器をセンターバミリに突き立て、高らかに「ポジションゼロ」と宣言する描写もない。つまり、ワイルドスクリーンバロックはオーディションとは違う理で動いており、「これはオーディションに非ず」という大場ななの台詞の真意はそこにあるのではないだろうか。
例えば、「狩りのレヴュー」において大場ななは頑なに星見純那に切腹をさせようと試みていた。上掛けを落とすだけで決着がつくのであれば、あんな回りくどいことはせずに即刻ボタンを刎ねれば良いだけである。それでも切腹に拘ったのは、オーディションではない劇場版のレヴューにおいて、上掛けを落とすことに大した意味などないと大場ななが知っていたからと考えれば納得がいく。それ以外にも「競演のレヴュー」では神楽ひかりが上掛けを落とされた後もレヴューは続き、自分の心に折り合いを着けた上で愛城華恋の元に向かうことが出来ている。劇場版では勝敗は大した意味を持たない。決して落とすまいとしていた上掛けを99期生が投げ捨てたシーンは、まさにそれを象徴しているのではないだろうか。
3.舞台少女の死
レヴューの勝敗に価値がないのなら、彼女達は何故、ワイルドスクリーンバロックを戦ったのだろうか。大場ななの見た“舞台少女の死”がその端緒となっているのは明らかだが、そもそも“舞台少女の死”とは何なのだろう。舞台少女の悲劇的な結末として、TV版では“キラめきの喪失”というものがあった。TV版第8話で神楽ひかりの“キラめきの喪失”が描かれているが、これは神楽ひかりがオーディションに敗北した結果であった。
一方で“舞台少女の死”はどうだろうか。彼女達はワイルドスクリーンバロックの結果として死を迎えた訳ではない。ワイルドスクリーンバロックの開幕となる「皆殺しのレヴュー」において、大場ななは“舞台少女の死”を他の6人に教えている。そして自らの死を自覚した彼女達はワイルドスクリーンバロックに身を投じていく。“舞台少女の死”はワイルドスクリーンバロックの端緒として描かれているのだ。
先に述べたオーディションとワイルドスクリーンバロックの違い、そして“キラめきの喪失”と“舞台少女の死”の違い。これらの違いは一見似ていると感じた要素が、実は対比的な要素であるという気づきを与えている。つまりそれは、オーディションとその結果としての“キラめきの喪失”を描いたTV版と、ワイルドスクリーンバロックとその端緒としての“舞台少女の死”を描いた劇場版が、全くの対極に位置する2つの物語であることを示唆している。
だとすれば、“舞台少女の死”とは何なのかという問いの回答もまた、“キラめきの喪失”の反対にある事象であると言えるのではないだろうか。キラめきを失うのではなく手に入れること、そのキラめきに目を焼かれること。目が焼かれてもなおそのキラめきを見つめ続け離れられないこと、それこそが“舞台少女の死”なのではないだろうか。
99期生は進路を決めつつあり、新しい道へと歩み始めようとしている。だからこそ、彼女達は新しいキラめきを目指すその前に、ワイルドスクリーンバロックを行うことで過去のキラめきを清算する必要があったのだ。
こうしたワイルドスクリーンバロックのあり方を踏まえた上で、劇場版での大場ななの行動を振り返ってみれば、大場ななはやはりワイルドスクリーンバロックの全体像を早い段階で把握しているように思える。第99回聖翔祭のスタァライトの再演を繰り返していた、過去のキラめきにすでに囚われていた彼女は、自らの死に自覚的だったのかもしれない。だからこそ、それを打破するためのワイルドスクリーンバロックのルールを「皆殺しのレヴュー」をもって、他の6人に教えていたのかもしれない。オーディションに固執することの無意味さ、上掛けを落とすことの無価値さを。
4.愛城華恋という舞台少女
そうしたチュートリアルの場であった「皆殺しのレヴュー」に、愛城華恋は何故参加していないのだろうか。「皆殺しのレヴュー」が始まって以降、愛城華恋は電車に取り残され、自らの半生を振り返る旅に出る。大場ななが愛城華恋が取り残された電車に再度現れたことから鑑みるに、愛城華恋をこの旅に誘ったのは大場ななであると考えられる。
