ヲカマ死ぬまでこの血枯れるまで 2
教室から生徒達が逃げだし出すと生徒たちは更なる悲鳴をあげていた。木造の校舎には暖房用の灯油が撒かれ、既に火を放たれており、逃げ場を失った生徒たちの悲鳴があちらこちらで聞こえる。私は血飛沫を身体全体に浴びて火に炙られる痛みを和らげていた。やがて生徒たちも私の真似をして手首を食いちぎり血のシャワーで燃え盛る炎から身を守っていた。
「おかま舐めるんじゃねえぞ!」私は叫びながら、男子たちを見つけては顔に噛み付いた。中には目ん玉を引きちぎってやった奴もいた。私は灼熱地獄の廊下を笑いながら駆けずり回った。そして、私は用務員のおじさんからこっそり教わった秘密の出口から校舎を後にした。校庭から見る燃え盛る校舎は、なかなか見応えがあった。私は用務員のおじさんがいる詰所に向かった。
「おじさん、私とうとうやったよ」
「かなり派手にやっちまったんだな」
「あいつら自業自得だよ。私の心の痛みに比べれば」
「後はこっちで処理するから、早く病院に行きな」
私は流しのタクシーを拾って、近くの病院に駆け込んだ。
「何があったの?」
「私はよくわからないです。私、いつも他の男子生徒に虐められていて」
「この手首の傷や、頬のやけどは彼らにやられたってことね」
「そう、あいつら人間じゃない」
私は看護師さんの前でわあわあと泣きじゃくった。
数日後、小学校が全焼したその事件が報じられているのをテレビで見た。用務員さんが犯人になっていて顔写真の下に名前と年齢が書いてあった。私が小学校生活で唯一の信頼できる人間は、あの用務員さんしかいなかった。用務員さんも自身も、昔はひょろっとえのきだけのように細くて、勉強も運動も何一つ取り柄がなく、周囲の生徒たちに散々虐められた、と涙を浮かべて話していた。だけどその涙は、彼の惨い小学校生活からの自らを憐れむ涙ではなく、私が受けているいじめに対する同情の涙だった。
*
数年後、私は勉強して教職員の免状を取得した。世の中からいじめをなくしてやる、先生になっていじめっ子を「上から」潰してやると猛烈な勢いで勉強に励んだ。免状はあっさりと取れ、数十年間、小学校の教師として働いた。中にはいい子もいた。子供と戯れるにつけて「子供本来の可愛さ」に気づくことも多かった。生涯独身を貫いた私だが、生徒たちを自分の子供のように大事に思うようにもなり、自らでも変わったなと自覚するようになった。小学校は変わった。世の中も変わった。ハラスメントなどという言葉が当たり前に使われる世の中になり、いじめ自体がなくなったとは思わないが、いい時代になったな、とつくづく思った。
私はそのまま、その小学校の用務員になった。私を救ってくれたあの用務員さんのことは一生忘れられない。
それでもやっぱりドロップアウトしてくる生徒はいる。
「私ね、虐められてるの。スマホで、ほら。こんなこと書かれているのよ」
「昔は私もいじめられっ子でね。すごく分かるよ、お嬢ちゃんの気持ち」
「私我慢できない。アイツらにお灸を据えてやりたい」
「それじゃあおじさんの言う通りにするんだよ」
私が小学校4年生の時にあの用務員さんに教わった通りの「計画」をその女の子に説明し出した。
おわり