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「私」という名のメディア

 おはようございます。今日は私が普段感じている「妄想」についてお話ししたいと思います。私はとあるメンタルの病気です。話せば長い話になりますし、もう思い出したくも無いので詳しくは話すのをやめますが、恐らくこれから私が話す事象をお読みになって、「これは〇〇という病だな」とピンとくる方もいらっしゃる事でしょうが、まあ大人のスタンスで与太話にお付き合いいただけたら幸いです。

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簡単に申し上げますと、私の妄想は「デジャヴ」や「シンクロニシティ」に至極近いのです。「デジャヴ」は「既視感」でよろしかったかな、まあ「以前にもこんな場面があったような」という感覚であります。「シンクロニシティー」はご説明するにあたりやや厄介ですが「偶然の一致」といった感じでしょうか?何だかこうして文章にするのも、これらの妄想系の話ではなくて、既に実際に書いてるのは憶えておりますが、何度でも書きますね。

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例えば、朝のニュースで「カルデサック」という言葉を聞いたとします。その後、誰かと話しているときに偶々「カルデサック」という言葉を聞いたりしますと、偶然とは思えずに一気に緊張感が高まります(正確に申し上げますと「高まりました」)。早い話が、自分の見聞きした事が(或いは嗅いだ匂い、触れた触感さえ)広く「報道されている」感じとでも言いましょうか。とにかくそんな感じであり、それさえ「思考伝播」というある疾患の症状の一例でさえあります。

今は色々なことを試行錯誤して大分回復しておりますので、ご安心下さいませ。でも、そう言ったこと、まあ所謂「妄想」って皆さんの中にもありませんかね?最初は「エッチな事考えているの伝わってしまったら嫌だな」とか「あ、こんなに攻撃的なことを想像してしまった」などなど、感じていましたが、もう開き直るしかないのかなあ、と前向きに諦めております(笑)。

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一筋の(高々一筋ですが)光が見えますし、このまま回復していけば良いなあ、と気楽に考えております。自分が放送局なんて凄くありませんか?確かに恥ずかしい、所謂「出来れば知られたくない心の貧しさ」が吐露させられるのですからとても辛いことが多い。メリットを挙げるとすれば「何人たりとも私を葬ることはできない」という「妄想」でしょうか(笑)。何せ斯様な稀有な能力を持っている人間は殆ど居ないからです。

などと書くと「余りお近づきになりたくない方かしら」と思われてしまうかもしれませんが、今は回復過程にあり書いているのが楽しくてしょうがなくて続いておりますが、熱し易く冷め易い性癖が災いして咲いた途端に枯れてしまう月下美人(そこまで綺麗ぶるか?)のような儚い私の妄想劇場にお付き合い頂きたく申し上げ候。

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一筋ですが届いております、響いております、光が、光が。

かしこ