そもそも、愛城華恋は他の99期生と違い、自らの進路をまだ決められていない。これは愛城華恋がTV版にて、自らの夢を叶えてしまったことが要因の1つであると考えられる。それは言い換えれば愛城華恋には固執するキラめきがないということ。もちろん愛城華恋は“キラめきの喪失”をしたわけではないが、夢を叶えることが逆説的に夢の喪失に繋がるとは皮肉な話だ。そういった点でいえば愛城華恋は過去の清算が済んでいるとも捉えられるが、問題は舞台少女愛城華恋の根幹となるのが、「神楽ひかりと一緒にスタァライトする」という夢だけだったことである。これは愛城華恋の再生産の際の燃料が、王冠の髪留め1つだけだったことが証明している。
ワイルドスクリーンバロックは過去のキラめきを清算する場である。となれば、愛城華恋がワイルドスクリーンバロックに参加することが出来なかったのにも得心がいく。しかし、最終的には神楽ひかりとのレヴューにおいて、愛城華恋は新しい夢を手に入れる。何故、愛城華恋はそこに至ることが出来たのだろうか。愛城華恋は半生の振り返りの先で、東京タワーに辿り着き神楽ひかりに出会い、死を迎える。大場ななの目的が舞台少女達の死の回避であるなら、それはこの時点で失敗しているように思える。しかし、愛城華恋はその後自分を再生産し、神楽ひかりとレヴューを行い、新しい夢を手に入れる。もしかしたら愛城華恋が死を迎えることは、彼女が新しい夢を手に入れるために必要なプロセスだったのではないだろうか。死んだ愛城華恋はあの王冠の髪留めではなく、彼女の人生を燃料に再生産を行う。これは愛城華恋の舞台少女としての根幹が豊かに広がったことを表している。むしろ、本来舞台少女がその全てを舞台に投じる存在であるなら、ようやく愛城華恋は本物の舞台少女に成れたのかもしれない。そこには愛城華恋だけの、「神楽ひかりに負けたくない」という夢が確かに根付いている。そして愛城華恋は神楽ひかりに敗れることで、その夢がいまだ叶わぬことを知るのだ。東京タワーはT 字のバミリに突き刺さり、ポジションゼロとなる。新しい舞台少女、愛城華恋の原点として。
5.劇中劇『スタァライト』
それでは、劇中劇『スタァライト』についてまとめよう。TV版と劇場版は似たようなアウトラインを辿りながらも、その内容が対比の嵐であることは、オーディションとワイルドスクリーンバロックの差異からも推し量れる。そうした対比において重要な役割を持つものとして、実は“トマト”が挙げられるのではないかと思っている。
トマトは劇場版において唐突に出現したが、TV版において伏線のような概念が登場している。それがTV版第8話にて登場する王立演劇学院定期公演のポスターに描かれた、短剣に傷つけられ、血を流す赤い王冠だ。赤い王冠は愛城華恋の持つ髪留めを示すものであり、このポスターは神楽ひかりと愛城華恋の運命の交換を示しているものだと考えられる。しかし、劇場版にて“トマト”という概念を知った後では、その赤さと流れる血が、トマトの赤さとその果汁に酷似しているように感じられる。劇場版において、王冠そのものはさほど登場しない。しかし、“トマト”を王冠のアイコンに見立てることで、劇場版が愛城華恋の物語であると表現しているのではないだろうか。
TV版が神楽ひかりを救う話であり、劇場版が愛城華恋を救う話だと読み解けば、星から王冠への主題の移行は自然に受け入れられるものだろう。私は劇場版がTV版の続編だと認識し、であるならばスタァライトがテーマに置かれていると考えていた。だからこそ劇場版にてスタァライトがほとんど語られなかったことに疑問を抱いた。しかし、そもそも劇場版はTV版と対立軸にあり、そのテーマから異なるものだったと解釈すれば、スタァライトがほとんど描写されなかったことはなんら不自然ではない。むしろTV版と劇場版が対比されるべき存在であることを指し示す重要な演出であるともいえる。
そもそも、オーディションの優勝景品である“星のティアラ”にはかねてから疑問があった。何故“星の王冠”ではないのか、愛城華恋のシンボルたる王冠とはいったい何を示しているのか、と。私はこの疑問に対し、王冠とティアラという対の関係が、愛城華恋と神楽ひかりのペアを補強しているという考察をもって溜飲を下げてきた。しかし、劇場版とTV版との対比構造を成立させるために王冠というシンボルを温存していたのではないだろうか。
