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鉄道趣味の話【3】 波乱万丈の鉄道模型趣味②
鉄道趣味の話【2】 波乱万丈の鉄道模型趣味①の続き…
↓ 前回の話はこちら、もし興味がありましたら…
鉄道模型趣味を断念してからザクっと20年くらいが経ち、30を過ぎたうだつのあがらない会社員になっていた私。鉄道趣味自体を辞めたわけではないが、こと【鉄道模型】となると…挫折を経験したあと、なんとなく敬遠していた感がある。
★ 今回は前置き回です…結構長くなります…。あしからず…。
ある時、雑誌だったかネットの記事だったかを見て、電気機関車
【EH10】を思い出す。
当時は好きでも嫌いでもない機関車だった。思い出すのは大阪の宮原操車場近くの踏切でカメラ片手に佇み、やってきた車両を片っ端から撮影…みたいなことをやっていた…やはり小学生の頃、たまーにやってくる、ひときわ大きく、ひときわうるさく、ひときわ力強い電気機関車が【EH10】だった…という印象だけ。
【EH10】が長大な貨物を牽引して勢いよく踏切を通過すると地面が揺れた。(←これ、冗談じゃなくて)子供心に迫力を感じ「うおおおおおぉぉ!」と叫んで喜んだものだ。
その時の鉄オタの友人が、「あの機関車は【熊ん蜂】とか【ブラックマンモス】って愛称で呼ばれているんだ」と教えてくれた。
漆黒の、四角四面のノーデザイン的なボディにイエローのラインが2本だけの、超シンプルなスタイル…2両で1セットの分解不可な【永久2車体連結構造】重量感も相まってラスボス感満載のそれだったが、いかんせん貨物専用の機関車だったため、その頃は心に響かなかったのだ。
大人になると、子供のときとは異なる趣も出てきたりする。
【EH10】の存在を思い出し、ネットなどで調べてみれば子供のときには知り得なかった情報が…それはなかなかの異端っぷりと、なんとなく寂しさを感じるこんな生い立ちが書かれていた。
(EH10好きなんで、多少フィルターがかかっていると思います。あらかじめご容赦ください)
第二次大戦後の荒廃した状態から高度成長期にかけて、鉄道においては貨客の著しい増大があったらしい。(…まぁ容易に想像はできる)特に鉄道に乗る人が増え、同一路線を走行する貨物列車にも、それなりの輸送力…とりわけ速度と牽引力が求められていたそうだ。
(前を行く貨物列車が遅いから、人を乗せる鉄道も遅くなります…では済まない事態になっていたということ)
当時の東海道本線において一番のネックは関ケ原の連続する急勾配で、それまでのいわゆる旧型電気機関車では思うような牽引ができず、早急な対策が求められた。
具体的に言えば「新しい構造・新しい電動機を搭載した新型電気機関車の登場」を切望されていた。
だが戦時中においては、あらゆるものの技術革新が「戦争にまつわるもの」に傾けられており、鉄道に関する技術もまた停滞しており「技術の断絶」があった。
本来なら、技術革新は継続的な技術開発の中で生まれる。しかし「断絶」があったため、新型電気機関車の登場は当時からさらに数年は待たなければならなかった状況…。
その中で生まれた電気機関車が【EH10】だった。
旧式モーターの出力が足りないなら…モーターを増やせばいい。
…車輪(動輪)の数は従来の6軸から8軸になった。
8軸になると、車体長が長くなりカーブを上手く曲がれない。
…なら、2車体に分割して連結する形式にすればいい。
そのような、一見単純な発想で巨大な電気機関車【EH10】は生まれた。
この付け焼き刃的な電気機関車【EH10】は絶大な効果を発揮したらしい。
1200トン牽引が可能なそれまでの旧型電気機関車は、関ケ原界隈では1000トン程度が事実上の限界だったようだ。一部では大量のドライアイスを積み込み、モーターを冷やしつつ走行するのはどうか?との意見もあったほど困窮していたようす…(無茶言うなよ…)
だが【EH10】は1200トン牽引でも余裕を見せ、速度も申し分なし。…で、悲願の高速化を達成する。
その後、異例の【貨物特急】が編成される。名称は【たから号】
もちろん牽引は【EH10】が担当した。
一時期、本機の高速試験機が、当時の国鉄においての最高速度記録も持っていた。
数年だけ存在した華やかな時代…。
しかし生産された総数は64両と少なかった。
数年後、ついに技術の革新が時代に追いつき【新型電気機関車】が誕生する。
車軸は6軸…これまでの構造と同様の比較的コンパクトな車体に、最新型のモーターを搭載。
その出力は8軸モーターの【EH10】と同等か、凌駕する出力を持っていた…。
以降【新型電気機関車】は次々と量産され、使い勝手の良さからあっという間に【EH10】から代替された。
一方【EH10】はというと、
永久2車体連結の8軸で長大なボディと、超重量級であるということもあって、他線に転用が困難であり…徐々に東海道本線から姿を消していった…。
それは初めから【繋ぎ】として予定されていた運命でもあった…。
…なんとも寂しい話じゃないですか。
たとえ当時の「最強」であっても、あらかじめその座を明け渡す時が決まっていた機関車…。そして「最強」の冠を降ろした瞬間、消え去る運命だった悲運の機関車…。
またあの姿を見たいな…と思っても、既にこの世には存在しておらず…って… え!?1両だけ残ってるの!?どこ?どこよ!?
調べた結果…大阪・東淀川区・東淡路南公園に静態保存……??
…ん??…えぇ?…はぁ???
ちょっと待て!!…ちょっとまてよ…?
……そこ…歩いていけるやん…
ってことで、おおよそ30年ぶり(くらい?)の再開を果たしたのです。
吹田機関区(?)からここまで運ぶのにも相当な手間と時間とお金がかかったろうに…
でも、そんな当時の苦労を今や誰もご存じないのか…
保存とは言い辛い、とても状態の悪いそれでした…。
もともとは柵のない状態での保存だったようですが、度重なる悪戯等が原因で余裕のない狭い柵で覆われてしまっていました…。
メンテナンスをやっているような形跡もなく、ただ朽ち果てていくのを眺めるためだけの牢獄のような…。
親戚の家が近かったということもあり、暇を見ては何度か通ううち…ふと…
「EH10のNゲージ欲しいな…」と、突然鉄道模型のイメージが湧いたのです。
(…鉄道模型趣味復活までのお話といえど…ここまでが長すぎる…!!)
ちょうどその頃、「KATO」から、新規金型の「EH10」が発売されて、そう時間が経っていないタイミングだったのです…。
(もしかしたら発売されたのはもう少し前だったかもしれません…)
そんなこんなで、鉄道模型専門店に顔を出してみれば…当たり前ですが…そこは鉄道模型一色の世界。
私はもう、いい歳のオッサン。
ごく一般的な鉄道模型など、その気になりさえすればいくらでも買える。
そして…私のコレクションを見て欲しがって泣き出す奴など、もうどこにもいないのだ。
その後数年だけ、私のタガははずれたのだった。
鉄道模型趣味、再び
(続く)
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