美しい家 1
俺んちは正直、半端なく貧乏だったから、エルトン・ジョンのあの有名な曲じゃないけど、とにかくデカい家に住むのが夢だったんだよな、ガキの頃からね。
俺が住んでたのは本当に冴えない汚ったねぇ、小さな川沿いの工場街だったんだ。ドブみたいな川にかかる橋を渡ると、上り坂が続いてて画に描いたような立派な家が立ち並ぶ山の手の住宅街があってさ、犬の散歩を理由にして、よくそんな住宅街を歩いてたもんさ。情け無いしやるせないけどね。
おかげでその住宅街に関していえば、地図が描ける程、どっちに行ったらどんな家があるか、中々にして良く働くこのデカい頭の中にバッチリ収まっていた。
と或るやたらと寒い一月の朝、愛犬の「市」を連れてトボトボと歩いてたんだ。で、相変わらず「お宅拝見」しながらキョロキョロしてたら、どうやら道に迷ってしまったらしい優しそうで上品なおばあちゃんが俺の目に止まった。
俺は小走りに、近づいて言った。
「あのさおばあちゃん、もしかして道に迷っちまったんじゃないかい?」
おばあちゃんはハタと俺の顔を見上げながら話し出した。
「あのね、孫娘が新居を構えたなんて言うから、尋ねて来たんだだけれどねえ、こんな坂道ばかりの所だなんて知らなかったものでね。探しているうちに何だか疲れてしまってねえ」
「あのさ、良かったら俺が何か手助けしてやるよ」
おばあちゃんは上品な明るいグレーの上下できちんと身を包んでいたし、腰なんてシャキッとしてて、背筋なんかもビシッと姿勢が良いし、決して認知症の徘徊老人にはなんかには見えなかったんだけどさ、こう見えてもお年寄りには全面的に優しいんだ。おかげでおじいちゃんやおばあちゃん達からはモテモテさ。
良く見ると、おばあちゃんのスーツの襟には、カワセミの形とおぼしき、高そうなブローチを付けていて、いかにも良家の子女として育ちました、って感じでね。
「おばあちゃんさ、鳥が好きなのかい。きれいなブローチだね」
「これはね、孫から米寿のお祝いにもらったの。可愛い小鳥さんでしょう?」
「米寿か、昔学校で教わったけど…八十八歳だったよね」
おばあちゃんは恥ずかしそうにゆっくりと頷きながら笑った。
「おばあちゃんさあ、その鳥はカワセミって言って、都会では滅多に見られない珍しい鳥なんだよ」
「まあそうなんですか?お詳しいようで。私も鳥は大好きでね、私の宝物なのよ。でも不思議に思っているのだけれども、本当にこんなに綺麗な羽の小鳥なんて日本にいるのかしら。見てみたいものね。」
おばあちゃんは黄色のこれまた高級そうなスカーフを正しながら、立ち止まってきれいな真っ白なバッグの中をがさごそとしだした。
「おばあちゃん、どうした?何か落とし物でもしたかい?」
「いやね、いつものことなの、もう忘れっぽいし。ああいやだいやだ」
「俺が探してやろうか?」
とその時、「あったわ」と水色の小さめなタブレットを取り出した。
「おばあちゃん凄いもの持ってるね。家の母親よりもずっと若いや。」
「私もどうやって使うのかよくわかってないのよ、恥ずかしいけれども。」
おばあちゃんは笑いながら戯けるようにそう言った。
「よろしかったら、お名前を伺っても良いかしら。私は園田と申します。」
「俺の名前は高口泰人。みんなからは、ヤストとかヤスなんて呼ばれてる。」
「その可愛いワンちゃんは何て言うお名前?」
「コイツは市、勝新太郎の座頭市の市から勝手に拝借した。犬種はジャック・ラッセル・テリアだよ。」
おばあちゃんはしゃがみ込むと、市の頭をしきりに撫でながら、良い子ね良い子ね、とくり返し呟いている。
「おばあちゃん…いや園田さんも犬好きなのかい?」
「鳥も犬も猫も大好きよ。動物はみんな好き。動物は嘘をつかないから。邪険にされて可哀想なカラスだって、私は好きなの。まんまる黒いお目々なんて本当に可愛いのよ。」
おばあちゃんは、溢れんばかりの慈愛に満ちた、根っからの優しい心の女性である事だけははっきりと伝わって来た。
「そうそう、この機械で地図を見られる筈なのに。」
「良かったら俺がそいつを使ってナビゲーション、その、道案内してやるよ。いや、きびだんごなんて要らないよ」
「ああ、桃太郎のお話ね。面白い方ね。代わりにこれをあげる。」
おばあちゃんはそう言って、俺の手のひらにお数珠を置いた。
「最近は、パワー・ストーンなんて言って色々な石があるみたいね。」
「園田さん、悪いけど俺そう言う「おまじない」みたいなのって根っから信じてないんだ。ごめん。」
園田さんは俺の言葉を全く無視して、俺の左の手首をその引っ張ると、手慣れた感じでお数珠をつけてくれた。
「これはラブラドライトと言って直感力が冴える力のある石。良く見ると青い光がキラキラしているでしょう?」
園田さんはそれまでの様子とはうっと変わり、真剣な顔になり、「何があっても絶対にはずしてはダメ。」と囁くように言った。
そう言ってお宅探しに戻ってゆっくりと、本当にゆっくりと歩き始めた。
つづく