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晩夏のパントマイム

私の一番好きな場所なの、この美術館が。白金にあるこの美術館は、そう、建物自体が芸術的に美しい。ラリックのレリーフがさりげなく埋め込まれていたり、高い天上からぶら下がっている照明のデザインひとつとっても、全部で一体幾つあるのか分からない各部屋で、ひとつひとつ違うデザインが施されていたり。

今は空前のマンションブームで、豪華な共用部やエントランスの意匠がこれまたこりに凝ったタワーマンションが飛ぶように売れているみたいだけれど、この建物を見ているとなんていうのかしら、上手い言葉が見つからないけれども、平たく言うなら「品がない」というか、少なくとも私は住む気にはなれない。

子供の頃から、「衣食住」なんて言葉を意味なく使いまわして、生活の質、今ではQOLなんていって、最近はなんでも英語の略称ばかり使われているのはどうしたものかしら、なんて私は感じるんだけれども、とにかく高度成長期を謳歌した私たちの世代では、西洋の暮らしに追いつけ追い越せってひたすら真面目に働いていたから…皆が皆んな。

私からすれば、マンションって言葉自体がなんとなく浮き足立っている、というか地に足がついていないというか。近頃の建築はなんとなくどれも温もりを感じない。まあ、きをてらったとは言わないまでも、インパクト優先な気がしてしまうの。

私だって生まれも育ちもごく普通。父親は公務員、母親は専業主婦。住んで居たのも世田谷の外れの公務員アパートだったし。とても世の中のあれこれについて、偉そうにいえる身ではないのだけれども。

それでも私、背だけは高くて若い頃モデルの仕事をしていた事もあるの。余り人には言わないのだけれど。だってなんだか自慢している風に聞こえたら、嫌だから。でも、モデルの仕事はそれこそ人には言いづらいくらいに儲かった。だから、今でも気ままな独り身なんだけれど。

「お飲み物の方、良かったら何かお持ちしましょうか?」

「それじゃあ、アイスティーをもうひとつ。それと自家製フィナンシェというのも。」

「いつも、ありがとうございます。」

そう答えると、ウェイターの若い男の子はとても礼儀正しく挨拶をすると、ゆっくりと去って行った。息子といえる程の年恰好のその青年は、客商売にはもってこいという感じの素敵な笑顔が印象的だった。

私は残暑厳しい水曜日の午後に、このカフェにいて、自分の老後のことなど、場の雰囲気にそぐわない現実的な事を考えながら、視線を庭園の方に移した。良く養生された芝生の上には、かなり大ぶりな彫刻が点々と遠くに見えた。

庭園で彫刻を眺めて歩くにはいささか暑すぎる午後だった。

やがてウェイターの青年がやって来て、開口一番に意外な言葉を放った。

「いつもお一人でいらっしゃるけれど、それがとても板についている、というか…あのカッコいいです。」

「あら、あなたも大層ウェイター振りが板についているわよ。それに。」

私はいつも余計なことを言ってしまう、所謂一言多いタイプなので、そこで言葉を止めてしまった。

「それに?」

青年は笑顔を崩さないで、私の顔を覗き込むようにそう言った。

「それに…女性を口説くのが上手そう。」

私も笑いながら、でも少し気まずく感じながら答えた。しかし、青年は笑顔のままでこう続けた。

「そうですか?自慢じゃないけど、女性には全くモテません。ああいうのって何かコツがあるんでしょうね。私はそういう才能がないみたいです。」

「あら、それが大事なんだと思うけど」

「えっ。それって言うと」

「素顔の自分を自然に曝け出す事」

青年は私の言った言葉を頭の中で反芻しているようだった。

気怠い夏の午後には一服の清涼剤のような短い会話ではあったが、私にしては珍しく彼という人間について興味を持った。

続く