6.第101回聖翔祭が描かれなかった理由
最後に、スタァライトが描かれなかったと共に、描かれなかった第101回聖翔祭についてもさらに考察したい。ワイルドスクリーンバロックによる過去のキラめきの清算が劇場版のテーマであるならば、彼女達が清算すべきキラめきとはいったいなんだろうか。その答えは第100回聖翔祭のスタァライトで語られている。塔の頂上で求めた星として、互いの手を取り合ったフローラとクレール。欲しいのはあなた、“あなたのキラめき”。彼女達は舞台少女だ。その身を、青春を、人生を、全てを舞台に捧げてきた。その彼女達が唯一捧げられなかったもの。しかし劇場版はそれすらも捧げよと、彼女達に乞っている。卒業とはすなわち別離なのだ。ならばワイルドスクリーンバロックとは別離の具現なのだろうか。あるいは「皆殺しのレヴュー」はオーディションとの別離だったのだろうか。そのワイルドスクリーンバロックにおいて目立つのが、彼女達が高所から落ちていくシーンだ。スタァライトにおいて、かつてフローラはキラめきに目を焼かれ塔から落ちていった。しかし第100回聖翔祭のスタァライトにおいてこれらの悲劇は排斥された。必ず別れる悲劇だったスタァライトは再生産されたはずだった。しかし劇場版では、別離が、転落が、死が、描かれている。もしTV版で排斥してしまった要素を描き切ることが過去の清算、未来への歩みそのものなのならば、少なくとも第100回聖翔祭で演じられたような再生産されたスタァライトを明示することには何の価値もないだろう。
劇場版の主題歌『私たちはもう舞台の上』が流れ終わった後、「本日、今 この時」に見慣れた王冠のヘアアクセサリーをカバンに付けた人物がオーディションを受けている様が描かれている。だとすると、劇場版の内容は過去のものであり、99期生はすでに新しい夢に向かって新しい舞台の上で奮闘しているのだろう。彼女達にとって、第101回聖翔祭のスタァライトはもうすでに抜き去ったキラめきであり、特筆して振り返らなければならない舞台ではないのだ。
『劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト』では、第101回聖翔祭のスタァライトは描かれることはなかった。それはスタァライトのキラめきに彼女達が囚われていないことの証明だ。彼女達は真の意味で聖翔音楽学園を卒業し、新たな道を歩き始めた。愛しい過去は過去のまま、今はただ未来だけを見据えて。彼女達の背後に、そのキラめきは煌々と輝いている。果てなき未来のどこに彼女達は向かうだろうか。それは誰にも分からない。しかしただ1つ分かることがある。どんな未来に進むとしても、未来から目を背け、過去に縋ろうと振り返らない限り、そのキラめきが彼女達の目を焼くことは、もうないのだ。
著者コメント(2022/10/10)
はじめまして、まるのゐです。少女☆歌劇レヴュースタァライトの熱量に対して、自分のポンコツな出力端子では耐えきれなくこのような散文となってしまい申し訳ないと共に、読んでくださった方に深く感謝したいです、ありがとうございます。
今回私の中でのシンプルな疑問をテーマにしましたが、他にも「何故あそこでマッドマ○クスのパロディだったのか」や「神楽ひかりが東京タワーをへし折って飛ばすにはどのくらいの膂力が必要か」など変わり種のテーマも候補にありました。今にして思えばこういったテーマを選ばなくて本当に良かったと思っています(提出遅刻組)。
私の中でTV版や総集編も含めてまだまだ語り切れていないことがたくさんあります。そういったあれやこれやについてもいずれ機会があれば世の中に出していけたらなと思っておりますので、もしまた私の名前を見かけたら、おっコイツまたやってんなと気軽に覗きに来ていただければ嬉しいです。それでは!
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